台湾の風景を映し出す新たな女神(Muse)
2023年8月19日、台湾の最南端、屏東県(ピンドンけん)にある屏東海口港の看海美術館で、ヤノベケンジの台湾初となる個展「SHIP’S CAT in Pingtung」が開幕した(11月19日まで)。初日には、周春美(しゅう・しゅんまい)屏東県長も訪れ、大々的な開幕式が行われた。周県長は、猫耳のカチューシャをして登場するなど熱烈に歓迎。ヤノベが初の個展を看海美術館で開催したことに感謝の意を表し、看海美術館がアートの世界でさらに輝くことを信じていると挨拶した。ヤノベもスケジュールは厳しかったが、看海美術館の環境を見て一目惚れし、展覧会をすることを決めたと応えた。すでに台湾の多くのメディアで取り上げられており、オープン前には行列が生まれ観光客が押し寄せている。会期中、15万人を超える人々が訪れるという。
看海美術館は、高雄市から台湾最南端の観光地、墾丁国家公園に行く中継地点でもあり、多くの人が立ち寄る漁港だ。もともと海口港の待合室だった建物を改装し、ガラス張りにして海が見えるようにした。また、屋上からは、恒春半島の山々や南シナ海を望むことができる。台湾南部の遊休地の活用や観光政策の拠点になっており、今まで「屏東落山風芸術祭」に合わせて、風の力で動く「ストランドビースト」で知られるテオ・ヤンセンや大岩オスカールなどの国際的なアーティストを招聘している。今年は、ヤノベが選ばれたというわけだ(実は、墾丁国家公園の恒春半島南東部の岬には、岩場の横にあるサンゴ礁が「しゃがんでいる猫」に見えることから、「猫鼻頭」という海岸がある)。
ヤノベがこの展覧会のオファーを受け、4月に下見に行ったとき、看海美術館を見て新作の構想が浮かんだという。看海美術館は、100mほど隔ててシーサイドギャラリーとパヴィリオンの2か所に分かれており、両方見ることができる。
(撮影:KENJI YANOBE Archive Project)
シーサイドギャラリーは海に向かって、船首のようにデザインされ、ガラス張りになっており、外の風景がよく見える。そこに新たに制作された《SHIP’S CAT(Ultra Muse)》(2023)が置かれ、新型コロナウイルス感染症による移動制限の緩和後で大挙して訪れる人たちの写真スポットになっている。
《SHIP’S CAT(Ultra Muse)》は、見返り猫のポーズをした全長3.8mに及ぶ大型彫刻で、総ステンレス張りだ。そのため、全身が周囲を映し込み、設置された環境自体を、映えさせる効果がある。さらに、埋め込まれた緑の眼が神秘的だ。3作の新作を含めて、《SHIP’S CAT》を大々的に展開した、ヤノベケンジの台湾初となる展覧会までの経緯を紹介したい。
大阪の新たなシンボルになった《SHIP’S CAT(Muse)》
福を運ぶ、旅の守り神としてつくられた《SHIP’S CAT》シリーズは、2017年福岡の若者向けのユースホステル、WeBase博多のために恒久設置されたことから始まる。博多が、日本で最初に港がつくられ、大陸との交流の起点となっていたこと。さらに、猫が船に乗せられて世界中に伝播し、日本も遣隋使や遣唐使と一緒に多くの猫が渡って来たことを知り、若者の旅を見守り、良い出会いや経験になるよう導いて欲しいという願いを込めたのだ。そして、将来的には宇宙や海中にも旅に行く時代に向けて、ヘルメットやスーツをとりつけた。
特に、大航海時代、人類の旅は地球全体に広がった。その際、疫病の蔓延や貨物や食料を食べるネズミ退治するために猫が乗せられ、「SHIP’S CAT」と呼ばれていた。それが作品名の由来だ。「SHIP’S CAT」は、ネズミ退治だけではなく、長い船旅において、時に頼もしい仲間であり、時に心を癒すマスコットでもあった。さらに、天候などを予知することから、守り神のようにも扱われてきた。実際、古代エジプトにおいて、初めて家畜化されたと言われる猫は(諸説あり)、船に乗せられ、バステトのように神格化されているケースもある。
《SHIP’S CAT》シリーズは、最初に発表した2017年の博多を起点に、福島、鎌倉、京都、大阪、東京、広島、香川など国内を巡回したり、恒久設置されたりするようになる。さらに、パリや韓国でも展示され、上海でも恒久設置された。まさに、世界を旅しながら、福を運んできたといってよいだろう。なかでも、2022年開館した大阪中之島美術館に恒久設置された、《SHIP’S CAT(Muse)》(2021)は開館以来、多くのメディアに取上げられ、すでに美術館だけではなく、大阪のシンボルとして知られるようになってきている。
