REPORT2023.03.23

対話型鑑賞の「これから」へ、次なる一歩を踏み出すために(後編)―『VTC/VTS 日本上陸30周年記念フォーラム:対話型鑑賞のこれまでとこれから』

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  • 京都芸術大学 広報課

※「鑑賞者と向き合う30年、対話型鑑賞の「これまで」を振り返る(前編)―『VTC/VTS 日本上陸30周年記念フォーラム:対話型鑑賞のこれまでとこれから』」より続きます。
https://uryu-tsushin.kyoto-art.ac.jp/detail/1089
 

2022年8月20日、21日の2日間、上野・東京国立博物館平成館大講堂で、『VTC/VTS 日本上陸30周年記念フォーラム:対話型鑑賞のこれまでとこれから』が開催された。
2日目は、対話型鑑賞の取り組みが、美術館を始めとした美術の領域以外の場所でも発展していくことを予感させる話題が続いた。まずは、近年広がりを見せている、医療や科学技術、ビジネスの領域における対話型鑑賞の実践事例の紹介から。後半は、2本のレクチャーとディスカッションから、対話型鑑賞の「これから」を見据えた内容が参加者に共有された。
 

科学/医療の領域で、人をつなぐコミュニケーションの可能性を模索する

パネルディスカッション「科学/医療と対話型鑑賞」登壇者:大野照文、三成寿作、森永康平 モデレーター:北野諒


「科学と医療」における対話型鑑賞を用いた実践、と聞くと、飛躍し過ぎている、もしくは、どのような実践に繋がっているのか想像がつかない、という方もいるかもしれない。確かになぜ、美術館で始まった取り組みが、科学/医療の領域へと横断し、広がりを見せているのだろうか。

登壇したのは、大野照文(高田短期大学図書 館長/元京都大学総合博物館館長)、三成寿作(京都大学iPS細胞研究所 特定准教授)、森永康平(ミルキク代表/MED AGREE CLINIC うつのみや  院長)の3氏。モデレーターは、現在、大阪成蹊大学幼児教育学科講師で、前任のアート・コミュニケーション研究センター(ACC)在籍時に、科学/医療の領域との共同研究やコラボレーションをしてきた経験を持つ北野諒が務めた。

大野は、前任の京都大学総合博物館でアート・コミュニケーション研究センター(ACC)と連携し、対話型鑑賞とコラボレーションした取り組みを数多く行ってきた。今回は、対話と観察を軸にした、学生や幼児向けの理科ワークショップの実践内容を中心に、自身の専門である理科教育の観点からみた対話型鑑賞の可能性について発表した。

大野照文(高田短期大学図書 館長/元京都大学総合博物館館長)


理科ワークショップでは、三葉虫や巻き貝などの化石を題材に、複数人で対話をしながら、じっくりと観察をすることを重視するという。理科教育においては、科学的な根拠や客観的事実といった、ある1つの答えが既に存在する。アート作品に比べると多義的な解釈は広がりにくい領域だ。しかし、対話をしながら、時間をかけてじっくりと観察をすることは、その答えに辿り着くための過程を経験し、答えを探求するための道筋を学ぶことに繋がっており、その経験こそが重要であるという。また、こうした経験は、ごく身近にあるあらゆる事柄への興味関心へと繋がり、理科や科学を学ぶ出発点にもなりうると、大野は述べた。

森永は、医師として、訪問医療の現場や医学教育の領域で、対話型鑑賞における対話と観察に着目した実践に取り組んできた。発表では、「アート」と「サイエンス」の違いを確認した上で、医学生向けの授業内容や、実際の診断、訪問医療の現場での患者とのコミュニケーションの中で、対話型鑑賞の考え方を生かしている実例を紹介した。

森永康平(ミルキク代表/MED AGREE CLINIC うつのみや  院長)


特に、医学教育では、勘や感覚ではなく、根拠(エビデンス)に基づいて行動できる医療従事者を育成することが必要だ。更に、実際の医療現場では、症状や数値といった事実だけでなく、患者本人とのコミュニケーションを深め関係性を築きながら、診察や治療方針を決めていくことも求められる。こうした中で、対話型鑑賞を1つのトレーニングとして位置づけることで、「なんで」「どうして」ではなく、「どこからそう思う?」という問いかけを出発点に事実から思考を発展させていくことが可能だ。医学教育において対話型鑑賞は、論理的思考や観察する力のトレーニングはもちろん、他者と対話を深める経験を得る機会にもなり得るのだ。

