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時間を生み出すアニメーションから空間を生み出す彫刻へ
イラストレーター・アニメーターの米山舞(通信教育課程文化コンテンツ創造学科 イラストレーションコース講師)が、グランフロント大阪で、新進気鋭のアーティストの展示を行うプロジェクト「ART SCRAMBLE」の一環で、初めて屋外彫刻に挑戦している。米山は、『キルラキル』『キズナイーバー』の作画監督、『サイバーパンク : エッジランナーズ』『LAZARUS』のエンディング監督を手掛け、イラストレーターとしても活躍しているが、近年、現代アート的な展示や立体、空間表現にも力を入れている。
アニメーションからイラストレーション、さらに彫刻へ。メディアから空間表現へ、軽やかにその表現領域を拡張している。しかし、米山のアイデンティティや培われた「線」は失われない。なぜそのようなことが可能になったのか。
2025年12月6日から12月28日まで、米山がGINZA SIXの銀座 蔦屋書店(GINZA ATRIUM)で開催した個展「YONEYAMA MAI EXHIBITION "arc"」では、初めて立体作品を出品した。「arc」には、「円弧・曲線・成長過程」という意味が込められている。約2年前に、PARCO MUSEUM TOKYOで開催した個展「YONEYAMA MAI EXHIBITION "EYE"」では、デジタルイラストレーションをアクリルプリントをベースに、初めて大型のレリーフ作品やアクリル板を組み合わせた半立体の作品、さらに、シルクスクリーン作品を展示した。
その新しい挑戦を全面的にサポートしたのが、ヤノベケンジ(美術工芸学科教授・ウルトラファクトリーディレクター)率いる、京都芸術大学ウルトラファクトリーだ。ウルトラファクトリーでは、特別に「ウルトラプロジェクト」を組み、ウルトラファクトリーのテクニカル・スタッフと選抜された学生がサポートし、米山は新たな空間表現の世界に足を踏み出した。

その挑戦を継承し、「YONEYAMA MAI EXHIBITION "arc"」では、2.5次元的なレリーフから、完全な3次元彫刻《arc》(2025)を制作した。米山作品の一貫したテーマである「変身・代謝」を継承し、まさにアニメーションのセル画から、立体像が生まれ出ていくように、上に向かって上昇しながら変化していく様子が見事に立体化されていた。スパイラル状に回転して上昇する顔は3つほどあるが、それらは一人の女性の成長過程を表している。プリーツのように巻き付き、舞うスカートは、開花する花のメタファーでもあり、舞い上がる炎のメタファーでもあり、脱皮するサナギと蝶の羽のメタファーでもある。

その証拠に、一番上に伸びる手の上には、蝶が止まっている。様々な角度の視線を統合しているという意味でキュビスム的であり、動きを表しているという意味で未来派やマルセル・デュシャン《階段を降りる裸体 #2》(1912)なども想起させられるが、米山が参照したのは、速水御舟の《炎舞》(1925)であるという。《炎舞》は早世した日本画家、速水の代表作として重要文化財に指定されている。仏画や絵巻物で使用される火焔表現の様式と写実的な蛾、それが生み出す幻想的な世界が見事に統合されている。米山は速水の《炎舞》が好きで、所蔵されている山種美術館まで見に行ったという。そして、大正期にもかかわらず、今日にも通じるブラーなどのエフェクト的な表現に感銘を受けた。

米山の「彫刻」は、2次元の絵を重ねることでアニメーションという時間を生み出す表現から、立体へと展開させた表現であり、今まで誰もやったことのない手法であることは間違いない。実は米山のスケッチをもとに立体化されたデータを、細かく調整しながら出力して、作品に仕上げられている。
《arc》では、米山が描いた構想スケッチをもとに、北京在住の原型師であるpeipei(@peipeidon)が原型を担当している。米山のスケッチから3次元彫刻にするのは至難の技と思うが、米山の線の魅力を生かすことと、立体としての存在感を両立させているように思えた。それは2次元表現と3次元表現の両方の特性を理解していないと難しいが、peipei は数多くのフィギュア・造形作品の原型を手掛けており、そのエキスパートだといってよい。
特に彫刻がアニメーションと違うのは、立体の中に立ち現れる輪郭線や、視点の位置、画角といったものが、米山が決めたものではなく、観客の動く動線や視線に委ねられているという点である。もちろん作画監督でもある米山は、アニメーターに動きを指定する立場にもあり、間の時間と動きの描写は第三者がする場合もある。それ以上に立体化する造形師や観客に委ねられている範囲がはるかに多い。それでも米山の「線」が確かに残っている。米山は、平面作品以上に、観客が思い思いの場所から写真を撮影することが多いことに気づき、それだけ観客の想像力を刺激する余白の多い表現なのではないかと感じたという。
今回、「ART SCRAMBLE」のために制作する彫刻は、《arc》の続編ともいえる。グランフロント大阪の南館前にあるせせらぎテラスの池の中に展示する屋外彫刻であるため、さらに大きな挑戦となった。
環境を映し込むことで、イメージの中で動き出す屋外彫刻
「ART SCRAMBLE」では高さ約4メートルに及ぶ屋外彫刻《Reflection》(2026)を中心に、フラッグ、サイネージ、大階段のミューラル、さらに北館内に《arc》を展示し、建築空間の内外全体を用いて展開された。今までは、場所ごとに異なる作家が担当していたが、今回は建築とそれをとりまく環境全体を米山の世界観で覆う仕掛けだ。


