INTERVIEW2022.05.23

アート

富裕と貧困、生と死、愛と憎しみ。非合理的で矛盾に満ちた人間のありようを描く。 ― 美術家・熊谷亜莉沙さん:卒業生からのメッセージ

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  • 京都芸術大学 広報課

卓越した写実的な描写力とどこか不穏な禍々しさを感じさせる作風の美術家・熊谷亜莉沙さん。卒業・修了制作展では千住博奨励作品賞や優秀賞など数々の賞を受賞し、在学中にはシェル美術賞(2013)、上野の森美術大賞展(2014)に入選。2015年に京都造形芸術大学大学院(現・京都芸術大学大学院)を修了後、東京のギャラリー小柳に所属しています。自身の祖父をモデルに描いた「Leisure Class」シリーズや家族の死をきっかけに描いた《Single bed》など、富裕と貧困、生と死、愛と憎しみなどをテーマに作品を制作しています。

在学中のエピソードや、制作でこだわっていること、そして、美術家としての仕事への想いなどを伺いました。

熊谷亜莉沙 Arisa Kumagai

1991年生まれ。大阪在住。2015年京都造形芸術大学大学院総合造形領域修了。
主な受賞歴に、2014年上野の森美術大賞展入選、2013年シェル美術賞。主な展覧会に、2022年「私はお前に生まれたかった」(個展・ギャラリー小柳)、2021年「GROUP SHOW:5 ARTISTS」(KOSAKU KANECHIKA)、2020年「シェル美術賞アーティスト・セレクション2020」(国立新美術館)、2019年「Single bed」(個展・ギャラリー小柳)。

個展「私はお前に生まれたかった」

現在、東京のギャラリー小柳にて個展「私はお前に生まれたかった」を開催中(2022年6月25日まで)の熊谷さん。いずれの作品ともに卓越した描写力とドラマチックな明暗差、特に恐ろしいほどの黒の深さが印象的です。今回も展示している作品群で、在学中からテーマの一つとしている「Leisure Class」とは、「きわめて高価な商品を、社会的威厳を示すために消費する人々を指す」の意。ハイブランドの衣服を纏った自身の祖父や母がモチーフになっており、「富裕と貧困」や「生と死」など相反する事柄が同居した独特な作風で注目を集めています。

 

そして新作の《You or I》は、破壊された陶器の豹を描いた作品で、服飾店を経営する実家のショーウィンドウにもあった、いわば家の歴史を見守ってきた存在。鋭い牙が描かれた豹を破壊し、自身の「加害性/暴力性」の象徴として描いたのだそう。

《You or I》(2022)

 

「今回の個展で私が出したステートメントです。


人を傷つけたいという欲求がある。
あるいは他者そのものを自分の一部だと思いたい。
漠然とした復讐心があった。
それは生まれついて私の中にあるようだった。

発見は、絶望と同時に霧が晴れたような気持ちをもたらした。
私は私を破壊し続けることでしか生きていけない。

自身の加害性から逃れられないのならば、
常に自身を破壊し進むこと、が一つの答えだった。
それが、私自身の全ての倫理と道徳にもなりうる。


ニーチェの『ツァラトゥストゥラかく語りき』の<創造者の道について>より、『みずから自身の炎で、自分自身を灰になるまで焼き尽くせ』というものがあります。自分を焼きつくすことができない人間は、新しく生まれ変わることもできないということ。


ー君は、君自身にそむく異端者となる。魔女となり予言者となり、道化となり懐疑家となり、不浄の者となり悪党となる。
君は、みずから自身の炎で、自分自身を焼こうとせざるを得なくなる。ひとたび灰になりおおせることなくして、どうして新たに甦ることができるというのか。
孤独な者よ、君は創造者の道を行く。君はみずからのために、七つの悪魔から一人の神を創り出そうとせねばならない。
『ツァラトゥストゥラかく語りき/佐々木中 訳』より引用


私は、自分で自分を破壊し続けることでしか、自分を保てない。それが今現在の私自身の『倫理と道徳』だと感じています。今回展示した『破壊された豹』の作品は、どちらかというと実は前向きな作品で、私としては自分の『暴力性』と向き合うこと、それを一生やり続けていく、破壊したことは、そういう『意志』の表明に近いんです。そうしてまた新しい私になる。

私がテーマにしている愛と憎しみ、破壊と再生、善と悪、富と貧困といった表裏一体のものは私たちの中にずっとあります。常にそのどちらをも、一つの体の中に含んでいる。それでも善と悪とを分けたくなる気持ち、がどうしても芽生えてしまう『どうしようもなさ』。グレーであること、それが人の愚かさ、愛おしさであると私は思います。一人一人の複雑さの積み重ねが社会を構成する。常にその時々の自身の思想は何なのかを考え続けています」。

 

作品に込められた「ナラティブ(物語)」の要素

今回の展示では各作品にそれぞれ「詩」のようなテキストがバイリンガルで記されており、作品世界へと誘い、鑑賞者の想像力を掻き立てるようなものでした。熊谷さんは「絵画を制作する上でマンガやアニメ、小説や映画など『物語』から多大なる影響を受けてきた」と言います。

