REPORT2022.03.25

世界と京都をつなぐ「蔦の壁」を目指して ― 「ICA京都」設立発表会レポート

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  • 京都芸術大学 広報課

世界に向けた架け橋としてのICA京都

「出来上がったものを並べる美術館でなければ、アート・マーケットでもない、自由な相互作用の場としてICA京都を構想しました」

ICA京都(Institute of Contemporary Arts Kyoto)の所長を務める浅田彰(批評家、京都芸術⼤学教授)は、設立発表会の壇上で、ICA京都設立についてこのように語る。

現代社会の中で、アートを取り巻く状況は刻一刻と複雑化している。「現代アート」と一口に言っても、その「現場」はさまざまだ。ミュージアム、ビエンナーレ、ギャラリー、アート・フェア、レジデンスなど、多様な場の力学が重なり合うことでグローバルな「アート・ワールド」は成立している。アーティスト、キュレーター、研究者といった「プレイヤー」には、いくつもの現場を渡り歩く適応力と、複合的な現場経験に基づく独自のキャリア・プランが求められる。

しかし、大学や大学院を出たばかりの人が、一足飛びにそうした「世界」に接続することは容易ではない。そこで本学は、京都独自の文脈に寄り添いながら、世界との架け橋になることを目指すインキュベーション施設として、現代アートの研究機関「ICA京都」を設立した。


ICA(Institute of Contemporary Arts)とは、直訳すると「現代芸術研究所」を意味するが、ICA京都は決してアカデミックな研究所ではない。それはミュージアム(展示の場)でもアートフェア(売買の場)でもない「第三の場」として構想された。その主な機能は、シンポジウムやトーク・セッションのような議論の場づくり、アーティスト・イン・レジデンス⽀援、ネットワーキング⽀援などである。さしあたり、ミュージアムやアートフェアのように、作品や商品などの「モノ」が行き交う場でなく、世界中の「人」が行き交う場であると考えておくとわかりやすいだろう。

しかし、2020年4月の設立と時期を同じくして、新型コロナ・ウイルスが世界を席巻、激しい逆風とともにICA京都はそのスタートを切ることになった。

その後2年弱の低空飛行を経て、設立発表会が開かれたのは2022年3月のこと。冒頭の浅田による発言は、そうした苦境の時期を乗り越えて発せられたものだった。

グローバルな議論の場づくり

設立発表会の第一部では、⼤坂紘⼀郎(キュレーター/ギャラリスト、京都芸術⼤学客員教授)の司会のもと、 ICA京都の主な役割を担うスタッフたちによるプレゼンテーションが行われた。

副所⻑の中⼭和也(アーティスト、京都芸術⼤学教授)は、国際シンポジウムやトークセッションなどの取り組みについての発表を行った。それによると、ICA京都では、2022年夏にチェンマイ(タイ)とジョグジャカルタ(インドネシア)からアーティストやキュレーターを招聘する国際シンポジウムを予定しているとのことだ。本学大学院と東山アーティスツ・プレイスメント・サービス(HAPS)が2016年から共同企画している「グローバル・アート・トーク」、本学大学院・学術研究センターが企画してきた「公開講座」をICA京都の企画事業として継承し、現代世界を取り巻くさまざまな課題を多様な視点で読み解き、京都と世界を繋ぐ国際シンポジウム、トークセッションなどを企画・運営していく。

こうしたイベント開催に加えて、半年に5名ほどのペースで世界各地のアーティストやキュレーターを受け入れる方針も発表された。ゲストは「特別研究員」として専用のデスクを提供されるほか、ICA京都との共同研究も実施していく予定だ。


続いて発表されたのは、芸術文化をめぐるコミュニケーション・プラットフォーム「Realkyoto Forum(以下RF)」だ。RFの編集長を務める⼩崎哲哉(ジャーナリスト/アート・プロデューサー、京都芸術⼤学教授)は、その狙いが「現代アートに留まらず、舞台芸術、音楽、映画など、多様な表現ジャンルをめぐる言説を全国や海外へと発信していくこと」にあると述べる。

RFの前身にあたるのが、ウェブ・マガジン『Realkyoto』である。2012年以降、本学大学院と小崎哲哉事務所が共同運営してきた『Realkyoto』が、ICA京都の設立に伴い、ICAウェブサイト内に移転した形となる。

崎によると、RFが掲載する記事における唯一の共通点は「批評的であること」。たしかに、すでに掲載された記事を見てみると、展覧会レビューからダンス評、文化政策論までジャンルレスで、鋭い切り口のものばかりだ。執筆者陣も、批評家、アーティスト、建築家など、バラエティに富んでいる。

