INTERVIEW2024.07.25

アート

「近代日本美術」の可能性をアジア、シンガポールで切り拓く。孫天宇「I.F. Gallery」の挑戦

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  • 京都芸術大学 広報課

日本のドキュメンタリーから日本画へ

中国南京出身で、京都芸術大学大学院芸術文化領域映画研究科を修了した、孫天宇(そん・てんう)さんが、シンガポールで自身のギャラリー、I.F. Galleryをオープンした。それには、京都芸術大学で得たさまざまな出会いや経験が大きく関係しており、主に近代の「日本画」を扱い、若手作家の支援もしていくという。

近代の「日本画」は、明治時代に「洋画」と対置する形でその言葉と概念がつくられ、江戸時代まで続いていた日本絵画の諸派を統合して、アーネスト・フェノロサや岡倉天心が創始したものといってもよい。それが現在、アジア市場において大きな可能性があるという。孫さんの大きなビジョンと日本美術の可能性についてお伺いした。

京都芸術大学では映画学科を専攻したのはなぜだったのだろうか。

「中国の南京出身なんですが、日本のドキュメンタリー映像が好きだったんです。NHKの『ドキュメント72時間』などをよく見ていました。中国ではドキュメンタリー映像は宣伝のようなものが多く、全然違っていたので、日本に来て勉強したいと思ったんです。」

大学時代は、ドキュメンタリー映像作品で、片岡真実(森美術館館長、国立アートリサーチセンター長、京都芸術大学大学院客員教授)がキュレーションを担当した「KUAD ANNUAL 2020 フィールドワーク:世界の教科書としての現代アート」(東京都美術館)にも選出されている。そこからなぜ「日本画」のギャラリーを開設するようになったのだろうか。

「京都芸術大学では、卒展の作品を販売していますよね。友人だった日本画家の川瀬美帆(大学院美術工芸領域日本画分野修了)さんの展示作品をInstagramで見た中国の友達が、ほしいと言ってきたんです。それで作品の売買を仲介し、その時に日本画の可能性に少し気付きました。」

卒業後は、映像制作会社を経て、六本木のアートや工芸の小売業の仕事につく。その後、銀座にある老舗の画廊、「ギャラリー和田」に就職する。ギャラリー和田は、日本画、洋画、彫刻など、近現代の日本の作家を数多く取り扱っている。

「日本画の知識は最初全然なかったんですが、ギャラリー和田はたくさん作品を倉庫に保管しているのでそれを全部見ていったんですね。それで作品のクオリティについてわかるようになりました。入社して最初の年に、一人で5000万円~6000万円程の売り上げを出すことができたんです。」

それは孫の天分の商才に加えて、「日本画」という商品のポテンシャルにもよるという。

「日本画のクオリティは非常に高いにもかかわらず、価格が安いと思います。大学の准教授レベルの作品でもかなり安かったりします。中国ではおそらく倍以上になるでしょう。だから質は高いけど安いとみられるんです。私が作品を販売したのは、中国を含めてほとんど外国のコレクターでした。さらに、コンテンポラリー・アートと違って、何が描いているのかが具体的で美しく、その技巧のレベルがアートファンでなくてもわかるのも魅力です。」

日本画は、戦後、かつての官展(文部省美術展覧会、帝国美術展覧会など)を継承した日展(日本美術展覧会)や岡倉天心が設立し、横山大観が再興した日本美術院のが主宰する院展などの団体展や公募展で主に発表され、画廊や百貨店などで販売されてきた経緯があるが、バブル経済がはじけて以降は長い低迷期にあった。日本画出身の画家の中には、村上隆のように、国際的な現代アートの市場に活路を見出し、成功したものもいる。しかし日本画は、国際的にはほとんど知られてないという。それがアジア市場の台頭によって新たな可能性が開けているというのだ。しかし、中国では「日本画」に相当するものはないのだろうか。

「中国では、水墨画はありますが、現在、日本画で使用されている岩絵具は高価なのでほとんど使われていないんです。アクリル絵具のようなものを使っていますし、今はコンテンポラリー・アートの方が盛んです。だから中国でも日本画は珍しいです。また、欧米圏だとカンヴァスに油絵で描いた作品の価値が高く、日本画は水彩画の一種とみなされて価値が下がります。でも、アジア圏だと伝統技法を使ったものとして認識されます。」

