REVIEW2021.07.14

アート

21世紀に羽ばたく美術館を守る猫。大阪中之島美術館の竣工とヤノベケンジ《SHIP'S CAT (Muse)》

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  • 京都芸術大学 広報課

構想40年の美術館

2021年、長く待たれていた大阪中之島美術館がついに竣工した。長く待たれていたというのは、1983年の大阪市政100周年記念事業基本構想から約40年、1990年の近代美術館建設準備室が設置されてから30年経つからだ。その間、財政が悪化したこともあり、「準備室」のまま計画が頓挫するのではないかと言われたこともある。

しかし2013年、中之島に新しい美術館を建設することが決定され、2017年に公募型設計競技(設計コンペ)が行われた。そして、日建設計大阪オフィスや槇文彦率いる槇総合計画事務所の案を退けて、当時、大阪では無名と言ってもいい建築家、遠藤克彦率いる遠藤克彦建築研究所の案が選ばれ、その黒い直方体(ブラックキューブ)の案に度肝を抜かれた。実際にこの案が建てられたら、市民はどのような反応を示すのだろうか?と期待と不安が入り混じる案であったことは間違いない。途中、新型コロナウイルス感染症による100年ぶりのパンデミックという、これまた前例のないイレギュラーなことが起きたが、開館が少し伸びたが順調に工事が行われ、6月ついに竣工した。そして、7月2日にプレス内覧会が行われ、徐々に「ブラックキューブ」の全貌が報道されるようになったのだ。

その中において、美術館前の広場にひときわ存在感を放つ巨大な猫の彫刻があるが、すでにSNSなどでは通りすがりの人々から大量に写真がUPされている。巨大な黒い外壁の前にヘルメットを着け鮮やかな朱をまとう猫の彫刻は、そのコントラストも相まって、非常に際立っている。すでに多くの人が言い当てているが、これはヤノベケンジが制作した「SHIP'S CAT」シリーズの一つである《SHIP'S CAT (Muse)》(2021)である。

《SHIP'S CAT (Muse)》(2021)


今回、特別に菅谷富夫館長に美術館と《SHIP'S CAT (Muse)》について詳しく話を伺うことができたのでご紹介したい。

 

周辺環境と溶け込む「ブラックキューブ」

もともと大阪中之島美術館の設計コンペの際に大阪市が示したテーマが「パサージュ(passage)」であったという。パサージュとは、フランスに見られる屋根付きの商店街、いわゆるアーケードのことであるが、ヴァルター・ベンヤミンが物象化する空間として、膨大な覚書と引用からなる『パサージュ論』を著したことで、特に建築・芸術の分野で引用されることが多い。コンペでは、パサージュをテーマに、「展覧会入場者だけではなく幅広い世代の人が誰でも気軽に自由に訪れることのできる賑わいのあるオープンな屋内空間」をいかに美術館建築として実現するかが求められた。

90年代以降、ガラスの耐震技術が進化したこともあり、ガラスカーテン・ウォールのようなガラス張りの建築が多くなっている。特に美術館建築として一番有名なのが、SANAA(妹島和世+西沢立衛)が設計した金沢21世紀美術館だろう。金沢21世紀美術館は、円形の建物の外壁をすべてガラス張りにして、四方から入れるようにし、まさに開かれた美術館として世界的に有名になった。


大阪中之島美術館は、外観はプレキャスト工法による真っ黒なコンクリート張りであり、それらが2階から立方体状に浮かぶように設計されているので、まさにアーサー・C・クラークとスタンリー・キューブリックによる『2001年宇宙の旅』(1968)に出てくる「モノリス」のように見える。異物のような「ブラックキューブ」は、一見、外側からの風景を拒絶しているように思える。たしかに、最初に発表されたパースを見ると、そのように感じるが、実際建てられた建築は周囲とコンフリクトを起こしているというより、むしろ馴染んでいるように思える。