続いて、三成は「科学技術と社会との緩やかな接続に向けて」というテーマで発表した。三成は、最先端の科学技術を、日常の中で実用化していく過程の中で、技術以外の部分に生まれる、倫理的・法的・社会的な課題「ELSI(エルシー/Ethical, Legal and Social Issues」を専門としている。専門性が極めて高く、先行きが見えづらい先端科学技術を実用化していく中で、専門家のみに閉じがちな議論を、科学技術の専門的な知識や関心を持たない一般の人々へと開き、社会全体で「ELSI」を対話的に考えていく手段の1つとして、対話型鑑賞に可能性を見出しているという。

三成寿作(京都大学iPS細胞研究所 特定准教授)


3氏による発表からは、科学/医療の領域では、対話型鑑賞の取り組みの中でも、特に「対話」と「観察」がキーワードになっている様子がうかがえた。対話型鑑賞の取り組みは、特定の分野や課題と「掛け合わせて使うこと」で、私達の日常により近い場所や形で、その力が発揮される可能性があることに気付かされる。
 

「鑑賞」から「創造」への発展を目指して。自らの言葉を生み出す人づくりから、組織作りへ

パネルディスカッション「ビジネスパーソンと対話型鑑賞」壇者:加藤種男、藤原綾乃、臼井隆志 モデレーター:平野智紀


近年、ビジネスパーソン向けにアート作品の鑑賞をすすめる動きが加速している。関連書籍の出版、セミナーやイベントの開催も多く見受けられる。そもそも、対話型鑑賞は、ビジネスの場、つまり働く社会人や会社経営においては、どのような可能性を持つ取り組みとして位置づけることができるのだろう。登壇者の実践発表とディスカッションによって、改めて見つめ直す時間となった。
登壇したのは、加藤種男(クリエイティブ・ディレクター)、藤原綾乃(公益財団法人福武財団アート部門)、臼井隆志(株式会社MIMIGURI ファシリテーター・アートエデュケーター)の3氏。モデレーターは、内田洋行教育総合研究所主任研究員で、アートコミュニケーション研究センター共同研究者の平野智紀が務めた。

加藤は民間企業の支援機関の立場から、美術関係者への金銭的支援や経済界との橋渡しなど、長年に渡ってビジネスの場と美術に関わる領域を往来してきた。対話型鑑賞の黎明期には、アメリア・アレナスの来日に際して支援をするなど、対話型鑑賞の普及を後押しした人物でもある。

加藤種男(クリエイティブ・ディレクター)


発表では、これまで自身が関わりを持ってきた、ビジネスパーソンとアート作品の緊密な繋がりを踏まえながら、「いつまで『鑑賞』にとどまるのか?」と、二者の関係性の現在位置に問いを投げかけた。その上で、アート作品を『鑑賞』することで満足するのではなく、研究開発や生産といった『創造』をも見据えて、『鑑賞』を位置づけて取り組んでいく必要があるのではないか、と言及した。

続いて、藤原は、ベネッセアートサイト直島で取り組む、ビジネスパーソン向けの対話型鑑賞を用いたプログラムの実践例を発表した。藤原によると、ビジネスパーソンを対象に対話型鑑賞を用いる時には、普段仕事に取り組む「姿勢」へと応用していくところまでを見据えた内容となるよう意識しているという。

藤原綾乃(公益財団法人福武財団アート部門)


実践するプログラムでは、対話型鑑賞の手法を使いアート作品を複数人で鑑賞することが、コミュニケーションの潤滑油となり、会社での立場や年齢を超えた対話に繋がるという。また、アート作品を通じて他者と異なる解釈や意見を持つことは、個々人の内省へと繋がり、次第に「自分の言葉」を獲得していくことを可能にする点も指摘する。この点、他者と協働し、組織として1つの目標へと進んでいくことが求められるビジネスパーソンには、大きな影響を与えているようだ。

