REPORT2021.02.08

アート

軌跡と兆し ― KUA ANNUAL 2021についてのささやかな解題

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  • 京都芸術大学 広報課

 芸術教育のあり方を問い直し、未来の可能性を芸術的視点から提案する京都芸術大学の学生選抜展KUAD ANNUAL。東京都美術館を会場に2017年より三度の展覧会を開催してきたこの取り組みは、今年度、新たなスタートを切った。京都造形芸術大学(Kyoto University of Art and Design)から京都芸術大学(Kyoto University of the Arts)への名称変更にともない、KUA ANNUALへと名を変えた本展は、昨年度までキュレーションを担当していた片岡真実(森美術館館長)から新たに服部浩之(インディペンデント・キュレーター、京都芸術大学芸術学部客員教授、秋田公立美術大学大学院准教授)を迎えるとともに、公募の対象を上回生だけではなく全学年の学生へ、さらに作家だけではなくアシスタント・キュレーターへも開いていったのである。

 かくして装いを新たにして再スタートしたKUA ANNUAL 2021であったが、新型コロナウイルスの世界的な流行によって、これまでのやり方の見直しを強いられることとなる。募集説明会や面接などはオンラインで行われ、実際に展覧会を実現することができるのかどうか必ずしも確かではない状況での再スタートであった。

 公募に際して服部が提示した募集テーマは「現状に対する表現者としての応答(Reaction / Response)」を表明せよというものであった。公募展のテーマとしてはいささか奇妙なこの課題に対して合計133組、189名の応募があった。そこから書類選考と面接を経て出展作家17組28名、アシスタント・キュレーター5名が選ばれることとなる。


 そのうえで改めて発表された今年度のテーマが「irregular reports――いびつな報告群と希望の兆し」である。それぞれの出展作品をこの間の変則的な状況に対する応答とみなし、そこに希望の徴候を見出そうとする今回のテーマ設定は、従来のそれとは性格を異にしていた。例えばKUAD ANNUAL 2020「フィールドワーク:世界の教科書としての現代アート」では、「フィールドワーク」すなわち「私たちが生きている現代世界を、自らの体験と観察、他者との対話等によって学ぶ」ことを企画の中核に据えていた。キュレーターが設定したテーマが作品を構想・制作する指針として機能していたKUAD ANNUAL 2020に対して、KUA ANNUAL 2021では、キュレーターのコンセプトよりもむしろ個々の作家の活動の個別性・多様性を尊重することがテーマとして宣言されているといって良いであろう。

 服部が明言しているように、このテーマ設定には参照元がある。それは第7回光州ビエンナーレ「Annual Report」(2008年)である。このビエンナーレにおいてディレクターを努めたオクイ・エンヴェゾー(Okwui Enwezor, 1963-2019)は、2006年から2007年にかけて世界各地で開催された巡回展を集めて展示・報告するという体裁で展覧会を作り上げた。それは、「展覧会についての展覧会」を作るためでも、「キュレトリアルな営みの原理原則」について議論するためでもなく、展覧会を「文化的・知的活動の根源的な表現」として捉え直すことを目的としていた(註1)。

 エンヴェゾーが展覧会を収集し、それを一年間の報告(Annual Report)として提示したように、服部は公募で集められた作家たちの作品群を「報告群」としてそのまま提示することを試みる。言い換えるのであれば、キュレーターとして明確な指針を示し、共通のテーマに従って展覧会へと修練させていくのではなく、あるいは現代アートの最先端へと導くのでもなく、作家たちの営みを「文化的・知的活動の根源的な表現」とみなし、それらを変則的な状況に対する応答の軌跡として多様なままに提示しようとするのである。

 定められた到達点へと作品を導くのではなく、それぞれの個別的で多様な営みに委ねていこうとする「KUA ANNUAL 2021」のあり方を、哲学者ヴィレム・フルッサー(Vilém Flusser, 1920-1991)の著書『サブジェクトからプロジェクトへ』にならって「プロジェクト」と呼び表してみたい(註2)。近代において人間は主体(subject)であることが求められた。神が世界の中心であった中世の時代から、人間が自らの力によって社会を作り上げていく近代という時代へ。近代という神なき時代の創造主として特権的な地位を与えられたのがアーティストという存在であった。しかしフルッサーは、近代的な主体のあり方についてサブジェクト(subject)という語の意を汲み「従属者」として理解する。近代という時代にあって人間という主体は自然を客体化し支配しようとする。その一方で、人間もまた自然法則に従属する存在なのである。フルッサーは、主体と客体を二元論的に対立させて一方がもう一方を支配するといった理解の仕方を避け、両者が分かちがたく結びついた新たな〈主体〉のあり方を、前へ(pro-)投げ出す(-ject)者、すなわち「投企者(プロジェクトProject)」と呼び表している。つまり、既存のルールや制約に従属しながらも、そこから身を逸らし新たな地平へと自らを投げ出していこうとする〈主体〉である。