理由はいくつか考えられるが、まず近年、超高層化している中之島の建築街では低い方で、ヒューマンスケールを超えていないこと。道を挟んで東隣にある1925年に竣工、2013年に、低層部に外装などを残して高層化したダイビルの元の高さとさほど変わらないこと。直方体であるため、高さが低くても最大限容積が取れていること。そして近年、ガラス張りが増えたことにより、反射光害も問題になっていることもあり、黒い壁面の直方体は光を吸収し、周辺環境と「馴染む」一つの解答であることがわかってくる。さらに、黒い壁面のコンクリートには凹凸があり、近くで見ると豊かな表情がある。

 

内部空間に立体的に広がる「パサージュ」と巨大展示室

さらに、ブラックキューブの外部から内部に入ると、うってかわって吹き抜けの広い空間が見えてくる。2階の窓は全面ガラスのため、外にある芝生の広場とつながっており、まさに開かれた空間になっている。


2階から長いエスカレーターに乗って4階の展示室に上がる。さらに4階から5階の展示室にかけて短いエスカレーターに乗り換える。近年の美術館建築は、エレベーターで上下にピストンのように多くの来場者を運ぶため、狭い空間に複数の見知らぬ人同士が閉じ込められ、入場の時点で気持ちが萎えることがある。「展覧会を見に行く」という昂揚感が寸断されるのだ。いっぽう、大阪中之島美術館では、長いエスカレーターを設けて、気分を徐々に高揚させると同時に、高さによって表情や印象がどんどん変わる「吹き抜け」を見せている。内部の壁面はプラチナシルバーに塗られ、まさに宇宙船に乗り込むようでもある。ここで、遠藤の狙いが、外側を「ブラックキューブ」に、内側を立体的な「パサージュ」にすることを意図したことがはっきりわかる。


5階に着くと、南北に穿たれた窓が視界に入る。これもまたパサージュである。ここが外から見えていた窓にあたるのだ。北の窓から見ると、堂島川が見え、かつての土地の記憶が鮮明になる。実は、江戸時代は広島藩の蔵屋敷があり、直接屋敷に船で入れる、「舟入」があった。2階に見える芝生の広場の一部と、現代の交通・運搬を担う1階の駐車場が「舟入」の部分に当たるのだ。


そして、5階の展示室3~5に入ると、天井の高さと広さに驚かされる。企画展を行うスペースだが、天井高6メートルと1700平米の広さを持つ。さらに、ほとんどが可動壁で企画に応じてフレキシブルに空間を構築することができる。6メートルというのは、日本の美術館でもかなり高い方だが、菅谷館長によると、それはコレクションの中にギルバード&ジョージの作品が5メートルあることも理由であるという。また、幅6メートルあるというフランク・ステラの作品を3階の収蔵庫からエレベーターでそのまま運ぶことができるという。


つまり、大阪の実業家・山本發次郎(1887〜1951)の約600点のコレクションの寄贈から始まり、すでに6000を超えると言われるコレクションが、内部空間の設計の一部を決めているのだ。この巨大な展示室は、構造計算の上、建設の過程では斜めにならないように全体に柱を入れ、最後に不要な柱を抜いて、最小限の柱と壁で持つようになっているという。珠玉の近現代のコレクションだけではなく、現代アートのインスタレーションなどの展示としても最適な空間になるだろう。

 

5階の展示室を見終わると傾斜のゆったりとした、唯一のフローリング階段で下りることになる。2階から4階までの長い傾斜のあるエレベーターが緊張と期待の通路=パサージュとしたら、ここは展覧会を見終わった後の弛緩、リラックスの通路=パサージュになる。菅谷館長はこの傾斜や階段の幅についても、細かくリクエストしたという。「一筆書き」で回れるという順路だけではなく、上下の傾斜や材質、速度によって、鑑賞者の気分に寄り添う動線設計になっていることが今までにない工夫だろう。現在はまだ設置されていないが、椅子などが設置され、四方に開かれた空間から外を見ながら落ち着ける空間となるだろう。

 

主にコレクションを見せる4階の展示室1には、日本画のコレクションを展示できるように、3面全体にガラスケースが設置されている。紙や絹など、湿度によって変化が大きい支持体を持つ日本画の場合、高度に温度・湿度管理された空間が必要だからだ。