臼井は、「対話型鑑賞”的”な組織文化の構築」と題し、企業をはじめとする組織づくりに向けて、対話型鑑賞の考え方を応用する様々な取り組みを紹介した。
「対話型鑑賞”的”な組織」とは、トップダウンでの意思決定が中心の「ファクトリー型」の組織に対して、社員同士でのコミュニケーションを中心とした「ワークショップ型」の組織像に位置づけられ、不確実性の高い社会の中で求められる組織の在り方の1つであるといい、発表の冒頭では、「対話型鑑賞”的”な組織」を、「組織全体を大きなワークショップとして見立てる」と表現していた。組織を構成する社員ひとりひとりを重視した組織文化の醸成を目指し、取り組みが行われているといい、企業理念や事業計画、ロゴなどを対話しながら鑑賞するワークショップが具体的な事例として紹介された。

臼井隆志(株式会社MIMIGURI ファシリテーター・アートエデュケーター)


様々な研修や組織開発のアプローチが多くある中、なぜ今、ビジネスパーソンの学びにおいて対話型鑑賞やアート作品を媒介にしたアプローチが注目されているのだろうか。終盤のディスカッションでは、こうした『アートだからこそ』の特徴について、各氏の考えを交えて、話題が進んでいった。

特に、臼井と藤原は、自らの実践からの実感を述べた。
臼井は「ビジネスパーソンは、論理的な言葉でコミュニケーションをして、議論して意思決定をしていくことを日々やっている。それに対して、言葉じゃないもの、非言語のものを巡って対話をしていくっていう経験にすごく新鮮さがあるんじゃないかなと思っています。」と指摘する。一方、藤原は「ビジネスパーソンは、やっぱりどこかにある正解を探して答えを導き出すっていう作業にすごく慣れすぎているかなと。頭でわかることに慣れすぎてるんじゃないかなと。その中で、答えのないものに対して自分の言葉を紡いでいくことは、なかなか難しい。でもやっぱり対話型鑑賞をやっていると、少しずつ自分の言葉が出てくる方が多い。それはやはりアートを通じてできるのかなと思ったりします」と述べた。

「答えのないもの」に対して、主体的に考え、自分自身の言葉で表現し、答えを創り出していくーー実際のビジネスの場において、こうした段階に至るには、多くの訓練と研鑽が必要だろう。今回のディスカッションを踏まえれば、アート作品は、ビジネスパーソンが実務において直面する「答えのないもの」の仮の対象となり、対話型鑑賞は、「答えのないもの」と対峙するための訓練と研鑽の場を生み出しているようにも見える。更には、「答えのないもの」と対峙する訓練と研鑽を重ねた先にこそ、加藤が述べたような『創造』へと向かうことができる人や組織が生みだされるのでは、と考えずにはいられなかった。
 

「これまで」の解きほぐしから、対話型鑑賞の「これから」に向けて一歩を踏み出す

レクチャー「対話型鑑賞の功罪:美的知覚の観点から」登壇者:森功史
レクチャー「対話型鑑賞ファシリテーターの育成と課題」登壇者:伊達隆洋


午後からは、2日間のフォーラムを締めくくる2つのレクチャーと、パネルディスカッションが行われた。
まずは、森功次(大妻女子大学国際センター 専任講師)によるレクチャーから。森は近年、専門である美学・芸術哲学の立場から対話型鑑賞に言及した論考を複数発表しており、昨年には「美術作品の教材化の功罪:ビジネス×アートにおける対話型鑑賞が取りこぼすもの」と題した論考を『美術手帖』で発表し、その内容は対話型鑑賞の実践に携わる美術関係者の中で話題を呼んだ。

今回のレクチャーでは、美学や芸術哲学の領域から様々な文献や考え方の枠組みを引用し、「対話型鑑賞ならでは」とも言える特徴や性質、注意点を浮かび上がらせていった。中でも、森が繰り返し言及したのが、対話型鑑賞の中で起こる、鑑賞者同士の意見対立についてだ。
森は、現代美術の議論の枠組みから、批評家がアート作品を批評する際に行っている作業や行為の内容を具体的に分類し提示している、ノエル・キャロル『批評について』(2009)、フランク・シブリー「美的概念」(1959)の2つを取り上げた。実際の対話型鑑賞の中で交わされる発言、意見の種類、質を的確に捉えることに有効ではないか、とその内容を紹介した上で、意見の批判や意見対立こそ、鑑賞者同士の議論や鑑賞体験を深めるきっかけとして捉えていくことが可能であると指摘した。

森功次(大妻女子大学国際センター 専任講師)