美術館の「福」をもたらす招き猫《SHIP'S CAT(Muse)》
2022年2月2日に開館した大阪中之島美術館は、1983年に基本構想がつくられてから約40年、財政難により計画が一時凍結されるなど、紆余曲折を経てようやく実現にこぎつけた。しかし、100年ぶりのパンデミックともいえる、新型コロナウイルス感染症が流行し、オープンしたのは「第6波」のピークの頃だった。それにもかかわらず、蓋を開ければ開館記念展で入場者数12万人に達し、約10か月で50万人を超えた。
そして、オープン1年目の業績が黒字になったというニュースが流れた。実は、大阪中之島美術館は、国内の美術館や博物館では初の、公設民営の「PFIコンセッション方式」が採用され、年間運営事業費7億のうち3億円は大阪市がつくった大阪市博物館機構が支払い、残り4億円はPFI事業者が展覧会収入などの事業収入で賄わないといけない。その高いハードルを何とか超えたのだ。その黒字化には、美術館のシンボルとしてたてられたヤノベケンジの《SHIP'S CAT(Muse)》も大いに貢献しているといえる。というのも、展覧会以外の集客を図るため、《SHIP'S CAT(Muse)》が設置されている2階の芝生広場では、頻繁に近隣家族のためにマルシェが開催され、宣伝用チラシや景品として《SHIP'S CAT(Muse)》のアイコンが使用されており、ヤノベもドローイングなどで惜しみなく協力しているからだ。
1周年記念イベントでは、《SHIP'S CAT》シリーズの「世界最速の彫刻」をコンセプトにした電気自動車、《SHIP'S CAT(Speeder)》(2023)と乗車している《SHIP’S CAT(Crew/White)》(2023)が特別展示され、同時にレゲエミュージシャン、三木道三(DOZAN11)が《SHIP'S CAT》をイメージして原作を書き下ろし、ヤノベが原画を描いた絵本『SPACE SHIP'S CAT Zitto & Gatito(ズィットとガティート)』も発売された。そして、館長の菅谷富夫を含めた3人のトークイベントやVJアーティストのmarimosphere(浅田真理)が制作した ミュージッククリップに合わせて、絵本のストーリーを楽曲にした三木道三の生歌も披露され大いに盛り上がった。
7インチシングルサイズにデザインされた絵本は、宇宙船に乗って宇宙を旅する猫と少年の物語であり、宇宙人との出会いや融和が描かれているが、すべて韻が踏まれており、リズムに合わせて、ラップやレゲエのように歌える画期的な絵本なのだ。「新型コロナ」が5類感染症へ移行前だったので、先着150名になったが、1階のホール前に朝から長蛇の列ができ、美術館としては異例のイベントになった。
「推し」を魅了した阪急百貨店の「SHIP'S CAT」展
撮影:KENJI YANOBE Archive Project
そのような《SHIP'S CAT》シリーズの人気を受けて2023年3月29日から4月3日まで、阪急百貨店阪急うめだギャラリー、祝祭広場で開催されたのがその名も「SHIP’S CAT」展である。「SHIP’S CAT」展は、瀬戸内国際芸術祭2022県内周遊事業「おいでまい祝祭 2022」、「ARTISTS' FAIR KYOTO 2023」でも展示された《SHIP’S CAT(Mofumofu22)》(2022)、韓国・光州のACC(Asia Culture Center)で展示された《SHIP’S CAT(Voyage)》(2022)などの大型彫刻に加えて、《SHIP'S CAT(Speeder)》(2023)や漆塗りのシリーズ、『SPACE SHIP'S CAT Zitto & Gatito』のワンシーンを、海洋堂の造形師が制作したブロンズ像、書き下ろしの掛け軸、さらに各地で展示されている《SHIP’S CAT》の資料や記録風景なども展示され、2017年から始まった《SHIP’S CAT》シリーズの全貌がわかる初の展覧会となった。