それとは対照的に、主に戦後関西の前衛芸術集団「具体(具体美術協会)」のコレクションなどを見せるためにつくられた展示室2は、黒い壁面になっている。それはもともと、大阪中之島美術館の東側の近隣にあった具体の活動拠点「グタイピナコテカ」が、黒壁の蔵を改装していたことに由来する。このスペースで具体のコレクションを展示する機会も増えるとのことで、「具体」の作品に頻繁に接することができる世界的にも貴重な場所になるだろう。

 

そこから再び2階にエスカレーターで降りる。2階にはアーカイブズ情報室が設置される。ここでは申請すると、具体のリーダー・吉原治良旧蔵資料をはじめ、メンバーであった吉田稔郎の寄贈資料など、貴重な閲覧することができるという。1階には、ホール、ワークショップルーム、レストラン、カフェ、ショップが入り、展覧会を見なくても入れる、まさに街に開かれた通路=パサージュとなる予定だ。

 

21世紀の新しい美術館像

菅谷館長は新しい美術館像として、3つのポイントを挙げている。1つは機能として「アーカイブ」、次に行動原理として「連携」、最後に「大阪からの視点」だという。菅谷館長は、現在の美術研究というのは、資料を持っている者が圧倒的に有利で、フェアではないと語る。海外の美術館では資料が完全に整理されてない段階でも簡易的にラベルを付けていき、徐々に深いカテゴリに分けていくという。それで出来るだけ早く、外部に開くことが重視されるのだ。菅谷館長は、アーカイブもまた、社会の中で美術館を存立させる民主主義的な精神を体現するものでなければならないと説く。その点では、日本はまだまだ遅れているが、開かれたアーカイブの機能がここから始まるのではないかと期待を抱かせる。

菅谷富夫館長(撮影:広報課)


次の「連携」というのは、美術館の運営形態と関係している。かつては自前主義で、各専門家が内部に常駐していた。しかし、今は予算上難しいこともあるし、外部機関と連携することで、新たな可能性が開けることもある。大阪中之島美術館は、日本の美術館として初めて、PFIと言われる、民間資金の導入と、民間に施設整備と公共サービスの提供をゆだねる、「コンセッション方式」が採用され、選定された株式会社朝日ビルディングが設立した、特定目的会社「株式会社大阪中之島ミュージアム」が運営を担う。その他にも、象印マホービンや旧SANYOを含むパナソニック、シャープなどの在阪企業と協力して、工業デザインの歴史的情報集約を進めているという。今後、様々な外部の専門機関や研究者、アーティストなどと組んで、新たな可能性を広げていくことを目指している。

最後に「大阪からの視点」であるが、これは近年評価されている大正から昭和初期の近代大阪「大大阪」の時代を取り上げるということだけではない。明治以降、日本の美術史は、フェノロサ・岡倉天心らが始めた東京美術学校、現在の東京藝術大学を中心として体系が編まれてきた。日本の単線的な美術史や西欧中心のアートワールドではなく、オルタナティブな視点を導入することで、新たな可能性を拓くことができるのではないか。それは小さな都市では難しいが、大阪の規模なら可能性がある。その姿勢が全国に広まると大きく変わっていくに違いないと菅谷館長は言う。それは、かつて中之島に本拠地を持ち、世界を驚かせた吉原治良と具体の精神を受け継ぐものだろう。

 

美術館の最後のピース《SHIP'S CAT (Muse)》

だがまだ欠けているものがあった。美術館建設が進むにあたって、遠藤は新しい美術館にはそれに合ったアート作品、コミッションワークが必要だと菅谷館長に主張したという。近年、金沢21世紀美術館や十和田市現代美術館など、新しくできる美術館には、必ずパブリックアートが建てられている。世界ではフランク・ゲーリーが設計したビルバオ・グッゲンハイム美術館の敷地に建てられたジェフ・クーンズの《パピー》やルイーズ・ブルジョワ《ママン》、中谷芙二子の《霧の彫刻》などが知られている。それは、美術館のアイコンとなり、外から美術館であることがわかるアート作品が必要であるからだろう。つまり、最後のピースが、美術館と共につくられるパブリックアートの存在だったのだ。

