INTERVIEW2016.11.05

アートプロデュースデザイン教育

当たり前の日々の気付き。 − 室諭志(MAY-デザインの教室- 代表) [おとなにきく。 #2 ]

edited by
  • 片山 達貴
  • 石倉 史子
  • 溝邊 尚紀

京都造形芸術大学 情報デザイン学科1年生の石倉史子さんが、会いたい人に会いに行く企画「おとなにきく」。毎回多彩な人生の先輩を訪問し、彼女自身が抱く素朴な疑問を解決していきます。第2弾は「MAY-デザインの教室-」を運営する 室諭志さんの元へ。前半では、室さんの活動や考えについてインタビュー。後半では、室さんと石倉さんが共に「学び」とはなにかについて考えます。大学に入学し、ものづくりへのはじめの一歩を踏み出した石倉さん。自身のこれからの学び方について考えます。

 

「とにかくさわる、やってみる。」石倉さんが探る室諭志の発想のルーツ。

 

ふみこ:最初に、室さんの人柄を知りたいです。室さんは普段先生として子供たちと関わっていますが、ご自身はどんな子どもでしたか?


室:僕の出身は、兵庫県の三田市というところです。幼い頃から比べると、徐々に開発はされているんですが、それでも最寄駅のそばに牛小屋があって、夕方5時くらいになると、どこからともなく牛のにおいが漂ってくるんですよね(笑)。  田んぼや山も身近にありので、いろいろな生き物がたくさんいました。サンショウウオやイモリが用水路にいたりして。ザリガニなんかもよく捕まえて遊びました。いろんな生き物を捕まえては、飼っていた記憶があります。子どもの頃からなんでも触ってみるタイプ。大人に「やっちゃダメ」って言われることでも、とりあえずやってみる。道端で見つけた蛇の死がいを興味本位で触ったりしたこともあったような…。「死んでるし、噛まれないから大丈夫」と思って(笑)。 とにかく好奇心旺盛な子供でした。そういう経験が、現在のアイデアの元になっていると思います。「興味に従う」というマインドは25歳になった今も変わりません。

ふみこ:私の実家がある島根県松江市も自然が多い田舎です。カブトムシがたくさんいて、田んぼにはおたまじゃくしがいる!死んだ蛇は触ったことないですけど(笑)。子どもの頃は友達と一緒にいろんな生き物を捕まえて遊びました。実家から歩いて1分くらいのところに公園があって。約束なんてしてなくてもその公園にいけば必ず誰か友だちがいるんです。小学校の頃はほとんど毎日その公園で遊んでいました。

室:僕も公園での思い出はたくさんあります。たくさんある遊具もいつも遊んでいるから飽きちゃって、友だちとブランコを改造したこともあります(笑)。  そういえば、近くに住んでいた少しやんちゃなお兄ちゃんがブルーギルという魚を釣ってきたことがあって、経緯は忘れましたが「焼いて食べよう!」という話になったんです。コンクリートブロックを積んでガスバーナーで焼いたブルーギルをお兄ちゃんから「食うか?」と差し出されたんですけど、あのときはさすがに「やめときます」って断りました(笑)。 そのお兄ちゃんにはいくつかエピソードがあって、引っ越し前に公園にバスケットゴールを寄贈してくれたこともありましたよ。僕らは喜んだんですけど、公園の管理者さんが「これは正式な遊具ではないから」といって撤去しちゃったんです。世の中って、結構理不尽だなぁって子どもながらに思ったりもしましたね(笑)。振り返ってみると、公園での経験だけでも自分の性格の重要な部分をつくっていたんだなと思いますね。

 

机のペンキ跡は子供達が遠慮せずに絵が描けるよう、あらかじめつけておいたもの

 

ふみこ:破天荒ですね(笑)。でもわかります。公園っていろんな年代の人が集まりますよね。お兄さんお姉さんや自分より小さな子どもと遊ぶ機会にもなる。いろんな話が聞けるのも楽しかった。そういえば最近の公園って遊具が少なくなっていますよね。ブランコとか私の地元でも撤去されている公園があります。危険だからという理由だと思いますが、さびしいですよね。

 


「ハテナボックス」の中に物を入れ、「ザラザラ」や「ツルツル」といった、物の質感だけを感じ取る授業をおこなっている

 