展示は屋外空間に設置され、約一年間公開される計画である。今回のプロジェクトは、単なる立体作品の展示ではなく、アニメーション、イラストレーションという2次元表現が都市空間の中でどのように拡張されるのかを試みる実験でもある。また、屋外彫刻、屋内彫刻、フラッグ、サイネージ、大階段のミューラルと2次元と3次元の媒体を変えながら、イメージが浸透し、相互作用するように計算されている。
それは単純に平面や映像で表現されたイラストレーションやアニメーションを空間に展開しただけではないところが新しい。例えば、内と外で展開された彫刻作品は、平面作品ではないが、かと言っていわゆる彫刻作品でもない。平面から立ち上がる線と面の集積であり、言わば、静止画からアニメーションに至る、米山の創作プロセスを動的に表現したものだと言える。
さらに、屋外彫刻と室内彫刻と異なるのは、鑑賞者の動きだけではない。気候・天候の変化によって千変万化に光が変わる。池の中に設置された作品であるため、水面の反射もある。そして、西側のグラングリーン大阪を含めて、周辺の風景や、人々が遠近で通り抜けたり、立ち止まったりするまさに「スクランブル」によって、彫刻が様々な動きを見せるのだ。
もちろん、キネティックアートのように物理的に動くわけではない。しかし、鑑賞者の動き、光の変化、水面の反射などを映し出して、鑑賞者のイメージの中で、アニメーションのように動き出す。彫刻の輪郭線は、すなわち、米山の描いた線を起点に、様々な角度で見られることで、作画と作画の間を補完するアニメーションのような役割を果たすといってよい。つまり、彫刻を取り巻く環境が、彫刻を動かす再生装置になっているのだ。
《Reflection》は、グランフロント大阪の北館内に展示された《arc》とは、対となる表現といってよい。《arc》が内から外へと燃えるように立ち上る火のような表現だとすれば、《Reflection》は環境を反射し、取り込み、昇華していく水のような表現である。環境と観客を写し込んで、観客の鏡像になると同時に、自身を見つめる感情のエフェクトとなり、内省や熟考、内に向かって精神的な成長を促す。

それを体現するかのように、彫刻に巻きつけられた鏡面仕上げのステンレスの柱は、周囲の風景を反射し、複雑な曲線とプリーツの折り目が、日差しの状態によって、陰影もまた強くなったり、柔らかくなったりしている。あるいは、水面の反射がプリーツの底面に映り込み、ゆらゆらと揺れ動く。そして、輪郭線にあたる部分は、青とグレーを混ぜた繊細な色で塗られており、時折、米山の描いた「線」を際立たせる。
今回もpeipei と組み、米山のスケッチから3Dモデリングが制作され、2次元と3次元の両立を進化させている。米山は、peipeiiの仕事に対して「私の描く線の流れや躍動感、空気感を丁寧に読み取り立体に成立させている」と指摘している。
造形制作は、FES株式会社が担った。FESは増田セバスチャンやREMAなど数多くのアーティストの造形制作をてがけ、昨年は大阪・関西万博で話題となった、「いらっしゃいませミャクミャク」や「ワクワクミャクミャク」などの制作を担当している。2次元から3次元の造形物にすることに長けている点もポイントだろう。今回は、3Dプリント技術による樹脂成形とFRP加工が用いられているが、屋外展示における耐候性や強度を確保するために、視覚効果とのバランスをとりながら米山と再設計した。
さらに、FRPによる裏打ちの補強に加えて、繊細な造形と4メートルに及ぶ高さを維持するために、ステンレスによる金属構造が組み込まれた。反射の効果も兼ねた、うねるステンレス部分の制作は、彫刻家の後藤雅樹が協力している。また、コーティングによって紫外線や温度変化による歪みを防ぐための構造的工夫も施されており、軽やかな線の印象と物質としての堅牢性を両立させている。
それらはまるで、ファッションデザイナーが素材と職人を仲介しながら服を実現するように、自身の「線」の印象が立体にどこまで宿るかを絶えず問い続けながら、対話的に制作が進められている。突き詰めれば、彫刻としての自立性と、アニメーターの線としての印象、それらの両立こそが、この試みの難所であり、もっとも魅力的な部分だろう。