そして、遠藤が誰かいないかと菅谷館長に問うたら、菅谷館長は真っ先にヤノベケンジの名前を挙げたという。菅谷館長はヤノベ以外いないと思ったと語る。ヤノベは大阪出身であり、大阪中之島美術館の計画が立ち上がった1990年、デビュー作《タンキング・マシーン》(1990)で、第1回キリンプラザ大阪コンテンポラリー・アワード最優秀作品賞を受賞。道頓堀の戎橋の北東袂にあったKPOキリンプラザ大阪で展覧会を開催している。2009年には「水都大阪2009」で、火や水を噴くアート船《ラッキードラゴン》(2009)を回遊させるとともに、《ジャイアント・トらやん》(2005)などの代表作を中之島に集め、大々的に展開することで大阪市民に喝采を浴びたことも強く印象に残っていた。菅谷館長は、この30年間ヤノベを見続けてきた一人でもある。

道頓堀川を行く《ラッキードラゴン》
大阪市役所に展示された《ジャイアント・トらやん》


菅谷館長からの依頼を受け、ヤノベが提案したのが旅の守り神、旅をしながら福を運ぶ猫「SHIP’S CAT」のシリーズであった。ヤノベは2017年以降、福岡から始まり、福島、東京、鎌倉、大阪、フランス、京都、上海、高松、広島と旅を続けながら、このシリーズをつくり続けてきた。「SHIP’S CAT」とは、大航海時代に長い航海に乗船した「船乗り猫」のことであるが、ネズミなどの害獣を駆除し、帆船や貨物が食べられたり、疫病が流行することから守るために乗せられていた。時に船員の心を癒す友になったり、マスコットになったり、それだけではなく、天候を読んだり、危機を察知する能力があるとされ、守り神のようにも扱われてきた。

ヤノベは、博多の若者向けのホステル(We Base Hostel)のパブリックアートを依頼された際、「SHIP’S CAT」をテーマにし、混迷する21世紀に旅をする若者を応援するために、宇宙服や潜水服のようなヘルメットとスーツ着せた巨大な猫の作品を制作した。「SHIP’S CAT」シリーズでは、未来を見通せるように、目やヘルメットを光らせたり、旅の安全を守り、勇気や冒険心を象徴するために、鎧のような衣裳をつけるなど様々な工夫を凝らしている。

《SHIP’S CAT (Harbor)》(2017)(撮影:上石了一)
《SHIP'S CAT (Black)》(2017)(撮影:青木兼治)


なかでも2018年のフランスでは、ルーヴル美術館別館カルーゼル・デュ・ルーヴルで《SHIP’S CAT (Harbor)》(2017)や《SHIP'S CAT (Black)》(2017)を日本から船で運んで展示することに加え、日本の伝統文化である和紙を使ったアーティストである堀木エリ子と共同制作を行い、古代エジプトの太陽神バステトとヤノベの「SHIP'S CAT」が出会う図柄の巨大な障子《Picture scroll of SHIP'S CAT》(2018)や和紙製のトーテム《SHIP'S CAT (Totem)》(2018)を出展した。ルーヴル美術館には、古代エジプトの女神バステトが雌猫の彫像として展示されており、古代オリエントから世界に普及し、日本にまで到達した猫の文化の原点に戻るというストーリーにしたのだ。

《Picture scroll of SHIP'S CAT》(2018)、《SHIP'S CAT (Totem)》(2018)


その後も、「旅の守り神」「旅をして福を運ぶ猫」というキャッチコピーを体現するように、世界と日本各地を旅するように運搬されて展覧会に出品されたり、恒久設置されてきた。2018年秋には、高松のホステルの建物の上に、お遍路の地にちなんで「再来」や「恩返し」の意味を込めて、見返り猫をモチーフにした《SHIP’S CAT (Returns)》を設置している。2019年には、ホステルを厳島神社に例えられる龍宮城に見立て、海中に潜るようにホステルの天井から顔を出す《SHIP’S CAT (Fortune)》を設置した。ヤノベは、この「SHIP’S CAT」のシリーズの集大成として、地元大阪の大阪中之島美術館に設置することを考えたのだ。