対話型鑑賞のこれまでの取り組みに、美学・芸術哲学という学問的立場から、言説や視点を丁寧に肉付けし、更なる理論的な研究の発展を予感させるレクチャーだった。

※なお、森のレクチャーは、内容と参照文献の情報が詳細にまとまったレジュメがresearch map内で公開されている。
https://researchmap.jp/multidatabases/multidatabase_contents/detail/236789/f0ef609ee69b229a919064d09465a203?frame_id=582577

最後は、伊達隆洋(本学アートプロデュース学科准教授・学科長/アート・コミュニケーション研究センター(ACC)研究員)によるレクチャー。伊達は、2007年より自身の研究分野である人間科学・臨床心理学の立場から「ACOP」の分析に携わったことをきっかけに、2009年から現在まで、本学アートプロデュース学科の教員として「ACOP」の授業を担当してきた。アートプロデュースを専攻する大学生を対象としたファシリテーション・トレーニングを中心としながら、全国の美術館、博物館、教育関係者に向けた、対話型鑑賞プログラムの研修や普及にも取り組んでおり、その期間は、対話型鑑賞が上陸した30年のうち、普及が加速していった後半の15年の期間に重なる。

伊達隆洋(本学アートプロデュース学科准教授・学科長/アート・コミュニケーション研究センター(ACC)研究員)


今回のレクチャーは、対話型鑑賞を実践する側、ファシリテーターに焦点を当てた内容だ。日本国内で対話型鑑賞が普及してきた過程を今一度確認しながら、これまで伊達自身が対話型鑑賞の実践や普及、ファシリテーターの育成に携わってきた中で生じていると考える誤解を取り出しながら、対話型鑑賞におけるファシリテーターの育成における課題を明らかにしていった。ここでは特に、終盤で話題に上がった、ファシリテーター自身の作品鑑賞力の必要性について紹介しておきたい。

対話型鑑賞におけるファシリテーションの技術とは、鑑賞者として作品を鑑賞する能力と表裏の関係になっているという。まずは、アート作品を鑑賞することから経験し、鑑賞することについて熟達していかなければ、対話型鑑賞でのファシリテーターを担うことはそもそもできないのだ。また、対話型鑑賞そのものへの理解度や、アート、アート作品、鑑賞、対話といった、対話型鑑賞に内包されるあらゆる要素をどのように捉えているかも重要であると指摘する。

前段で森が言及した、鑑賞者同士の意見対立を乗り越え、鑑賞を更に深めるきっかけとするためには、ファシリテーター自身が鑑賞者の意見対立を俯瞰して捉え、議論を促進すること、つまりファシリテーションすることが必要になるだろう。そのためには、伊達が指摘するように、ファシリテーターが、同時に優れた鑑賞者としても対話型鑑賞の場に参加している必要性には納得がいく。

最後のディスカッションでは、レクチャーに登壇した森、伊達のほか、伊達と共にアート・コミュニケーション研究センター(ACC)で対話型鑑賞の実践と研究活動に取り組んできた北野諒も登壇した。モデレーターは平野智紀が務め、レクチャーの内容を基にしながら登壇者が意見交換したほか、参加者から寄せられた質問に答えていった。

パネルディスカッション「対話型鑑賞の今後」 登壇者:森功史、伊達隆洋、北野諒 モデレーター:平野智紀


なお、2日間の発表とディスカッション、レクチャーの内容は書籍としてまとめ、出版されるというアナウンスがあった。これらが対話型鑑賞の「これから」に向けた礎となり、対話型鑑賞の実践や研究を更に発展させるような、建設的な議論が生まれることが期待される。


閉会の挨拶では、改めて本学アート・コミュニケーション研究センター(ACC)所長の福のり子が登壇した。対話型鑑賞の基本である「みる・かんがえる・はなす・きく」という、人間の持つ基礎的な能力から、多様な取り組みへと発展している現在の状況を見渡し、対話型鑑賞を日本に紹介した30年前からの隔世の感を語った。


また、30年前、福と共に対話型鑑賞の紹介に動いた、逢坂恵理子も「この2日間を糧に、また美術が本当に多くの人たちに広がっていって、それを楽しんで、社会の中に美術が必要なんだと思ってくれる人たちを1人でも増やすことに関わってくだされば、さらに嬉しいです。」と述べ、アート作品に対峙する鑑賞者に対して何ができるのか、試行錯誤を続けてきたこれまでの30年間を振り返りながら、対話型鑑賞の広がりに関わる人々への期待に力を込めた。