塗装においても、平面作品とは異なる判断が求められる。青い線を基調とした絵付けは陶磁器的な印象を帯びる。白色の器面に青色で模様を描いた陶磁器である、青花(せいか)、染付(そめつけ)といった印象である。
肌色を濃く入れすぎると、生々しくなりすぎるし、アニメ的連想が固定化されるため、あえて白くして、「余白」を残しているという。「アニメ的な絵なので、具体的にしすぎると、特定のものを想像させてしまうから」と米山は語る。つまり観客の中でイメージが膨らむよう抽象化の操作が行われているのだ。
本作では、遠くから見た印象や立体の面の流れを考慮しながら線の太さや濃度を調整し、均一に追うのではなく省略と強調を繰り返している。屋内と屋外で印象が変わることも制作を複雑にしており、夜間のライティングを含めた最終的な印象調整は現地での判断に委ねられた。そして、小雨が降る中、夜中の10時から翌朝の3時くらいまでクレーンを使用した設置が行われ、朝6時くらいまでライティングの調整が行われた。



夜の風景は、彫刻の見え方をまったく別のものにする。周りの風景が暗闇に沈み、ライティングによって、3DCGのように、角度によっては、米山の初期のスケッチに見える。つまり、イメージの原点へと遡行するのである。線の集積が平面に、平面の集積が立体に、そして空間へと展開していき、それぞれがアニメーションのように、生成変化しながら、行きつ戻りつするイメージの彫刻こそが、米山が成し遂げたことではないか。
米山舞の人と感情を動かす「線」
《Reflection》をウルトラファクトリーで制作中に、制作のポイントを米山に聞いた。米山の作品の中心にあるのは「線」である。アニメーションやイラストレーションにおいて、線は形を記述する基本的な要素である。しかし米山の線は単なる輪郭線ではない。そこにはアニメーション制作の現場で培われた独特の技術がある。
西洋美術の伝統的なデッサンでは、立体を理解するために多数の線が用いられる。陰影や量感を記述するための分析的な線である。それに対してアニメーションの線は、むしろ最小限の線によって形を成立させる。しかしこれは単純化ではない。米山が「全部パースに乗ってる」と指摘するように、アニメーションの作画は徹底的に3次元的な論理の上に成立している。
つまり、顔のアップであっても、カメラ位置とアイレベルが設定された状態で芝居が行われており、どんな角度から見ても遠近法上の整合性が保たれている。その3次元的な解釈を、最少の線によって「確定させる」ことがアニメーターの技の核心にあると米山は言う。そのパースの見えない線の上で、キャラクターの動きや感情を出すために、抑揚がつけられている。
そこで重要なのは「同一性」の問題である。キャラクターは角度や表情が変わっても同一の存在として認識されなければならない。そのため作画では、わずかな線の位置や角度の違いがキャラクターの印象を大きく左右する。米山はこれを記号論的な問題として捉えている。西洋的なデッサンが固定した対象を観察して転写するのに対し、アニメーションの線はキャラクターという「記号」の同一性を、動きや角度の変化を超えて維持しつづけるための装置である。比率、面の位置、三角形で取った構造上のバランス、こうした複数の要素が、角度が変わっても「このキャラクターだ」と認識させる線の条件を形成している。それは形が変わっても同じ文字と認識できることと同じである。
その技は、おびただしい試行の蓄積によって獲得される。「結局、とんでもなくたくさんの線を引いてきているから決められる。立体としても、キャラクターとしても完璧な位置にあるところを決め切る必要があるんです」と米山は語る。多数の試行錯誤の中から、最終的に「答え」となる一本の線を選び取る。決定的な線を引く以前の、無数の消えた線の蓄積が、最終的な「一本」に宿っているのだ。そしてこの「答えを確定させる線」の感覚こそが、今回の立体作品においても基軸となっている。
「フィギュアを作りたいわけではなくて、自分の"線"を立体にしたいんです」と米山は言う。ここで問題となるのは、2次元の線をどのように3次元空間に成立させるかという点である。平面作品では作家が視点を完全にコントロールすることができる。しかし立体作品では鑑賞者が自由に視点を変えることができる。そのため、作家が意図していない線や形が現れる可能性がある。