「現代美術をやる上で私が重視しているのは、絵画性と同時に『ナラティブ(物語)』の要素。物語の持っている力にずっと影響を受けていますし、それを作品にも組み込んでいきたいと考えています。そこで今回の個展では、詩のようなテキストも展示しています。現代美術でも、小泉明朗やマルネーレ・デュマス、ソフィ・カルなど、コンセプトの中で『物語』を重視しているような作家に影響を受けました」。


絵画表現を深める上で最も影響を受けたのはカラヴァッジョとベラスケスの作品だという熊谷さん。美術館で本物を見たときには「作品の前から動けなくなった」のだそう。

「美術雑誌の特集でカラヴァッジョを知ったのですが、本物を見る機会があって、私は作品の前から全く動けなくなりました。一時間だったのか、あるいはそれ以上の時間だったかは覚えていません。自身の輪郭が曖昧になるほどの体験で『こんな絵画を描きたい、学びたい』と強く感じた出来事でした。

カラヴァッジョなどが描く宗教画は『聖書』などを元にし、作家が自身の解釈を加え作品にしたもの。聖書を物語とするのは憚れますが、聖書を元にした物語は無限にありますよね。日本の小説だと太宰治の「駆け込み訴え」が大好きなのですが、あのような『物語』の鮮烈さを私はカラヴァッジョやベラスケスのように絵画で表現したいです」。

カラヴァッジョ《キリストの埋葬》(1602〜1603)
Caravaggio, Public domain, via Wikimedia Commons

 

「これじゃ全然ダメ、戦えない」

幼稚園の頃には「画家さんになる」と夢を語っていたという熊谷さんは、大学では「油彩」を専攻。特に本学の領域横断的なカリキュラムに惹かれたのだと言います。

「高校生の頃、今は無きサントリーミュージアムにて『レゾナンス 共鳴 人と響き合うアート」という展覧会があり、一人で観に行ったのですが、私の憧れとしている小泉明朗をはじめ、マルネーレ・デュマス、小谷元彦、ポール・マッカーシーといった多種多様な作家が参加している『現代美術』の素晴らしい展覧会でした。今でも内容を明瞭に思い出せるほどです。その作家らを見て、これが現代美術なんだと明確に感じたんです。その多様性に衝撃を受けて、領域横断みたいなことが重要なんだなと。そこで、マンデイプロジェクトやウルトラファクトリーなどといった領域横断で、現代美術のもつ多様性を学ぶことができる京都芸術大学は自身の成長に最も繋がる場所であると確信し、進学を決めました」。


本学へ入学後、一番変化したことは「私も作家になれる」という実感をもつことができるようになったことだそう。入学前には「現代美術を学ぶこと」や「絵画をやる」ということに強い憧れはあったものの、心のどこかでは「でもやっぱり、作家にはなれないだろう」と思っていたと言います。

「当時の私には『作家』というものがあまりにも曖昧な職業に見えていたからです。でも、進学して学んでいく中で、第一線で活躍されている作家の先生方が身近にいらっしゃり、特に大学院では具体的に『どういうプロセスを踏み作家として自立したか』ということをご教授くださり『私も作家になれるのではないか』という考えをもつことができるようになりました」。


大学院では椿昇先生のゼミに所属。そのきっかけは、学部時代に椿先生から厳しく批評されたことだったと言います。

「『これじゃ全然ダメ、戦えない』って。当時公募の団体展で受賞したこともあり、自信をつけ、調子に乗っていたのかもしれません。厳しく言われて当時は堪えましたが、椿先生が仰ったことはすべて的を得ていて、『私はこの人に絶対ついていくべきだ』と感じました。そこからのご指導は1000本ノックみたいな感じでしたね」。

(左)熊谷さん(右)椿昇先生

 

熊谷さんの中でのターニングポイントだったという大学院での指導。椿昇先生・大庭大介先生のゼミ。椿昇ゼミで、最も叩き込まれたのは「言語化」だったと言います。

「『物語』は元々大事にしていたのですが、『私の中に一体何があるのか』をとことん突き詰めることになりました。もちろんそれは日々変わっていくことでもありますが『一番根本にある本質的な部分に触れることを恐れないこと』や『他者に理解してもらえずとも、理解をしてもらおうとする姿勢』、そして『普遍性の追求』を椿先生から学びました。勝手ながら卒業後も父のように思っています。

自分の本質に触れるのは怖いことですが、私が表現したいことは心の内側にあること。感情的な部分、トラウマ的な部分、ルーツ、そういうものを物語性と絵画性を通して表現したい。それは自分の傷に触れることでもありましたが、向き合うことは自分にとっては重要なことでした。

大学院では『総合造形領域』に所属して、映像、写真、立体など様々な表現方法がある中で、やはり絵画を選び続けたのは、現代美術絵画の第一線で活躍されている大庭大介先生にご指導して頂けたことは非常に大きいと思います。熊谷が表現したいことを絵画にするなら写実表現が適切ではないか、というのも大庭先生が提案してくださったことです」。