挨拶の終盤、参加者からの「アーティスト不在のフォーラムとなった背景や意図を教えてください」という質問が寄せられた。福は、この質問に対して次のように応えた。

「美術は、美しい術と書きます。美しいのは作品やし、技術を持ってるのはアーティストやし、学術的に知ってるのはその専門家の人たちです。そう考えると、今まで実は、見る側の人の話で、これだけのフォーラムがあったかなと思うんです。アーティストが必要ないって言ってるわけではありません。でも、アーティストについてのフォーラムやアーティストについての話や、美術史についての話というのは、学会など、沢山あったと思うんです。

私は、30年間、鑑賞教育に関わってきて、鑑賞者を主題にしたフォーラムは、2回目です。1回目はACC(アート・コミュニケーション研究センター)を作ろうとしたときに開催しました。そして、今日です。

アーティストがいらない、と言ってるわけではありません。アーティストが作ってくださった素晴らしい作品を、その後、私達はどうするのかということを扱ったフォーラムだった、と私は思っています。
だからアーティストは、登壇はしていないけれど、いつでもここ(壇上)に居たと、私は思っています。」

そして、「これからの30年間、こんなに多くの人に託していけることが心強い」と、会場全体を見渡し締めくくった。
 

レポートの終わりに代えて

今回のフォーラムには、本学アートプロデュース(ASP)学科在学中にACOPを受講し、対話型鑑賞を学んだ経験のある者も多く参加していた。そして筆者もその1人だ。ここからは、本学で対話型鑑賞を専門的に学んだ1人の社会人の立場から、2日間のフォーラムを、3つの視点から振り返ってみたい。

まず、第一に、対話型鑑賞が持つ可能性の幅広さだ。これには、改めて驚くばかりだった。2日間のフォーラムでは、美術館、学校教育、科学/医療、ビジネス、と多岐に渡る分野で、対話型鑑賞の実践が取り組まれ、さまざまな成果が上がっていることが共有された。美術館で生まれた対話型鑑賞が、あらゆる場所で生かされ、様々な期待を受けていることを、今回のフォーラムで改めて知ることができた。

その一方で、もう1つ気付かされることがあった。対話型鑑賞を学んだ者が活躍するフィールドの多様さだ。1日目に登壇した原や似内のように、ASP学科でACOPを受講して得た経験や知識を、対話型鑑賞を実践する中で直接的に生かしていく者も多く輩出している。しかし、ACOPを経験し、対話型鑑賞を学んだ卒業生の誰しもが、美術館を始めとする、アートに関わる現場で仕事をしていくわけではない。一般企業への就職はもちろん、人材育成に携わる者、アーティストやデザイナー、さらには医師を志す者もおり、実に様々な業界業種、他分野にまたがる仕事に就いている。対話型鑑賞を通じて得たあらゆる力を、社会の中で生きてゆく時、あらゆる場所や機会で、間接的に生かしていっている者が多く存在するのだ。


例えば、筆者は現在、公立文化施設で広報担当として働いている。施設と来館者や利用者のあいだをより良く繋ぐ、広報コミュニケーションを考えることが使命である。対話型鑑賞を通じて、アート作品と人のあいだに生じるコミュニケーションの多様さと力強さを目の当たりにした経験は、現在の仕事においては、施設と来館者、利用者のあいだを考え、アプローチする際に活きていて、現在の仕事の基盤になっている……と、筆者の経験を少しばかり書いてみたが、これはほんの一例でしかない。対話型鑑賞で得た経験の活かし方は千差万別、ACOPを受講した卒業生の人数分だけの答えが返ってくるだろう。これらも、対話型鑑賞の「これから」にとっては、今回のフォーラムで話題に挙がった事例に追随する、大きな裏付けとも言えるのではないだろうか。