「自分が決めていない線が見えてしまうんです。でもそれが立体の面白さでもあります」と、米山はむしろこの状況を積極的に受け入れている。アニメーションではここを見てくださいという決定的な視点が作者によって与えられる。しかし彫刻では観客が自由に作品の周りを回り、作者が描いていない線や面を自ら発見する。その能動的な鑑賞の余地こそが、平面作品との本質的な違いである。米山の関心は彫刻としての量感よりも、作家の線の印象を3次元空間の中で成立させることにある。そのためには、空間それ自体というよりも、鑑賞者の心の中に線を描かなければならない。言い換えれば、この作品は「作家が空間を使って鑑賞者の心に描いた線の彫刻」と呼ぶべき試みなのだ。
アニメーションから空間表現へ至る日本の線文化
米山の試みは、日本の視覚文化の文脈の中で理解することができる。漫画やアニメーションの表現は、基本的には紙面や画面の中で成立するメディア依存型の表現である。それに対して彫刻やインスタレーションは、特定の場所や空間に依存する空間依存型の表現である。

近年、アニメーションやイラストレーションの作家が空間表現へと活動領域を広げる例が増えつつある。Netflixなどの配信サービスの普及によって、世界中の視聴者が日本のアニメ作品を同時に視聴できるようになり、旧作・新作に関わらない時系列を超えた形での再評価が始まっている。つまり、これまでの日本のアニメ・漫画文化の世界への影響がいまだ序章だったことを示唆している。
こうした状況において、漫画・アニメ・イラスト系の作家が空間表現へ進出するという流れは、重要な文化的転換を示している。かつて村上隆や奈良美智が行ったのは、現代美術のアーティストが日本のサブカルチャーを翻訳して作品化するという試みだった。しかしいま起きているのは、そのメディアを実際に担ってきたクリエイターが直接的に空間表現へ移行するという次の展開である。『タイムボカン』シリーズや『ファイナルファンタジー』で知られる天野喜孝のような先例はあるが、アニメーターとしてのキャリアを基盤に持ちながら彫刻へ向かう実践は、いまだ少ない。
米山は日本の記号的な線文化の独自性についても興味深い仮説を語っている。西洋的なアカデミックな技法を体系的に学び切らずに記号化してきたことが、日本独特の視覚表現を生んだのではないか、というのである。勉強を徹底するとディズニーのようなリアルな表現になる。しかし独自の解釈により記号化されたことで、解釈の余地が残り、観客が能動的に意味を補完するような表現が生まれた。平安時代の絵巻物や仏像のぼってりとした形、鎌倉彫刻の写実性、江戸の浮世絵の線など、日本の視覚表現は、外来の技術と自国の趣味性のあいだを往復しながら、独自の記号体系を形成してきた。米山の試みは、そうした長い視覚文化の系譜の中に位置づけることができる。
そして、米山の空間表現は、まさにメディア依存型と空間依存型のアートの二つの領域のあいだに位置している。2次元の線が3次元空間へと拡張されるとき、日本の視覚文化は新しい段階へと進むことになるかもしれない。
実践現場での共同制作による生きた学び
今回の制作には、昨年度のウルトラプロジェクトの目玉である、米山舞 × ヤノベケンジ「PROJECT ULTRA-W」に参加した学生も数多く参加している。

昨年春から、《SHIP’S CAT》に取り付けるステンレス片のカッティングや貼り付けなどを行い、立体造形の実践的な訓練を行ってきた。秋には、大阪・北加賀屋の大型現代アート収蔵庫であるMASK(MEGA ART STORAGE KITAKAGAYA)で開催されたオープンストレージ「Open Storage 2026」や文化祭では、ヤノベケンジの《SHIP’S CAT》シリーズをモチーフに学生たちが独自のグッズを制作した。学生の手作りのグッズが飛ぶように売れたことで、それを元手に米山の個展への研修旅行も泊りがけで行くことができ、大きな手応えを得てきた。なかには、《SHIP’S CAT》の着ぐるみをつくった学生もいる。
そして《Reflection》の制作にあたって、米山の監督、ディレクションのもと、彫刻の表面に描かれるアクリルの線の塗装作業の補助を学生たちが担当した。延べ約20人が入れ替わりで作業に参加し、塗装や仕上げを担った。