 

愛と憎しみが綯い交ぜになった、私小説的な作品

大学院を修了後、2017年にギャラリー小柳で開催したグループ展「Portrait」に参加。好評を得るとともに後にギャラリーに所属することになりました。2019年には初個展「Single bed」を開催。私小説的な作品群で、離婚し、別居していた自身の父親が孤独死したことをきっかけに、約2年間をかけて取り組んだシングルベッドサイズの大作《Single bed》を含む新作7点が展示されました。父親の死に直面し「私はもうほとんど、このことを作品としなければならないという強迫観念に囚われました」と言います。

《Single bed》(2019)

 

「愛と憎しみの同一性、どうしようもなさを表現した作品です。父との関係は全く良くなく、非常に複雑な感情を長年持ち合わせていましたが、死に様を知って私は自分のシングルベッドから2週間ほど起き上がれなくなりました。『これを作品にしないと前に進めない』と確信しました。孤独、その象徴的なものとしてシングルベッドのサイズの作品を描きました。

モチーフは、母が父に手向けた花。単純な鎮魂ではなく、父と母の愛憎関係、そして私自身の感情が綯い交ぜになったものを描きました。他の作品も自身の家族史を元に制作したもので構成した個展となりました」。

 

私的なことを「普遍」なものに

現在開催中の個展「私はお前に生まれたかった」では、私小説的なものから一歩踏み出し、より詩的なものを、そして熊谷さんなりの前進の仕方を表現しているのだそう。絵画と共に詩を展示するという試みもその表れです。

「破壊する前の陶器の豹《Fragile Leopard》は、元々『シェル・アーティストセレクション(SAS)2020』で描いた作品です。先ほどお話しした通り、実家のショーウィンドウにあった、いわば家の歴史を見守ってきた存在で、私や他者の『加害性の象徴』として描きました。今回は、その陶器の豹を壊すことで、ニーチェ曰く『みずから自身の炎で、自分自身を灰になるまで焼き尽くせ』の意、自分の暴力性と向き合うことを表現したかった、いわば意志表明みたいなものです。また、絵画と共に詩を展示するというのはずっとやりたかったことでした」。

《Fragile Leopard》(2020)
《You or I》(2022)
《You or I》に付されたテキスト

 

「私が作家として大切にしていることは、傲慢かもしれませんが私自身の救済をどれだけ普遍的にしていけるのかということ。今までは私小説性が強く「父、母、祖父、祖母」などの言葉を使ってきましたが、今回の展覧会では意識的に抽象性の高い「男」や「女」という言葉を使っています。また、物語性の強い作品を制作する限り、その暴力性を意識し続けないといけないということも大切にしていることの一つです」。


シングルベッドサイズの作品には、吊るされた花が描かれ、横には『ヴァージニア・ウルフは夫へ「私たちほど幸福な人はいません」と書き残し自死を選んだ』というテキストが付されています。ヴァージニア・ウルフの遺書は、世界で一番美しい遺書、とも言われているものです。

《Single bed》(2022)

 

「描いた花は、私がプロポーズをされたときにもらった花束です。『家族』というものに対して複雑な感情を持っている私が『家族になる・家族を選ぶことができる』ってどういうことなのだろうと深く思い悩みました。その一つの答えを、シングルベッドサイズの画面に、僅かに枯れかけた花束を一本の麻縄で吊るしたさまを描くことと、テキストで表現しました。

前回の個展でも、今回の個展でも、私の作品を見て自身のトラウマを吐露して下さる方が何人かいらっしゃいました。作品が普遍性を持ったことを感じた瞬間でした。同時に作品が『誰かの傷にふれてしまう』ことを意識しないといけないと強く感じました」。

 

愛憎が色濃く反映された作品を描く熊谷さんの展覧会では、作品の前で涙を流す方もいるのだとか。今後も「絵画と言葉の可能性を追求しつつ、「普遍性」へと昇華させていきたい」と語ります。

「自分のルーツや表現したいことを『普遍』にしていくという追求は、最も刺激的で恐怖も伴うことです。作品に込めた気持ちや感情、そこにある悲しみや死とか美しさとか、誰しもが感じとれるようなこと、感情移入し、圧倒されてしまうこと。そういうものが『普遍性』だと思います。

“愛と憎しみ” や “富と貧困” は、誰しもが持っている感情や問題で、今後も一生かけて取り組んでいきたいと考えていますし、自分の持っている物語のひとかけらが、作品を見てくださった方の琴線に触れられたらと思います」。


(作品撮影:大河原光、展示撮影:木奥恵三)

熊谷亜莉沙「私はお前に生まれたかった」

会期 2022年4月16日~6月25日 ※日、月、祝
時間 12:00~19:00
会場 ギャラリー小柳
住所 東京都中央区銀座1-7-5 小柳ビル9F

http://www.gallerykoyanagi.com/

 

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