日本画のもう一つの特徴として、額に入れられているということもある。明治以前は、床の間などに掛けるため軸装されたり、屏風になっていたりするものが多い。それをカンヴァスと額によって成立していた洋画に対抗するため、日本画も額をつけるようになった。明治以前の掛け軸による作品もよいが、たしかに床の間のような飾る空間がない、壁面主体の空間の場合、額装された作品の方がいいだろう。戦後の日本は特にLDKなどの新たな生活様式ができたこともあって、茶室や床の間があったりするような和風の室内空間は急速に減った。そのような額装の日本画が、アジア圏の新しい生活様式に合ったということもあるだろう。

東南アジア圏の先進地、シンガポールでのギャラリー開設

そしてギャラリー和田で3年間勤め、さらなるアジアマーケットでの販売を目指して、シンガポールに自身のギャラリーをオープンすることにしたという。

「中国や台湾での出店も考えましたが、シンガポールは東南アジア唯一の先進国で、ヨーロッパやオーストラリアの顧客もいるし、広がりがあると思いました。7月にオープンしてすでにシンガポールの富裕層に絵を数枚買っていただいています。」

取り扱う作家には、横山大観、加山又造、杉山寧、高山辰雄などの戦前戦後の日本画家、藤田嗣治、鴨居玲、福井良之助などの洋画家が並ぶ。実は、近代の日本画を主に扱う画廊が海外に出店するのは、ほとんど初めてのことだという。ミヅマアートギャラリーなどは、シンガポールにも店舗があるが、コンテンポラリー・アートの取り扱いを専門としている。日本の画廊の商習慣として、美術商協同組合のような組合に所属して、画廊同士が美術品を取引する作品交換会がある。それは一般の方にも開かれたオークションではなく、同業者による売買によって成り立っており、その交換会に外国人として参加しているのは孫だけであるという。

「おかげさまで画廊の皆さんにも応援していただいています。そういう意味では、私は日本の文化を海外に売り出す架け橋になりたいんです。I.F. Galleryという名前は、「始まり」を意味するInception と「予見」を意味するForesightの頭文字をとっていて、日本の近代美術を主な取扱作品としつつも、未来を切り開く若い才能もどんどん紹介したいと思っています。」

場所はマリーナベイ・サンズにも近いベイエリアの高級商店街地区で、イギリス植民地時代のクラシックな建造物を改装している。1階で展覧会を開催し、2階では特別な商談のためのVIPルームを用意しているという。その改修の設計を担当したのが、京都芸術大学で同期の建築家である内納耀平(うちのう・ようへい)だ。内納も、「KUAD ANNUAL 2020 フィールドワーク:世界の教科書としての現代アート」に椿野成身(つばきの・なるみ)と共に出品している。内納は、京都市立芸術大学の教授である島田陽が率いる、タトアーキテクツ / 島田陽建築設計事務所に在籍後、独立して建築家として活躍している。

「ここに出店するために、さまざまな契約業務があり、4月からの短い時間で内装工事をしなければならなかったんです。それで大学時代から親交があり、信頼している建築家の内納さんに設計を依頼しました。出来上がりにも満足しています。」

実は、内納だけではなく、京都芸術大学で築いたネットワークが存分に生かされている。オープンに合わせて、ギャラリーの顔になるように、ヤノベケンジ(美術工芸科教授、ウルトラファクトリー・ディレクター)に「SHIP’S CAT」シリーズの新作を依頼したのだ。

「ヤノベ先生の作品は大学時代から好きでした。特に《ジャイアント・トらやん》(2005)のような巨大な作品を一人でつくることもすごいし、作品の完成度が高い。だから、自分がギャラリーを持つときは、ヤノベさんの作品を飾りたいと思っていたんです。それでここの場所を借りることができた後、サイズをヤノベ先生にお伝えして、《SHIP‘S CAT》を制作してもらいました。」

 

東南アジア圏を牽引するシンガポールの《SHIP‘S CAT》と猫人気の爆発

それがギャラリーの入口を入ってすぐに鎮座している《SHIP‘S CAT》の新作、《SHIP‘S CAT(Navigator)》(2024)だ。《SHIP‘S CAT》は、大阪中之島美術館をはじめ日本各地で恒久設置されたり展示されたりしている。海外でも上海やメキシコに恒久設置されており、パリ(フランス)、光州(韓国)、屏東(台湾)などの展覧会でも発表されている。もともと古代から人間と共に旅をした「船乗り猫」がモチーフになっており、福を運ぶ「旅の守り神」として制作されたもので、東南アジアの交通と交流の要所であるシンガポールとも相性がよい。