参加した学生たちの専攻はキャラクターデザイン学科や情報デザイン学科、美術工芸学科など多岐にわたる。しかし、立体作品でしか得られない魅力を感じている学生が多い。もちろん今まで見てきたアニメーションやイラストレーションの影響で米山への憧れはあるが、なにより米山が新たな挑戦をしている点にも刺激を覚えている。しかも自分たちもその現場に立ち会い、参加できるのである。
一見すると単純な彩色作業のように見えるが、実際には高度な判断が求められる。線の太さ、濃度、遠景での視認性、面のまとまりなどを考慮しながら、立体の形に合わせて線を再構成していく必要がある。米山は、作品の周囲を歩きながら線の見え方を注意深く確認し、自身の「線」が空間の中で再現されるよう、学生たちに部分的に太くしたり濃くしたり、グラデーションをつけたりするなど繊細な指示をだす。学生たちも米山とコミュニケーションをしながら適切に塗装作業の補助をおこなっていく。このような作業を通じて、2次元表現と空間表現の違いを身体的に理解していくのである。「才能なんてどこで開くかわかりませんよ」と米山は言う。彫刻への関心が芽生えた学生、3DやCGへの新たな回路を見出した学生など、現場への参加がそれぞれに異なる扉を開いている。そして何より重要なのは、一流のクリエイターが、どのレベルを完成としているのかを体感できることだろう。

この実践は、京都芸術大学の教育プログラム「ウルトラプロジェクト」の理念とも重なっている。ウルトラプロジェクトは、第一線で活動するアーティストやクリエーターのディレクションのもと、社会の中で実装されるプロジェクトに学生が参画する実践的な教育プログラムである。ウルトラファクトリーのディレクターであるヤノベは、現場で作品制作に関わることこそがもっとも実力を伸ばすと考えており、今回の制作も、その理念を体現する現場の一つといえる。米山は、多くの学生を指揮しつつ、なごやかな雰囲気を保っていた。アニメーションの現場でも監督や作画監督を通して、大人数を指揮している経験もあって、学生との共同制作もディレクションをすることで、クオリティの担保に加えて、教育効果を上げていたといってよい。学生たちも、このプロジェクトをきっかけに固い絆で結ばれており、将来も一緒に何かをつくりたいと語る。
2026年3月23日の朝、作品はグランフロント大阪のあるせせらぎテラスの池に設置され、午後から学生は実際の空間に展示されている作品を学生たちも見に来ていた。設置された作品を見て、学生たちは今までにない手応えを感じていた。自分も創作に関わった作品が街中に展示されているところを見ると、うきうきとして誇らしく感じると学生たちは感想を語っていた。そして、屋外という様々な要素が反映される場所によって、見え方が刻一刻変化し、彫刻がアニメーションのように動いているように見えることにも新鮮な感動を覚えていた。多くの学生が、このような機会はなかなか得られないもので、人生や進路が変わると感じている。興味深いのは、米山を含めて、屋外の空間に置くことの強さを認識していることである。その感覚こそが、テレビや映画、ゲームといったメディアでは得られない、空間の持つ魅力だろう。

米山の関心は「物体単体」から「空間全体」へと広がっている。動線、建築、季節といった環境そのものを含めたインスタレーション的な展示への可能性を感じているのだ。さらに、芸術祭や写真祭があるように、例えば「お祭り」があってもいいのではないかと言う。それもまた実際の空間での表現の一種であろう。それはコミケなどの参加を通して、実践してきたことでもある。AIなど人工の表現が急増するなか、「自分のジャンルで人が集まる仕組みを作らないといけない」と米山は言う。新しい文化を構築するための企画も構想中であるという。
米山舞の今回の展示は、アニメーション、イラストレーション、彫刻という異なる領域を横断しながら、2次元の「線」が3次元空間へと変化するプロセスを可視化する試みである。それは同時に、日本の視覚文化がこれからどのように空間表現へと展開していくのかを示す、一つの重要な指標であり、新たな生態系が生まれる大きなターニングポイントになるかもしれない。
(文:三木学、提供写真:株式会社ドリル、※写真:広報課撮影)
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