室:割とどこの公園も同じように遊具が少なくなっていますよね。もし遊具で子どもが怪我をすると、管理側としては責任問題だしね。危険なものは撤去したほうが良いっていう考え方も、一理あるといえばそうなんですが。でも、なんでも子ども向けにしてしまうのはどうかと思います。それは、大人が考えた子どもらしさでしかないじゃないですか。子どもを取り巻く環境に、あまり介入しないでも良いんじゃないかなって気はします。今は禁止されていることが多すぎて、子どもにとっては、少し生きづらいんじゃないかなって思います。危ないことやちょっとした悪いことができないというか。例えば、少し高いとこから飛んでみるとかその程度のことですけど。自分の責任で自由に行動できる環境は減ってきていますよね。いわゆるプレーパークと呼ばれるような、子どもの責任で自由に遊べるような環境も整ってきていますが。そういった環境を探し、求めないと身近にはないというのも、少しいびつな気もします。でも、どれだけ大人が、大人の目線で環境を整備したり遊びをコントロールしようとしても、結局子どもって自分で遊びをつくっちゃうんですよね。大人が適切だと思う遊び場や、ものごとを用意しても子どもはそれよりももっと楽しいものをつくるんです。教室の授業でも、終わってみれば、自然とこちらが思っていた内容と変わっていることもありますし(笑)。

考えるための余白の教室。

ふみこ:「MAY-デザインの教室-」では、どういう授業をやっているんですか?

室:今は小学校2、3年の子どもたちが中心の授業ですね。先日は、街の中の「動き」を集めるフィールドワークを、商店街の中でやりました。A4サイズの紙の束をドサッと子どもたちに渡して、ひたすらドローイングして集めてもらうんです。車や虫など、動いている「モノ」をそのまま描くんじゃなくて「動き」そのものを表現してもらう。例えば水の流れを何本もの線で表現したり。「動き」だけを描くって、大人でもどう書こうか悩むと思うんですけど、もうこれは無理!ってなると、思いっきり「ぽたぽた」とか「ガラガラ」とか文字を書いちゃう子とかもいました(笑)。でも、それは伝えたいことをその子なりに伝えようとした結果だと思うので、まぁ、それはそれでいいかなって。A4用紙とペンしか使わないシンプルな授業でもすごく盛り上がりました。授業では、身の回りのものごと、すべてを材料だと思っています。特別なことはなにもしていないと思います。 授業のアイデアは、ふとした瞬間に思いつくことが多いです。例えば、冷蔵庫に入れっぱなしにしていて萎びたカラカラなニンジンを見て思いつくこともありますよ(笑)。

 

壁に水が流れる様子を描いた生徒の絵

 

ふみこ:どうしてこういう風に描いたか考えていくとおもしろい!なにを描くかもそれぞれ子どもたちの性格が表れている気がします。子どもたちの行動って、変化球だらけで予測できないですよね。私、実は中学生まで幼稚園の先生になりたかったんです。保育ボランティアや保育実習にも行ったんですよ。そのときのお絵描きの時間ではジャガイモなのにピンク色で彩色する子がいて、驚いたことを覚えています。自分でストーリーをつくって、王子さまとお姫さまが出てくるロマンチックな劇を、一人劇として演じて見せてくれた子もいました。すっごい集中力で泥だんごを一日中つくっていた子もいましたね。

 

教室を見学する石倉さん

 

室:今って、一般的に教科書で知識を得てペーパーテストで検証することが「学び」として捉えられています。もちろんそれはそれで大切なことかもしれません。でも、教室ではもっと体験的で目に見えないことを重視しているんです。こういった学びは数値的な評価や、その成果も判断が難しいですよね。だから、学校教育としてはなかなか捉えにくいところもあると思います。でも、なにも特別で難しいなことじゃないと思います。 理科の授業での実験や家庭科での調理実習のような体験を伴う学びを、もう少し掘り下げたり、あるいはもっと根っこの部分まで遡って時間をかけて考えてみようというだけのことです。 今の子どもたちは「考えるための時間」が少ないと思います。考えるよりも、覚えたり書かされることの方が多い。思考をめぐらせる時間やある意味ぼーっとする時間に乏しい。そういう、いろんな想像力が育まれる「余白」みたいな時間が少ないんじゃないかと思うんです。

ふみこ:ペーパーテストによって順位が付けられ優劣が決まります。今の日本ではたくさん点数を取れることが、「学び」の重要な部分かもしれない。でも、少なくとも室さんにとっての「学び」は、たくさん点数を取って順位を上げるためのものではないということですね。

