REPORT2023.03.28

教育

対話型鑑賞プログラム「おしゃべり鑑賞会」ALTERNATIVE KYOTO in 福知山:前編 ― 花岡伸宏『記憶と立ち上げ』展をめぐって−

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  • 京都芸術大学 広報課

2022年10月8日・9日、京都府福知山市で開催された花岡伸宏『記憶と立ち上げ』展の関連プログラムとして、対話型鑑賞プログラム《おしゃべり鑑賞会》が開催された。

『記憶と立ち上げ』展は、京都府域で行われた京都府域展開アートプロジェクト「ALTERNATIVE KYOTO−もうひとつの京都−in 福知山」の参加展示のひとつである。会場となった新町商店街は、かつては城下町として栄え、1970年代初頭まで福知山の商業中心地として栄えた。しかし現在では多くの店舗が閉店し、家主の住居としてのみ使われている。その一方、近年では新しいイベントやスペースが誕生し、若い世代が訪れるようになってきている。同展は、彫刻家・花岡伸宏が、商店街の住民から集めた不用になった日用品や廃材を用いてオブジェとして再構成、3つの旧店舗で展開するインスタレーション作品群である。


本プログラムでは、複数人で作品をみながら、自分の発見や感想、疑問などを共有して話し合う、鑑賞者同士のコミュニケーションを通した鑑賞法「対話型鑑賞」が用いられ、京都芸術大学アート・コミュニケーション研究センター監修のもと、同大が実践・研究を続けているACOP/エイコップ(Art Communication Project)をベースに考案、鑑賞会の司会・ナビゲーションを同大学アートプロデュース学科の学生が行なった。

プログラムは2日間で全3回、一般(高校生以上)対象が2回、中学生対象が1回行われた。学生が司会者、ナビゲーター(ファシリテーター)を担当し、約1時間半かけて3つの会場で鑑賞した。ここでは、10月9日午後の一般対象のプログラムの様子をレポートする。

 

第1会場『記憶の立ち上げ』

第1会場外観

ひとつ目の会場は元食堂。と言っても、表に掲げられた電飾看板以外、かつてそこが食堂であったことを示すものは見当たらない。タイトルは『記憶と立ち上げ』。入り口に設置された解説パネルには「50年ほど前まで営業されていた食堂。かつてはうどんの人気店として、店内はいつも賑わいを見せていた。現在の家主家族の衣類や、旧店舗に残された物を用いて空間を構成する」と記されている。

中に入ると、空間中央に大きな箱、その上に巨大な木製の頭像と太い木の柱、さらに衣類が巻き付けられた大きな輪のようなもので構成された作品が置かれている。後ろに回り込むと、ねじられた衣類が結ばれて太いロープ状になったものが、柱の上部から後頭部を通って台座まで降りている。また、店の奥に開いた戸口の先には、住居部分と思われる畳敷の小さな部屋があり、木材や棒状にカットした畳で組まれた構造物に、畳まれた衣類から伸びる太いロープと、そばに置かれた黒電話の受話器が繋がっている。

花岡伸宏《記憶の立ち上げ》


司会者から、このプログラムでの鑑賞法について、簡単な説明をした後、進行がナビゲーターに移り、鑑賞開始。参加者は7名。まずは数分間、それぞれ自由に作品をみる。ナビゲーターから、作品に触れない程度に近づいて細かいところまでみて欲しいとアナウンスされるが、まだ場に慣れていない参加者たちは、遠慮がちに作品の周りを移動しながらやや距離をとってみている。ナビゲーターからの作品に関する情報提供は特にない。

ひとしきり作品をみた後、集まって対話。ナビゲーターから、それぞれ作品をみて気づいたことを、どんな些細なことでもいいので話してほしいと促される。それに対しひとりの参加者が、最初に中央の“女性”の頭像に目がいったと口火を切った。ナビゲーターが、作品のどのあたりから女性だと思ったのかと質問する。確かに頭像は一見すると女性のようだが、それを確証するものはない。発言者である参加者は、あらためて頭像に目をやり、髪の毛が長そうで、顔の線や目が細いあたりに女性らしさを感じた、と答えた。ナビゲーターは一つ一つの発言に作品からみてとれる根拠は何かを問い直し、さらに発言の意図をくみ取りつつ、視点を補ったり端的な言葉に置き換えたりしながら、他の参加者にも伝わりやすいように共有していく。最初は聴いているだけだった参加者も、他の参加者の発言に触発され、徐々に対話に加わっていった。