さらに日本のアート系メディアとしては珍しく、RFのテキストはすべて日英バイリンガルに訳出されるという。このことからも、RFが海外への情報発信を強く意識したメディアであることがわかるだろう。

海外挑戦への手厚いサポート

情報発信という視点で見れば、人々の直接的なコミュニケーションも重要である。1990年代以降の日本のアートの世界では、アーティスト・イン・レジデンス(AIR)と呼ばれるプログラムが盛んに行われている。

AIRとは、アーティストが一定期間、特定の土地に滞在して行う制作やリサーチなどの拠点となる場所のことを指している。美術館が運営する大規模/公的なものから、個人が運営する小規模/私的なものまでその種類はさまざまだ。京都では、ヴィラ九条山や京都芸術センターなどが重要な役割を担ってきた。

レジデンシーズ・コーディネーターの⽯井潤⼀郎(アーティスト)は、ICA京都では積極的な「AIR支援」を展開していきたいと述べる。

石井によると、ICA京都では、世界各地のAIRの情報を収集・発信するとともに、各地のAIRに申請する人々の相談窓口を設置、海外挑戦の支援を行っていくそうだ。なんといってもAIR申請者にとって大きなハードルになるのは、外国語のウェブサイトを閲覧し、慣れない言語で申請書類を準備するプロセスだろう。ICA京都のAIR支援には、そんな海外挑戦へのハードルをぐんと下げる役割が期待されている。


さらに支援者の資格については、「日本拠点で活動していること」以外は年齢も国籍も問わないという。キャリアの少ない若手のみならず、新たな領域を開拓したい中堅、いくつになってもチャレンジしたいベテランも等しく支援の対象となる。
「他人と違う人生に踏み出すことには勇気が必要ですが、ICA京都では、その勇気を後押しします」と石井は述べる。

「第三の場」としてのICA京都

続いて第二部は、ICA京都の顧問を務める⽚岡真実(キュレーター/森美術館館⻑、京都芸術⼤学客員教授)と、所長の浅田彰によるトーク・セッションが行われた。


セッションの冒頭で浅田は、議論の前提として、現代社会では多文化主義とグローバル資本主義が背中合わせになっていると述べる。

多文化主義とは、一言でいえば、マイノリティ(少数派)の文化を尊重しようという考え方である。たとえば単一の日本文化などというものは存在しない。私たちの社会には、民族的、文化的、性的など、さまざまな意味でのマイノリティが存在する。それぞれの立場の人々とその文化が尊重されるべきことは、誰も異論を挟む余地がないほどに「正しい」。しかしその「政治的な正しさ(ポリティカル・コレクトネス)」によって、お互いに相手を無条件に肯定することが求められ、批判的なコミュニケーションができなくなるとすれば、文化は窒息してしまうだろう。

その一方で、現代はグローバル資本主義の時代でもある。モダニズムに基づく普遍的価値判断が難しくなる一方、作品の価値を判断する基準として価格(貨幣価値)だけが残るという状況だ。

このように、一方では「政治的な正しさ」、他方では「貨幣価値」の全面化によって、現代ではアートの価値に関する多面的な議論が難しくなっていると浅田は述べる。この状況を突破するためには、人々が批評的に討議できる「第三の場」が必要であり、ICA京都がその役割を担うことが期待されているのだ。

営利/非営利に分断されるアート・ワールド

それに対して⽚岡真実は、キュレーターという立場から現代アートを取り巻く状況を説明する。
片岡によると、浅田が述べた「多文化主義とグローバル資本主義の併存」は、現代アートの世界にもある程度当てはまるという。美術館や芸術祭で制作される作品のなかには、必ずしも「物理的な」作品が発生しない場合がある。地域住民との協働や社会的課題解決などソーシャリー・エンゲージド・アート(SEA)と呼ばれるプロジェクト型のものはその一例だ。また、美術館や芸術祭の場は、直接的には作品の販売等は行われない、非営利の領域となる。


また芸術祭や地域アートの現場などでは、一般の幅広い観客が対象となることもあり、誰もが楽しめる体験型のインスタレーションやスペクタクルな映像作品などが歓迎される。

その一方で、作品売買を伴う営利的な領域も存在している。商業ギャラリー、アートフェア、NFTプラットフォームなどがそうだ。これらの領域では、作品は「売買」によって移動するため、コレクターが作品を所有することが前提となる。したがって、映像やインスタレーションなどでなく、絵画や彫刻などのオールドメディアが全体の9割以上を占めるという。

浅田の述べる「多文化主義」が前者に相当するもので、「グローバル資本主義」が後者に相当するものだ。片岡によれば、アート界の非営利領域と営利領域の間には、これら扱う作品の傾向として微妙な分断があるが、両領域で活躍しているプレイヤーもいる。これからのアーティストは、少なくともこうしたアート界の全体像を認識しておく必要があるだろうという。

「ラディカント」が示す文化モデル

こうした現代社会や現代アートの状況に対して、私たちはどのように向き合うべきなのだろうか?

