INTERVIEW2024.06.26

京都

KYOTO T5 京都のスープ #33 一文字屋 和輔

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  • 京都芸術大学 広報課

伝統工芸の本当の姿に光を当て、「かわいい伝統」「かっこいい伝統」「おしゃれな伝統」を世界に持っていく京都伝統文化イノベーション研究センター(T5)が発信するコラムを瓜生通信にてお届けします。

今回は、「京都のスープ|一文字屋 和輔」をぜひご覧ください。

 

「商売を手広くしていないというのも、ここを守るために私どもの家はあるので、他に何かする必要もまったくないし、ここさえ守れば良いという意識は持っています。今宮神社さんの境内の参道の前にお店があるということが一番意義のあることだと思いますね」
今宮神社と共に1000年。一文字屋 和輔の25代目女将・長谷川奈生さんにお話を伺いました。

#北区 #お茶 #和菓子 #お土産

 

1000年とあぶり餅

京都市営バス46系統「今宮神社前」から徒歩3分。今宮神社の参道にある二軒あるあぶり餅のお店の一軒、「一文字屋 和輔」通称、一和(いちわ)。
日本の1000年企業にもあげられる老舗中の老舗です。

一和さんの起こりは西暦1000年当時はまだ今の名前ではなかったそうです。その元点のあぶり餅屋の最初は今宮神社の創建時である平安時代まで遡るといいます。
始まりは初代一文字和助が、香隆寺という寺の名物だったおかちん(勝餅・かちもち)を疫神を祀る今宮神社に供えたこと。
今宮社への参詣が盛んになっていき神饌(しんせん:神様にお上げする供物のこと)としてお供えしていたあぶり餅にご利益があると考えられ、神事の一環としての名物和菓子として現在に繋がっています。

 

 

昔の資料は武家や貴族でないと資料が残っていないのだそうで、最古で一和さんの資料の記録に残っているものは江戸時代の都名所図会になるのだそう。
都名所図会は今から250年ほど前の当時のベストセラーガイドブック。そこに一和さんが載っていたのだとか。
「参道も店の場所も今とまったく変わっていませんね。資料の絵の中にのぼりが立っていてだんごと読めると思います。これがあぶり餅なんです。現存している資料の中で間違いのないと言われているのがこれくらいしかないんです。」

インタビューを受けてくださった女将である長谷川さんは数えられる内で25代目のおかみさん。25という数字に驚きが隠せません。

「まだ長谷川という苗字をいただいていない時は、当主は全員一文字屋さんの和輔さんと呼ばれていました。だからわかるだけで一文字屋和輔という名前で25代続いているということです」

 

 

やっぱり二軒あったほうが絶対にいいじゃない

今宮神社の参道の魅力的なポイントは、道を挟んで両向いにあぶり餅屋があることだと私は思っています。両側のお店からおいしそうな餅を炙る香りがたち、京ことばの柔らかい「おおきに」「またきとおくれやす」が飛び交っています。

あぶり餅屋が一和とかざりやの二軒茶屋になったのは江戸時代中期。「玉の輿」所以というお玉の方、のちの桂昌院様が関わっているのだそう。
江戸時代中期、今宮神社の氏子でもあった西陣のお玉の方が3代将軍・徳川家光に見初められお輿入れをされました。当時の今宮神社はずいぶん傷んでおり、桂昌院様がきれいにされ神社仏閣の復興に尽力されたという史実が残っているそうです。

「今宮神社がきれいになったのだから、もっと今宮神社を盛り上げようということで二軒のあぶり餅やになったのです。一軒だけよりはやっぱり二軒あったほうが絶対にいいじゃないですか。神様と共に今宮神社さんと共にここまでやってきているんです」 

 

 

守り、繋ぐ

 

あぶり餅は11本とお茶がついて600円。
11本は多く見えるけれど、甘塩っぱい白味噌ときなこがマッチして余裕でもう一皿食べられてしまうくらいおいしいです。
11本という数の理由は、平安時代の陰陽道では奇数が陽の数字だということに由来しています。昔から日本では縁起の良い数字が奇数なので、わざわざ11本にしているのだとか。