 その意味において、『キュレータージャーナル』の第一号にスパイダーマンが取り上げられていたことは示唆的である。『キュレータージャーナル』とは、2020年10月以降、本展のアシスタント・キュレーターが毎月発行している刊行物である。KUA ANNUAL 2021の活動や参加作家の紹介を行うことを目的としているこのジャーナルの創刊号においてスパイダーマンは、参加作家の一人である長田綾美(大学院 染織分野)を紹介する記事中に「強力な糸を紡ぎだす神職人」として登場する。しかし、本展にとって何よりも重要なのは、その糸の強靭さではなく、糸を使って飛ぼうとするスパイダーマンの姿勢である。彼が飛ぼうとするその様子は、例えばスーパーマンとはまるで異なっている。スーパーマンが重力の法則など全く無視して自在に浮遊するのに対して、スパイダーマンは重力に従属しつつそれを巧みに利用し、位置エネルギーを運動エネルギーへと変換して自らの身体を前方へと投げ出して、飛ぶ。振り子の原理に従って虚空へと投げ出されたスパイダーマンは、再び手から糸を繰り出し自らを前方へと投企することになるのだが、時にその企ては失敗し重力に抗えず地面に叩きつけられることもある。自らの力によって主体的に飛ぶことのできないスパイダーマンは、重力に従属しつつも不確実な未来へと自らを投げ出し続ける「投企者(プロジェクト project)」なのである。

プレビュー展にて展示されたドキュメント映像と『キュレータージャーナル』。

 

 服部が公募者たちに投げかけた「現状に対する表現者としての応答」という課題。そこで求められていたのは、コロナ禍という変則的な制約に対して、それを引き受けつつ新たな可能性へと自らを投げ出していくことに他ならない。作品を制作し、展覧会を実現する過程には、新型コロナウイルス感染症対策や美術館のレギュレーションといった様々な制約が課せられる。そうした制約を精査しつつも隷属することなく、あるいは素朴に抗うでもなく、押し付けられる制約からしなやかに身を逸らし新たな可能性へと身を投じていく〈主体〉=「投企者(プロジェクト project)」であること。東京都美術館で開催される本展に出展される作品群は、作家それぞれの個別的な投企の軌跡=「いびつな報告群」なのである。その企ての全てがうまくいくかどうかはわからない。しかし、少なくとも「投企者(プロジェクト project)」であろうとするその姿勢にこそ「希望の兆し」はある。

 

註1:第7回光州ビエンナーレは3つのセクションに分かれており、セクション「On the Road」において展覧会の報告が行われた。他の2つはキュレーターの対話を軸とした「Position Paoers」、このビエンナーレのために制作された作品やパフォーマンスを扱う「Insertions」である。「光州ビエンナーレ公式ウェブサイト」(https://gwangjubiennale.org/en/archive/past/56.do、2021年2月2日閲覧)。

註2:ヴィレム・フルッサー『サブジェクトからプロジェクトへ』村上淳一訳、東京大学出版会、1996年。フルッサーの解釈については、アートプロデュース学科の阿部将伸先生の講義に示唆を受けた。

 

文:林田新(アートプロデュース学科准教授)、撮影:顧剣亨

 

KUA ANNUAL 2021「irregular reports いびつな報告群と希望の兆し」本展

 

会期 2021年2月23日(火)~26日(金)※予定
9:30~17:30
場所 東京都美術館

https://www.kyoto-art.ac.jp/kuaannual2021/

 

  • 京都芸術大学 広報課Office of Public Relations, Kyoto University of the Arts

    所在地: 京都芸術大学 瓜生山キャンパス
    連絡先: 075-791-9112
    E-mail: kouhou@office.kyoto-art.ac.jp

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