「ヤノベ先生は、シンガポールという土地に合わせて、(かつて船乗りが航海のために目印にした)星と月のマークを両肩に入れてくれました。同時にそれはシンガポールの旗のマークでもあります。そして頭の後ろには太陽が描かれています。シンガポールは東南アジアをリードする、ナビゲートする役割でもありますし、ぴったりの作品だと思います。」

ギャラリーの入口に置いてあるため、巨大な猫の彫刻を見て、気になって入ってくる人もいるという。まさに看板猫、招き猫であるといっていいだろう。7月1日のオープン時にはヤノベも訪れたが、実は設営にはアーティストのREMA(大学院修士課程美術工芸領域映像メディア分野修了)が立ち会って組み上げたという。

「REMAのような若い作家もどんどん紹介したいと思っていて、来年には個展を計画しています。それはギャラリーのもう一つのコンセプト、Foresight、Future、未来への投資になりますが、物故作家だけではなく、若者の応援もしていきたいと思っています。」

《SHIP‘S CAT》もすでに注目されており、何人かのいくらなのか聞かれたという。

「ヤノベ先生の展覧会も来年できたらいいなと思っています。ヤノベ先生の作品なら、シンガポールでも必ず人気が出るんじゃないかと思います。そして、今年からシンガポールでも猫大爆発なんです(笑)」

ヤノベケンジ《BIG CAT BANG》2024 GINZA SIX(東京)    撮影:Yasuyuki Takaki

猫大爆発とは、銀座のGIZA SIXの中央吹き抜けで展示され話題を呼んでいる巨大インスタレーション《BIG CAT BANG》を念頭においたものだ。現在、生命の誕生と旅をテーマにした《BIG CAT BANG》の背景にある世界を解きほぐす展覧会「太郎と猫と太陽と」展が岡本太郎記念館でも開催されており、初日から多くの人が来場している。

銀座に現れた宇宙。岡本太郎の遺伝子を受け継ぐ、生命誕生の爆発!ヤノベケンジ「BIG CAT BANG」

ヤノベのつくったストーリーは、岡本太郎が制作した《太陽の塔》の内部にある「生命の樹」の前の世界を表したものだ。ビックバンから地球に生命が誕生する過程で、「宇宙猫」が命の種を地球に運び、5度の大量絶滅を乗り越えて、人類が誕生するまで大きな役割を果たすというのだ。それはヤノベの妄想的なストーリーではあるが、大阪万博で《太陽の塔》が制作された1970年頃は、地球の中の物質から生命が誕生したと思われていた。しかし近年では、パンスペルミア説(宇宙汎種説)という、生命に必要な物質が、彗星や隕石などを通して、外から地球に飛散したのではないかという説も有力になっている。世界中に人間と旅をした猫は、生命の種を運んだ彗星や隕石のメタファーということになる。「太郎と猫と太陽と」展では、実際の隕石を使用した彫刻作品が展示された。

「展覧会はとても面白かったです。ヤノベ先生の猫の作品は、シンガポールでもすごく受けると思います。というのも、シンガポールでは政府が建てた集合団地と、民間が建てたマンションがあるんですが、集合団地では今まで猫が買えなかったんです。だから猫好きな人も猫が買えないことが多かったと思います。それがなんと今年から、猫が一世帯につき2匹まで買えるようになったんです。」

まさに偶然の一致であるが、ヤノベの作品にはそのような偶然の出会いや出来事が凄く多い。それは《SHIP‘S CAT》という、「旅の守り神」がもたらしたことでもあるだろう。孫は、シンガポールの後は、ドバイでの出店を計画しているという。

「ドバイは、シンガポールよりもさらに大きな市場があります。好まれる作品はまた少し違うかもしれませんが、とても可能性があると思っています。その時は、またヤノベ先生に作品を依頼したいなと思っています。」

孫の挑戦は、まだ小さな一歩かもしれないが、人によっては歴史的な役割を終えたと思われていた、「日本画」がむしろここから新たな歴史をつくる可能性を秘めた大きなものだ。孫は、これまでの20年間は、コンテンポラリー・アートの市場が広がったが、これからは、日本の近代絵画が注目される可能性もあるという。また、それは西欧的なアートの価値観から、アジア的な美術・芸術の価値観が見直されることでもあるだろう。そのような歴史的な文脈と役割を大きく変えるキャスティングボードを孫が握っているかもしれない。日本とアジアの懸け橋となる孫の今後の活動に期待したい。

(聞き手・文=三木 学)

 

 

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