発言は様々な方向に展開されたが、例えば前述の頭像について、それが女性のものかどうかというところから対話に大きな発展がみられた。ある参加者が、女性と男性というよりも、正面からと裏側からでは違った人物にみえると言及。それに対し他の参加者から、その理由として鼻筋のところで頭が前後に少しずれていることも影響しているのではと指摘がある。さらにそこから、頭像の持つ二面性について、奥の部屋の畳まれていた衣類と関係づけて、家事をする母親と仕事をする母親としての役割のズレだと感じたという意見や、ひとりの人間が連続的に変化していく過程を示すズレではないかという新たな視点も示された。さらにはこれらの発言によって、最初は二面性をネガティブな意味に捉えていたが、肯定的な意味に感じられてきたと、解釈の変化が共有された。ほんの数十分前に出会った人同士が、対話しながら作品を鑑賞するという行為によって、作品への理解と同時に、異なる考えをもつ他者への理解を深めうる。そんな手応えが感じられた。

さまざまな対話の後、ナビゲーターが一連の対話を引用しながら、まとめる。他の会場もあわせてひとつの作品として鑑賞するため、ここで交わされた対話を忘れないようにと伝えられ、2つ目の会場へと移動。もう少し考えを深めたいのか、作品をみながら会場を後にする参加者もいた。

 

第2会場『立ち上げ、時々座る』

商店街の中を1-2分歩いて到着した2つ目の会場は元家具店。元食堂と比べてまだ新しく、同じ空き店舗であるが近年まで使われていたことが伺える。入り口の上の壁には「さいとう家具店」と金色の切り文字が掲げられている。タイトルは『立ち上げ、時々座る』。解説パネルによると「10年ほど前まで営業していた老舗家具店。2019年より文化芸術の発信の場『シンマチサイト』として活用している。会期中も花岡はこの場所を拠点に商店街内の店舗を訪問し、材料を集め、制作を行う」とのこと。

第2会場外観


中は、元家具店というだけあり、間口も広く、奥行のある空間が広がっている。ショーウインドウ内には、組み合わせた座椅子にカードなどが貼り付けられた作品などがある。通路に吊り下げられた蚊帳の下をくぐって入っていくと、奥には畳2枚をつなげ、空間を斜めに区切るようにベンチが置かれている。ベンチの上には木製のゆりかご。そのベンチをはさんで、左右に2つの大きな作品が展示されている。

会場内部の様子。花岡伸宏《立ち上げ、時々座る》

左側の壁沿いの作品は、畳の上に置かれた白っぽい木箱を台座にした胸像と小引き出し、隣に並べられた袖机の上には同じように白っぽい木箱を台座にした人形ケース、さらに天井からつり下げられた和風の照明器具で構成されている。

会場内部の様子。花岡伸宏《立ち上げ、時々座る》

一方、右側の床に置かれた作品は、新旧混じった木材や建具で組まれた等身大の立像ー先端には2つの縫いぐるみ、その他車のハンドルや玩具など様々なものが結びつけられ、床に置かれたスニーカーの上に立てられているー、木箱、ガラスケース、ダンボール箱などの箱類、人形、玩具や食器、衣類、木材、新聞・雑誌など、古いものから新しいものまでが混在し構成される作品。会場内には2つの大きな作品以外にも、木材を中心に組みあげた大小の構造物や、古いポスターパネルなどがいくつも置かれており、第1会場と比較すると、空間内に多数のものが点在している状況である。

会場内部の様子。花岡伸宏《立ち上げ、時々座る》


左側壁沿いの作品を中心に対話することが伝えられた上で、まずは自由鑑賞。参加者は広い会場内を移動しながら、時折他の参加者などと言葉も交わし、作品をみている。1回目の対話を経験し、より注意深くディテ−ルを拾い上げようとする様子が見られたが、同時にどこに注目すればいいのか焦点が定まらず、作品との距離感をはかりかねているようにも感じられた。

時間になり、指定された作品の前に集合して対話開始。胸像についての発言から始まる。胸像は、古材を組んだ芯棒の先端には白い粘土と服の切れ端で頭部のようなものが形作られ、胸部には表側と裏側から2枚の衣類が腕を絡ませるように着せつけられている。表側は女性の衣類、裏側は男性の衣類だが、顔からは性別が判然としないという意見。また顔が細くて白く、布が耳のように見えるから山羊のようだという意見がでる。人間と動物という見え方の違いはあるが、顔にできた陰影や、俯いているような姿勢から、悲しげに見えるというところには共通点があるとナビゲーターが示すが、次の発言が続かない。