《SHIP’S CAT (Returns)》(2018)(撮影:KENJI YANOBE Archive Project)
《SHIP’S CAT (Fortune)》(2019)(撮影:KENJI YANOBE Archive Project)


美術館にとっても「SHIP’S CAT」シリーズは最適であった。そもそも中之島は、江戸時代、日本中の富が集中していた蔵屋敷であり、外航船で港に届き、そこから上荷船・茶船という小舟で蔵屋敷まで年貢米や特産物などが届けられ、換金されたり販売されたりしていた。美術館の敷地にあった広島藩には、参勤交代時に滞在する「御殿」、役人が居住する「長屋」、米や特産物を収納する「蔵」が揃っており、堂島川から敷地内に直接荷揚げする「舟入」は、広島藩を含めて8藩しかなかったという。米や特産物が集積する船や蔵屋敷は当然、ネズミなどの害獣がいたはずで、それらを追い払う船乗り猫もいたに違いない。さらに北側には、広島にある航海の神様である厳島神社が祀られていたとされる。


ヤノベは、大阪中之島美術館に新たに恒久設置するにあたり、新たに美術館を守る猫であること、堂島川に面していて、広島藩の蔵屋敷、舟入の遺構の跡地にあること、堂島川にかかる田蓑橋がもともと伊勢の斎宮によって「浪花の祓い」がされていた地と言われる田蓑神社の参道にあたることなどを意識した。さらに、明治以降は、富が集まっていた広島藩の蔵屋敷の跡に、大阪大学(大阪帝国大学)医学部が設立されていた。つまり「医療」という人々の「体」を癒す場所であったといえる。そして、美術館は、人々の「心」を癒す場所となる。そのような人々の「心」を癒す宝を守るための猫となるよう考えた。

例えば、ロシアのサンプトベルクにあるエルミタージュ美術館は、大英博物館、ルーヴル美術館と並び世界三大博物館と言われる広大な敷地を持つ。エルミタージュ美術館には、ネズミから美術品を守る警備員として猫が飼われている。その役割は、「SHIP’S CAT」と変わらないといっていいだろう。そこでヤノベは、「MUSEUM'S CAT」の役割を新に加味した。そのために胸には羽のマークをつけ、《サモトラケのニケ》を想起させるエンブレムにした。《サモトラケのニケ》は、船首に降り立つ勝利の女神であり、美術彫刻の象徴でもある。

《SHIP'S CAT (Muse)》(2021)


背中にはボンベを付け、潜水艦にも宇宙船にもついていけるスーツを着ている。スーツのオレンジは、河川と航海の安全を守る管制塔などを表すインターナショナルオレンジや、厳島神社の朱を表している。そしてなにより、モノリスや宇宙船のような美術館に合わせて『2001年宇宙の旅』に出てくる宇宙服のようなイメージでもある。《SHIP'S CAT (Muse)》(2021)と名付けられた作品は、美術館の北側、真北に向けて建てられ、人々を迎えると同時に、天体の中心軸である北極星を見つめ、世界に羽ばたく美術館を発信し、人々を誘っているといえるだろう。

 

2020年代の先駆けとなる大阪中之島美術館は2022年早春に開館予定である。大阪中之島美術館と国立国際美術館をつなぐブリッジも架けられており、来年秋にはスロープが整備されるなど、中之島全体が大阪中之島美術館を中心に回遊性と創造性が高まる、「クリエイティブ・アイランド」として再起動することになる。大阪中之島美術館、国立国際美術館、大阪市中央公会堂、大阪府立中之島図書館、大阪市立東洋陶磁美術館、こども本の森 中之島など、文化施設が集積するこの地を守り、世界に「大阪からの視点」発信する守り神、福を運ぶ猫として、《SHIP'S CAT (Muse)》がシンボリックな役割を果たすことを期待したい。

 

作品の設営時には、プロジェクトに参加している学生たちも立ち会った。新しい美術館の誕生に関われる貴重な体験になるのだろう。(撮影:KENJI YANOBE Archive Project)


(文:三木学、撮影:前端紗季)

 

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