そのほか、絵本『トらやんの大冒険』の原画や、1997年に放射線感知服《アトムスーツ》を装着して原発事故後のチェルノービリ(チェルノブイリ)に訪れる《アトムスーツ・プロジェクト》の写真作品やその際に描かれたドローイング日記、2011年の東日本大震災を受けて制作された《サン・チャイルド》(2011)の1/10模型、《ミニ・ジャイアント・トらやん》など、1990年代からの制作の軌跡がわかる充実の展覧会で、関西圏以外からも「ヤノベ作品推し」のファンが数多く訪れた。そのため、百貨店という複合施設で現代アート業界だけではない、一般的な認知の高さと人気を示すことになった。特に、「推し」グッズとして、キタンクラブから発売された《SHIP’S CAT》のカプセルトイは大人気で売り切れが続出した。パブリックアートをフィギュアとして身近に置いて楽しむことができる、という新しいモデルをつくったといえよう。
新たな宝を持って台湾へ
今回、そのような《SHIP’S CAT》の人気が台湾にまで波及したというわけだ。台湾では、岡本太郎の《太陽の塔》、安藤忠雄の《青いリンゴ》(こども本の森 中之島)そして、ヤノベの《SHIP’S CAT(Muse)》が「大阪三宝」として認知されているという。
ヤノベは、阪急百貨店での「SHIP’S CAT」展の最中、台湾からの個展のオファーを受けて、看海美術館を視察する。その時、リゾート地に近い漁港にある、海の見える美術館のロケーション、ガラス張りの建物を見て、新作をつくることを決意する。ヤノベは「台湾は情勢的に不安定であり、今の世界も同様に不安定です。そのため、猫を通して人々に癒しを届けたいという強い願いがありました。看海美術館は壁で囲まれておらず、窓から外が見えるので、海や空、人も写し込む超越的な女神のような作品を作成したいと思った」と語る。
基本的には、阪急百貨店で開催した「SHIP’S CAT」展の構成を踏襲したものだが、その土地、その空間に合った作品を展示することが、創作のモチベーションになっているのだ。ただし、制作期間はわずか2か月半程度しかない。しかも、今回制作するのは《SHIP’S CAT》シリーズの最大サイズともいえる全長約3.8mの作品だ。
そこで4月に募集した「ウルトラプロジェクト」の今年度のメンバーを集め、GW明けから制作にとりかかることにしたのだ。今回は、今までのように顔の部分だけリアルな彫刻を施すのではなく、全面ステンレス張りなだけに、さらに時間と手間がかかる。金属板を細かく切り取り、リベットを打ち込んで張る手法は、2004年~2005年、金沢21世紀美術館でのレジデンスにおいて《ジャイアント・トらやん》(2005)を制作する際に、多くの地域のボランティアとの協働制作をするために開発されたものだ。
《ジャイアント・トらやん》は、アルミだが、屋外での恒久設置の作品は、耐久性のためにステンレスを採用してきた。しかし全面ステンレスの作品は、「あいちトリエンナーレ2013」に出品した《ウルトラ・サンチャイルド》(2013)以来になる。《ウルトラ・サンチャイルド》は、「あいちトリエンナーレ2013」では胸部が出品され、後に全身像が名古屋でパブリックアートになっている。
ウルトファクトリーでの《SHIP’S CAT(Muse)》制作風景 2023 |撮影:京都芸術大学
《SHIP’S CAT》シリーズ初となる全身ステンレス張りの《SHIP’S CAT(Ultra Muse)》は、WeBase高松の屋上に設置されている《SHIP’S CAT(Returns)》(2018)と同じ、見返り猫のタイプをもとに顔まで張り付けて、眼を緑にした。そこには緑と平和の意味が込められていた。参加した10名の学生たちは、3か月弱の制作期間で、ステンレスのカッティングと、リベットの打ち込みに習熟していった。ウルトラプロジェクトは、1年生も多いため、危険を伴う構造部分で参加するのは難しいが、量をこなすことで金属板の扱いを短期間でマスターすることができるのだ。そのほか、FRPの張り込みなども覚えていった。
ヤノベは参加メンバーに、テクニックの指導だけではなく、今、台湾で展覧会を開催することの意義を話し、それに共感した学生たちによって一枚一枚丁寧に想いを込めて張り込まれていった。それは集団制作する一つのチームとして気運を醸成するためでもある。そのこともあって驚くほどのスピードで完成した。「海を越えてたくさんの方に喜んでもらえているのは不思議な気持ち。とても嬉しいです」と参加した学生の1人は語る。