胸像はこの作品の一部であり、袖机の範囲まで含めてひとつの作品であることがナビゲーターによりあらためて共有される。ナビゲーターに発言を促されて、これまで一言も話していなかった参加者が袖机の上の人形ケースについて口を開く。人形ケース内に置かれた盃に乗った白い塊の前には楊枝が置かれており、食べ物であることが暗示されている。しかし、白い塊は胸像の顔部分と同じ素材でできている。そうなると、胸像の顔をどうみたらいいのかわからない。それを受けて、別の参加者が、本来大事なものを保管する人形ケースに、食べものが入っていることに違和感があり、気味の悪さを感じていると発言する。さらに空間全体にも同じような雰囲気があると指摘したことから、他の参加者も空間全体に視線を巡らせる。よくわからないという感覚がこの空間の作品群のどこから来ているのか、対話が始まる。木材に紐で縛り付けられたぬいぐるみ、左右が前後逆向きに置かれたスニーカーなど、非日常的な扱われ方に注目する参加者がいる一方で、使われているものが、衣類、家具、食器、玩具などむしろ日常的なものばかりが使われていることに注目する参加者もいる。衣食住など生活を感じるものが、組み合わされたり、本来の使われ方ではなく使われたりして、別のものになっているからこそ、異物感、違和感がもたらされているのかも、とナビゲーターがそれぞれの意見を合わせて仮説を示す。

ここで、ある参加者から、日常的なものが使われて非日常的な違和感がもたされているという状況に気づいたことで、SF作家の星新一による自身の創作技法についての著作を想起したと発言がある。彼は、物語をつくる際、まずは物をありそうもない形で組み合わせてみるところから始める。それによって、想像が促されたり、違う見方がもたらされたりして、創作につながると述べている。この空間も、創造の過程での試行錯誤として、ありそうもない組み合わせが行われているからこそ、違和感を感じるのではないか。

これまで、目の前の具体的なものは何を意味するかという視点で対話が行われてきたが、ある作家の創作技法の話が参照されたことで、この作品からどのような世界観がみてとれるか、という、より高次の視点がもたらされたと言える。

さらに、この空間全体が試行錯誤の過程にあるのではという解釈は、別の参加者によって、第1会場の頭像の人物が変化の過程にあるという解釈とも共通点があると指摘された。加えて、作品を構成しているものには、誰かが生活の中で使ってきた気配があり、明治、昭和など時代の変遷も見えることから、人が生きていく過程での試行錯誤のようにもみえてきたという新しい発見も共有された。

 

第3会場『記憶の再構成』

3つ目の会場は、「鷹の春」という日本酒の醸造元でもあった旧高木酒店。10年ほど前まで営業していたが、以降は物置として使われていたという。タイトルは『記憶の再構成』。ショーウインドウには、様々なサイズの鷹の春の酒瓶、銘柄入りの金樽や大盃などが飾られている。店内の飾り棚などの設えは、営業当時のままのようだが、そこにも古い洋酒瓶や置物、酒蔵特有の杉玉などが整然と並べられている。

第3会場外観


奥行の浅い店内、入ってすぐの中央には、古い鉄製のベビーカーに乗せられた古材で構成される小さな人型と、古いゴム手袋がくくりつけられた古材で構成される大きな人型が向き合っている作品があり、左手奥には古い木樽の上に大小2つの手が添えられている作品が置かれている。右手奥にも大きな木樽と古材、本、雑誌などで構成された作品がある。

ナビゲーターから、これまでの2会場も合わせて、大きなひとつの作品として鑑賞することを促される。個人での鑑賞の後、全体での鑑賞へ。中央と左奥の作品を中心に対話を始める。3回目にもなると参加者も慣れてきて、作品から気づいたことが次々に述べられ、それらが他の参加者によって自然と発展していく。ある参加者が、この会場には前2会場では見られなかった手のモチーフがあると言及。これを受けて他の参加者が、確かに手は初めてだが、人を象ったものは3会場に共通してあったと指摘する。あらためて3会場をひとつの作品として捉えたとき、一貫して扱われているのが人の存在であるということが共有される。さらに、他の参加者が、ベビーカーの作品も木樽の作品も共通して子どもと大人の二人がいるように見えると言及。それを聴いていた参加者が、3会場を通して存在の形が変化してきた印象があると述べる。第1会場では一人の中に二面性がありそうだと感じられ、第2会場では一人の中に二つの存在が確認でき、この第3会場で二人の人間がみえたことで、存在が分化していっているように思われる。これに対して別の参加者から、第1会場での頭像の人物の解釈と同様、一人の人間の時間的変化を表している可能性もあるのではとの指摘がある。作品の中の人の存在の確認から始まり、ここには複数の人間の存在がある、いや一人の人間の時間的な存在かも、と参加者それぞれの中で異なるストーリーが成立しつつ、対話を通してそれらが交換され、ふくらんでいく様子が垣間みられた。