2つ目は、対話型鑑賞の実践には、常に批評的な向き合い方が必要であるという点だ。対話型鑑賞の「これから」に期待が膨らむ一方で、2日目の森と伊達のレクチャーからは、実践者自身が学び続ける必要がある、ということを感じずにはいられなかったのだ。
対話型鑑賞は、「みる・かんがえる・はなす・きく」という、誰しもが持ち得る能力を用いた取り組みとして、誰にでも門戸が開かれている。しかし、対話型鑑賞を実践する側に立った時、他者の「みる・かんがえる・はなす・きく」を促していく必要がある。これは、決して簡単なことではない。対話型鑑賞が持つ可能性の幅広さ、そして、多方面から期待を受けている取り組みであるからこそ、実践者には学び続ける責務が伴うように思う。

今回、2日間のプログラムの中で、ファシリテーターが鑑賞者と共に対話型鑑賞を行う実演は一切行われなかった。伊達はレクチャーの中で、対話型鑑賞を実演は、ファシリテーターが持つ能力の断片でしかなく、実演に至るまでの背景と過程こそ重視すべきだという意図から、あえて実演をプログラムに組み込まなかった、と言及していた。対話型鑑賞におけるファシリテーションは、一朝一夕に技術を習得できるものではないという態度が体現されていたのだ。

技術の習得や実践にいざ足を踏み入れてみれば、ある到達点は存在するものの、何か決まったゴールは存在しない。自らがその実践を通じて何を達成したいのか、自分でゴールを決めていくことが必要になる。だからこそ、対話型鑑賞の取り組み自体に対して、実践者自身が「みる・かんがえる・はなす・きく」を繰り返し、批評的に取り組みの内容と向き合う態度を持ち続ける必要があるのではないだろうか。


3つ目は、鑑賞者の育成が、文化芸術への理解者や支援者を増やすことに繋がるという視点だ。フォーラムの中では、1日目冒頭の対談で、逢坂が今後の提言として述べたほか、2日目のビジネスの場における実践を紹介した、加藤や臼井の言及でも重なる部分があった。

文化芸術への理解者や支援者を増やすという課題は、美術館のみならず、文化芸術に携わる関係者の多くが意識し、苦心し続けている。筆者もその1人だ。こうした中、文化芸術への理解者や支援者を増やすことを実現するべく様々な施策やプログラムを考えるわけだが、その思案の過程の中で、そもそも「作品をみること、鑑賞すること」がどんな価値や意義を持っているのか、という根源的な問いに立ち返ることも多い。そして、アート作品を鑑賞する鑑賞者に思いを馳せ、どのようなアプローチが有効なのか、想像し始める。

MoMAでVTSが開発された背景には、来館者をより良く知り、美術館に何が求められているのかを、美術館関係者自らが知ることが出発点にあったという。この時と同じように、対話型鑑賞は、文化芸術関係者にとっては、今一度、アート作品と鑑賞者の「あいだ」に立ち返り、文化芸術への理解者や支援者を増やすことへ向かう基盤にもなり得るのではないだろうか。

2日間のフォーラムの間、ふと客席を見渡せば、食い入るように登壇者のプレゼンテーションを聞く参加者の姿が常にあった。登壇者の発表と発言の1つ1つを逃さずに受け取ろうと、熱心にメモを取る姿や、情報量の多いスライドを、自己学習用に写真に収める姿も多く見かけた。今回のフォーラムに立ち会ったすべての人が、壇上からの議論や問いかけを基に、それぞれの視座や立場から新たな実践へと発展させていくことだろう。

フォーラムの終わりーーそれは、更に多くの人と、アート作品が共に手を取り合いながら、対話型鑑賞の「これから」に一歩を踏み出す、そのスタートラインに足並みを揃えた瞬間だった、とも言えるだろう。対話型鑑賞を通して、アート作品と鑑賞者をはじめ、人と人、人とモノ、人とコトの関係性が発展していくことに、ますます期待が膨らむばかりだ。

※文中は全て敬称略
※肩書はフォーラム開催時のもの

取材・文:野澤美希(のざわ みき)
1994年横浜生まれ。京都造形芸術大学アートプロデュース学科卒業。 在学中より「調査」を活動の軸とし、主に非営利の文化芸術活動に関する執筆・編集、プロジェクトマネジメントに携わる。京都芸術大学舞台芸術研究センター研究補助職員などを経て、2019年より(公財)神戸市民文化振興財団に所属し、神戸アートビレッジセンター(KAVC)に広報担当として勤務。2022年より京都芸術大学アートプロデュース学科非常勤講師。専門領域は、広報コミュニケーション/アートマネジメント/社会調査。

 

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