堅苦しいのは苦手、と芸能観賞もお茶会も敬遠してきたQさん。海外のお客さまから日本の伝統について聞かれると、ヒヤヒヤしていました。
「だけど歌舞伎だって、はじめは最新カルチャーだったんですよ」。
知るほどに新鮮な驚きがある「伝統文化」のこと。
日本古代・中世史を専門とする、通信教育部の野村朋弘先生に伺いました。
野村朋弘(通信教育部芸術教養学科 准教授)
北海道生まれ。幼少の頃から歴史好き。しかし「歴史では食べていけない 」といわれ工業高校に進学。上京し郵便局員として仕事をしつつ、大学で日本中世史を専攻。大学院進学にあわせて公務員を辞め、それからは持って生まれた器用貧乏さで、さまざまな領域に迷い込む。著書に『伝統文化』(淡交社)、『諡 天皇の呼び名』(中央公論新社)、編著書『日本文化の源流を探る』(幻冬舎)などがある。
Qさん:
伝統は大事にしなくちゃ、という意識はあるんですけど…。
どうも昔からあるものって、変わり映えせず、退屈な気がして。
野村先生:
「伝統」って、日常生活でよく耳にする言葉ですよね。たとえば百貨店などで開催される「伝統の味と技」とか。いかにも昔から守り伝えられてきた良いもの、という感じがします。
けれど、考えたことがありますか?「伝統」が “いつから” 伝統となるのか。
たとえば、いまの時代に伝統的な文化と考えられている「歌舞伎や茶の湯」。これらは中世の終わり頃、織田信長や豊臣秀吉の時代に誕生しています。歌舞伎は出雲の阿国、茶の湯は千利休がそれぞれの祖とされています。
じゃあ当時、これらの文化は「伝統的」だったのでしょうか?
いいえ、そんなわけありません。
まさにその時代の「最先端」カルチャーだったんです。阿国や利休は、いわば新進気鋭のパフォーマーやクリエイター、といえるかもしれません。
Qさん:
「茶の湯」が「先端」…。かなりギャップを感じますが、考えてみれば当たり前なんですよね。しかも、いまの流行りはどこまでつづくかわからないのに、何百年もつづいてるのって、すごいです。
野村先生:
じつは、現代の「伝統的なもの」には、2種類あるんです。
ひとつは、長い時代のなかで社会の状況や政治の動向といった世間の荒波に揉まれて生き残ってきたもの。たとえば「茶の湯」や「歌舞伎」は、これに当たります。
野村先生:
もうひとつは、新しく生み出されたものが、さも古くから続いてきたように称されて、いつの間にか人々にもそのように認識されたもの。何があると思いますか?
けっこう意外なものだったりするんですよ。たとえば、お正月に家族そろって出かけるイベントとか、いかにも日本らしい結婚スタイルとか…。
Qさん:
えっ、初詣とか神前の結婚式って、ずっと昔からあったものじゃないんですか?いかにも、古き良き日本文化の代表だと思っていたのに…。
野村先生:
がっかりさせて申し訳ないですが、初詣や神前結婚式が始まったのは明治時代以降。
江戸時代までは、神道より仏教の方が重んじられていました。明治時代になると、神道が古来からの日本の文化ということで、仏教よりも重要視されていきます。その中で初詣や神前結婚式が始まり、定着していきました。
野村先生:
ちなみに、日本の伝統文化において最大のターニングポイントとなったのは、一体なんだと思いますか?
Qさん:
あまり歴史には詳しくないんですが……
カルチャーショックといえば、やはり開国でしょうか?
野村先生:
そのとおりです。歴史学では、こうした分岐点のことを「画期(かっき)」といいますが、日本史上でも、伝統文化にとっても、最大級の画期が「明治維新」です。
数百年間、いや、もっと前から定着していたものもありますが、様々な生活様式や文化が西洋化して、近代国家になるんだという国の推進によって、大きく変化していきます。
野村先生:
イザベラ・バードという英国の女性探検家をご存じですか。彼女は明治11年に日本を訪れ、『日本奥地紀行』という旅行記を記しています。
英国人の目からみた日本が描かれていて、とても面白いものですが、その中で、バードは温泉や大衆浴場が男女混浴であることに驚いています。
いまの我々からしても男女混浴、といわれると驚きますよね。ただ江戸時代までの日本ではそれが当然、いわば伝統的なものだったともいえます。
他にも例えば「髪型」。
今の我々は自由に髪型を選ぶことが出来ますよね。しかし江戸時代までは、成人男性であれば髷を結うことがノーマルなことでした。これが明治4年に散髪脱刀令が発布され、「髪型を自由にしてもよい」という法令が出され、ようやく髪型は自由になったのです。身近な髪型一つとっても、大きな変化といえるでしょう。
Qさん:
そうすると、いま私たちが知っている伝統も、昔はまるで別モノだったかもしれないんですね?
野村先生:
もちろん。「歌舞伎」だって、そうです。
かつては、観客と同じ時代の人々が登場人物で、同じ身なりで舞台に立つ、いわば「現代劇」でした。いまの時代でいえば、スーツ姿のIT社長がテレビドラマの主役を演じているようなものでしょうか。それが明治以降に、人々が洋装へと変わったことで「時代劇」となりました。
さらに、先ほど言った明治維新で日本全体が西洋文化に傾倒していくなか、芸能の担い手たちはさまざまに生き残る努力をしていったんです。
かたや「茶の湯」を大きく変えたのは、スポンサーの交代です。江戸時代までのスポンサーは、公家や武家。けれど、武家の徳川家を中心とするヒエラルキーが崩壊した明治維新後、新しい富裕層が生まれたことで茶の湯も変化していきます。
「変わった」こと「変わらなかった」こと。
「途絶えた」もの「生み出された」もの。
「守られた」部分「捨てられた」部分。
一つひとつの変化を見ていくと「伝統文化が退屈だ」なんて思えない、ダイナミックなサバイバルを繰り広げてきたことがわかるはずです。
Qさん:
ありがとうございます。ずっと変わらないと思っていた伝統文化が、じつは、いろんな時代に磨かれたサバイバーだったなんて。かなり見方が変わりました。
野村先生:
もしかすると、ボジョレーヌーボー解禁やヴァレンタインデー、ハロウィンなど、近年海外から入ってきた文化も将来的には「伝統文化」になりうるかもしれませんよ。
野村先生:
単に「伝統は守るべきだ」という漠然とした思いは、どなたにもあるでしょう。けれど、どんな風に伝統がはじまったのか、どうやって生き残ってきたのかを理解すると、もっと身近に感じられるはず。支えてきた人々の想いや創意工夫は、いまの時代を生きるあなたにも役立つはずです。
野村先生:
どんな過去(歴史)があるかを知ることによって、いまの我々はここにいるのかを理解できると思います。そうしたなかで未来を考えて欲しいです。物質的ではない、真の豊かな生活を考える、その考えるのが「デザイン」の分野だと思います。
過去を知るだけではなく、また未来を考えるだけでもない、「過去を知って、未来へ向けて考えていく」という思考を大切にしていただきたいですね。
Qさん:
そういえば「デザイン」も、ちょうど気になっている言葉でした…。ぜひ教わってみたいです。
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