昔は何本で出すかは決まっておらず何人かでバサっとお皿に乗せて提供し、お気持ちのお茶代としていくらか置いていってもらうみたいな感じだったのだそう。

戦後、お金をいただくようになって何本かということを決めたのだとか。
ここでひとつ疑問が生まれます。
「1000年続けるのに利益を出さずにやっていたら、破産してしまうこともあるのではないか」と。
そこには守り、繋いできた歴史の中の名もなき人々の人生がありました。

「昔は男は外に働きにいって、生活するためのお金を稼いでくるっていうのが習わしでした。女は家を守る。それでお金を貰わずにお店をやっていけたんです。そうすれば稼がないといけないっていう欲深さはでてこない。じゃないと続いていかないですね。今の感覚だと男尊女卑よ。でも昔はそれで神社に仕えるという使命を全うしていたんです」

 

共に今宮さんを支える

向かいのかざりやさんとの違いを感じたことはあるのかと、失礼を承知で伺ってみると「ごめんね、かざりやさんのあぶり餅は食べたことがないんです」と長谷川さん。

「お向かいさんも今宮さんあってのあぶり餅です。ただ、食べることは別。私が向かいで餅を食べていたら気まずいでしょう。だからお客さんに違いを聞かれてもうちにはうちの作り方や考え方、お向かいさんにはお向いさんの作り方や考え方があるんですって言っています。お味噌だったり、焼き方だったりお茶だったりも違うだろうし」

「向こうのおばあちゃんにはかわいがってもらって遊びに行っていたし、回覧板も町内会も一緒。みんなライバルなんじゃないかと思われるかもしれないけど、何百年ってお向かいで商売していていたらライバルにはなりません」

京都には多くの同種の商品を扱うお店がありますが、こんなに近くで何百年も営んでいたら、ライバルというより共に乗り切る友のような存在になるのかもしれません。

 

変わったものと変わらないもの

長い歴史のなかで、一和さんの変わらないものをお聞きしました。
「変わらないものは焼き方です逆に違いというのはお砂糖が入ったことですね。昔は平民にお砂糖は食べられませんでしたから。今召し上がっていただいているものは江戸の中期くらいのあぶり餅です。そこからは変わっていません」

こだわりは余分なものを何も入れないこと。神様にお供えするもののため、何日ももつようには作っていないのだそう。神様からのお下がりとしてそのまま召し上がってほしいという想いがあります。

逆に変わったものをお聞きすると、蒸し器と餅つき機の導入だと少し恥ずかしそうに教えてくださいました。
「昔は臼で餅をついていたんですよ。私が中学生くらいの頃とかはね。今はお客さんも多いので体を壊してしまう。60年前っていうのは今みたいにお客さんがくるわけでもなかったので、その時その時でお餅をついていたんですけどね」

 

ここにいてるからこそ、あぶり餅

日本の老舗・1000年企業で名前があがる一和。大切に守っていきたいものは、やはり神様と共にある意識だと言います。

「商売を手広くしていないというのも、ここを守るために私どもの家はあるので、他に何かする必要もまったくないし、ここさえ守れば良いという意識は持っています。だから、老舗=大金持ちと思ったら大間違いですよ。今宮神社さんの境内の中にお店がある。なぜあぶり餅ができたのかということが大切なので、東京やデパートで売ってもなんの意味もありません。今宮神社さんの境内の参道の前にお店があるということが一番意義のあることだと思います」

「今宮神社に行くからこそ、ここで食べたいとおっしゃっていただけるのはありがたいですね。お参りに来て1年間の無病息災を祈って召し上がっていただき「おいしかったし、また来ような」って言ってもらえることが私たちの誇りです」

今宮神社の参道には、かつてと同じように今日もどこか懐かしいあぶり餅の香りが漂っています。

 

 

 

京都のスープ
#33
一文字屋 和輔

文:
建木紫邑(クロステックデザインコース)

写真:
建木紫邑(クロステックデザインコース)

 

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