室:図工や美術でも、目に見える技能的な側面。たとえば、筆で絵具を塗るときに「線をはみ出さずに色を塗りましょう」というような学びは、ここではしなくてもいいと思っています。「MAY−デザインの教室−」は、習い事と言えば習い事かもしれないけど、傍目から見れば子どもが遊びに来ているようなものです。でも、僕はこの教室で一見遊んでいるように見えることを、学びであり教育だと思っています。評価や成績はないけどね。今、子どもに楽しいと思ってもらえて、いつかふとした瞬間にここでの経験が子どもたちの役に立てばいいなって思っています。

 

室さんの授業を石倉さんも体験。さまざなな材質の紙を同じサイズにカットし、自分で法則を見つけて並び替えをする

 

ふみこ:私は小さい頃から習い事をたくさんしてきたけど、どれも目指す目標や正解がありました。室さんの授業は正解はないけど、たくさん考えることができる。学びの幅って私が思ってるより広いのかもしれない。

室:この教室も習い事のひとつですが、専門的な分野ではなくて、もっと原始的で思考のベースとなるようなことをしてもらっています。そもそもクリエイティブだったり、面白いと思うことって、突き詰めていくと自然現象に落ち着くことが多い気がします。例えばバスタブから水を抜いたときの渦巻きとかね。そういう何気ない身近なものごとを気付きのきっかけとして体験として学んでもらっていますし、僕自身も子どもと一緒に学んでいます。

ふみこ:室さんの授業を受けていくうちに「このどんぐりを向こうに投げてみたらなにか面白いことあるかも!」とか「楽しい」を予測できるようになる気がします。生徒さんたちは、そうやって学んだことを生かして楽しんでいるんでしょうね。自分が楽しいって思うことほど集中できるし。遊びと学びって遠いようで近いんですね。

 

体験授業中の真剣な眼差しの室さん

 

室:学ぶように遊ぶことだってできるし、遊ぶように学ぶことだってできる。学ぶことだって、しんどいこともあれば楽しいこともありますよね?逆に遊びでオセロなんかをやったって、負けたら悔しかったりするし、人によってはそれってもはやストレスと言えるかもしれない。ずっと勝てれば楽しいだけですけど(笑)。 遊びを「遊び」たらしめているものって「楽しい」だけのこととは限らないわけです。つい最近も、「学び」と「遊び」について話し合う機会があったのですが、やっぱりなかなか答えは出ませんね。でも僕自身、その2つを明確に分けていない気がします。結局、休みの日でも授業のことを考えているし。お好み焼きを食べに行ったら、鰹節が踊っているの見て「この動き、授業に使えるかなあ」って考えたりね(笑)。要は捉え方ですよね。遊んでいてもそこから学ぶことはできますよ。

 

体験授業を受け、新たな発見の連続に心が躍る

 

ふみこ:なるほど、仕事の中にも遊びがあるのか。遊びと学びは対立したものではないってことですね。今思えば、小さい頃にしていたなにげない遊びで、集中力や人との関わり方を学んでたんだなあって思いました。「遊び」「学び」をきっちり分けちゃうと楽しく遊べないし、学べない気がします。日常をしっかりと観察して、いろんな価値を発見していく力って、とても重要なことだと思います。視点の変化で見えてくるものが変わる。それが遊びの醍醐味ですね!それって子どもの頃の方が上手だった気がします。「子供の頃」に学んで、これからも面白い事を見つけていきたいです!

室 諭志

MAY-デザインの教室- 代表
京都造形芸術大学 空間演出デザイン学科卒業後、地元兵庫県の公立中学校にて美術科の常勤講師として勤務ののち、上京。2015年に独立し、フリーランスで活動を開始。2016年、子どもとデザインを学ぶ場として「MAY-デザインの教室-」を立ち上げ活動中。

http://maybe-s.jp

<文:片山達貴、取材:片山達貴、石倉史子、溝邊尚紀、写真:片山達貴>

  • 片山 達貴Tatsuki Katayama

    1991年徳島県生まれ。京都造形芸術大学 美術工芸学科3年。写真を学ぶ。カメを飼ってる。

  • 石倉 史子Fumiko Ishikura

    1997年島根県生まれ。京都造形芸術大学 情報デザイン学科情報デザインコース1年。高校時代からグラフィックデザインに興味があり、デザインを基礎から学んでいる。好きなアイドルグループは乃木坂46。

  • 溝邊 尚紀Naoki Mizobe

    1994年福岡県生まれ。京都造形芸術大学 情報デザイン学科4年。瓜生通信チーフデザイナー。主に舞台演劇や展覧会、地域振興のグラフィック・エディトリアルを中心にデザインの活動を行っている。クライアントワークに加え、原理的なデザイン技法に基づいた作品を制作する。

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