台風や災害を乗り越えて、台湾を導く猫へ
《SHIP’S CAT(Ultra Muse)》に加え、看海美術館を船首に見立てて、旅を導く猫として設置された中型の作品《SHIP’S CAT (Figurehead) 》、さらに漆職人とのコラボレーションによる《黒漆宇宙眠り猫》という新作の彫刻と、掛け軸を2点描き上げて台湾までの搬出に間に合った。《SHIP’S CAT (Figurehead) 》は、両足立ちで遠くを見る初めてのタイプで、パヴィリオンの屋上に設置され、台湾という「大きな船」を導く役割を担った。《黒漆宇宙眠り猫》は、発射台があるという屏東にちなんで、宇宙に旅立つ夢を見る猫を漆で仕上げた。実は次の作品を予兆するもう一つの暗号も描かれている。
しかし、台風6号(カーヌン)が長く沖縄付近を蛇行しながら居続けたため、台湾への輸送が長引くことになる。特に、《SHIP'S CAT(Speeder)》を載せた船が遅延し、8月19日のオープンに間に合わないというハプニングが起こった。「世界最速の彫刻」が遅れたのはご愛敬だが、22日に届き23日には無事設営され、新たなニュースとなった。そして今まで台湾であまり知られてなかったヤノベケンジの名前は一気に広がった。
ヤノベは記者会見で、「《SHIP’S CAT》は、船を守るという本来の目的に加え、これから長い旅に出ようとする人たちに勇気と希望を与えるという意味もある。今も世界中で戦争が続いているし、新型コロナウイルス感染症の影響もある人々を守ってほしいという願いを込めている」と語り、《SHIP’S CAT》が平和な未来をもたらすよう祈りを込めたことを告白した。そして、見返り猫のように、何度も台湾に来たいと述べた。
台湾サイドも展覧会のためにカタログや絵本を中国語訳で出版したり、日本でも人気の《SHIP’S CAT》のカプセルトイに加えて、バッジやキーホルダー、Tシャツ、帽子などオリジナルの台湾限定グッズや特製スウィーツの「猫足焼き」を販売したりして、来場客には大人から子どもまで幅広く好評だという。カプセルトイは数日で売り切れてしまい、入荷待ちとなってしまうこともある。
台湾から茨木。創造の旅の出発点へ
実は、バッジを含めて、ウルトラファクトリーでもさまざまなグッズが制作できる。今回、ウルトラプロジェクトでは、11月26日、茨木市に開館予定の複合施設「おにクル」で、1年間、開館記念プロモーションとして《SHIP’S CAT》シリーズを展開する予定になっている。ウルトラプロジェクトの参加メンバーの気運醸成はそのためでもある。
「おにクル」は、伊東豊雄の設計による、「育てる広場」をコンセプトにしたホールや図書館、子育て支援、市民活動センター、プラネタリウムなど多くの機能が入る文化・子育て複合施設である。元茨木川緑地や芝生広場を望む緑のテラスや屋上広場、屋内こども広場などがあり、屋内外のさまざまな広場が憩いと交流の場になる。ちょうど台湾の個展から戻ってきた作品も出品されるので、新たなグッズも制作されるかもしれない。
ヤノベは茨木市出身であり、阪急南茨木駅前ロータリーには、《サン・チャイルド》(2012)も恒久設置されている。今回、茨木市役所に隣接する施設で、《SHIP’S CAT》シリーズが展開されることで、さまざまな相乗効果をもたらすだろう。そのプログラムはプロジェクト学生中心に考えられており、実践的なアートエディケーションの機会となるだろう。
台湾での展覧会は、《SHIP’S CAT》に新たな出会いと交流をもたらすに違いない。そして、茨木へと続いていく。《SHIP’S CAT》が次にどんな旅に私たちを連れ出してくれるのか期待が膨らむ。
撮影:李尚謙
矢延憲司 “船仔貓屏東展”
Kenji Yanobe “SHIP’S CAT in Pingtung”
会期:2023.8.19 – 11.19
会場:屏東海口港 看海美術館(屏東、台湾)
オフィシャルウェブサイト
https://www.amazing-pingtung.com/ships-cat
記事:三木 学
TOP写真
ヤノベケンジ《SHIP’S CAT(Muse)》2023
制作協力:京都芸術大学 ウルトラファクトリープロジェクトチーム| 撮影:李尚謙
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