 

第3会場の鑑賞した作品の一つ。花岡伸宏《記憶の再構成》

続いて、木樽の作品について、何かを一所懸命につくっているように見えるという、参加者の指摘をきっかけに、手が表す二人の行為について対話が展開していく。酒瓶に囲まれている空間なので酒を仕込んでいる、樽から不要なものを取り出している、などの意見がでる。それらの対話を聴いていた参加者が、第1会場と第2会場の作品は状況が捉えにくく曖昧に感じられたけれど、この会場の作品は具体的な場面を想像できるようになってきている、と指摘する。ベビーカーの作品であれば、赤ちゃんと大人の存在が見え、大人が赤ちゃんをケアしているように見える。複数の人間の存在が見えることに加えて、行為や関係も見えてくるという発言であった。さらに、対話のきっかけとなった発言には、一所懸命という感情についての解釈も入っており、行為と関係に加えて感情もみえてくることが、他の参加者からつけ加えられた。

第3会場の鑑賞した作品の一つ。花岡伸宏《記憶の再構成》

ここまでナビゲーターの交通整理のもと対話が行われてきたが、ひとりの参加者が直接、他の参加者に問いを投げかけた。ベビーカーの大人の手は赤ちゃんのほうに手を伸ばしているが触れてはいない。作品のこの部分から、他の参加者がどんなことを感じたり、考えたりするのか知りたい。これに対し、大人が手を握っているのではなく伸ばしていることから、愛情という感情を表しているのではないかという考えが示される。だとすると、木樽に伸ばされた大小ふたつの手も気持ちを込めているという状況を表しているのではないかという指摘も出る。

作品からどんな感情が読み取れるかという視点で対話が展開していたが、ある参加者の発言をきっかけに、流れが変わった。自分がベビーカーに乗って愛情を注がれているという記憶は残っていないが、そのような記憶を求める気持ちはある。これは自分ではないけれど、自分もこんな風にケアされていたかもしれないと想像するもどかしさが、ここでうまく表現されている気がする。この発言に触発された別の参加者から、この会場だけ顔のモチーフがなく、だからこそ自分を投影できるのではないかという指摘がある。別の参加者たちからも、作品の手に自分の手を重ねてしまう、いろいろな部分に自分自身を投影してしまう、と発言が続く。作品と鑑賞者である自分は別個のものであり、独立した自分が独立した作品を外から見ている――。そんな視点が、対話を重ねていくことによって、作品は独立して存在しているのではなく、それを鑑賞している自分自身も含めて成立しているのかもしれない、と変化していったことが受け取れた。筆者には、参加者たちの作品をみる表情までもが変わったように思えた。

時間となり、ナビゲーターが最後のまとめに入る。第3会場だけではなく、実は第1、第2会場でも、自分たちの経験や記憶を投影して作品を見ていたのではないかということ。そして、その見方は本当に多様であったということ。それを福知山の新町商店街という、変化の過程にあるこの場所で体験したことに意味があったのではないかということ。街にも人生にも、多様な選択肢があり、可能性があるからこそ、他者の意見を聴き、自分にはない見方を知る機会になるのではと、自分たちは対話型鑑賞に取り組んでいる。このプログラムへの参加を通して、少しでも何か持ち帰ってもらえると嬉しい、と締めくくった。

 

 

後編では、本プログラムの実施からみえてきたことについて、筆者の視点から考察していきたい。

【後編】対話型鑑賞プログラム「おしゃべり鑑賞会」ALTERNATIVE KYOTO in 福知山:後編 ― 実施からみえてきたこと−
https://uryu-tsushin.kyoto-art.ac.jp/detail/1064

 

 

ライター:宮浦宜子(堺アーツカウンシル プログラム・オフィサー)
これまでNPO、アートセンター、美術館などにて、教育現場でのワークショップや、地域コミュニティでのプロジェクト、アーティスト・イン・レジデンス運営、美術鑑賞プログラム実施などのアートマネジメント業務に携わる。特定非営利活動法人芸術家と子どもたち理事。現在は食の領域でワークショップや執筆活動なども行う。

 

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