浅田はひとつのヒントとして、フランスのキュレーター、ニコラ・ブリオーの著作のタイトル「ラディカント(radicant)」を引用する。主根から側根が分岐していく「根」ではなく、蔦のように行く先々で不定根(茎や葉から出る根)を延して広がっていく植物を指す言葉だ。


ブリオーによれば、それはラディカルな(根こそぎの)革新を目指すモダニズムの革命主義でも、個々の文化的な根(ルーツ)にこだわるポストモダン保守主義でもなく、行く先々での出会いを大切にし、自身も相手もともに変化していく流動的で有機的な文化モデルであるという。

それに対して片岡は、浅田のいう「ラディカント」な文化のあり方を体現するのが、ほかでもないICAという形態ではないかと述べる。
片岡によると、ICA京都のモデルのひとつに、1946年にイギリスで生まれたICAロンドンがあるという。ICAロンドンは、作品の収集・展示・保存を核とする従来の「美術館」とは異なり、より実験的で非営利的な表現者が集うコモングラウンド(共通基盤)としてスタートした経緯を持っている。

ICAロンドンをはじめとする世界各地のICAには展示スペースがあるが、ICA京都ではそれを選ばなかった。展示スペースを持つ施設は、当然のことながら「展覧会」がその事業の一部として組み込まれることになる。しかし、展覧会を開催するためには多くの時間・予算・労力が必要だ。そこでICA京都では、展示スペースを少なくとも当面は持たない代わりに、既存の展示空間などのリソースと協働することで、より実験的で革新的な試みへ注力する方針を取ったそうだ。

真の「対話」が促す次世代のクリエイション

片岡は、ICAという形態と京都の相性の良さについて、「京都は東京に比べて小さな範囲に人も施設もまとまっているので、地の利がよく、既存の施設や人々が蔦のように結びついてうねりとなり、世界につながっていく可能性がある」と述べる。

それは、先に述べられた「アート・ワールド」という巨大なマップの上に、自らが依って立つ場所を見定めることにもなるという。人々がリアルに交流し、有機的な知の交換が行われることによって「大きな蔦の壁」が生まれ、その全体像が可視化されるかもしれないからだ。

その一方で浅田も、長年京都で活動してきた経験から、京都には「違うジャンルの人々が交流しやすい土壌」があるとする。やはりそこで重要になるのは、出来上がったものを一方的に公開する美術館よりも、すでに存在する資源を双方向的に結びつけるICAであるという。

浅田は、ICAの理想は「仲良く喧嘩できる場所」になることで、そのコミュニケーションが「下手な成功よりも意味のある失敗」を見つけることにつながってほしいと述べる。アーティスト・トークやシンポジウムなどは、完成された批評の手前にある「対話」として、大きな意味をもってくるだろう。

この「仲良く喧嘩できる」というワードが想起させるのは、1970年に開かれた大阪万博での岡本太郎と丹下健三のやり取りだ。

万博記念公園にいまも建つ《太陽の塔》は、万博会場に予定されていた丹下設計による「大屋根」を突き破る形で建てられることになった。そのときに生じた岡本と丹下の衝突について、浅田は「建築とはかくあるべし、美術とはかくあるべしと思っている人々が強烈にぶつかり合った結果、真にインターディシプリナリーなクリエイションが生まれた」と述べる。

またその後日談として、本学教員でアーティストのヤノベケンジは、万博会場の跡地に残された「未来の廃虚」に大きなインスピレーションを受けて、アーティストとしてのキャリアをスタートさせた経緯がある。このように、予定調和的ではない緊張感のある「対話」こそが、次なるクリエイションを生み出すことになるのかもしれない。

そして最後に片岡は「京都にしかできないこと、京都からしか生まれないことがまだまだあるはず。外から京都を訪れ、ICA京都を拠点に蔦を伸ばしてもらう。その結果、京都から世界へと複層的な広がりが生まれてほしいと期待しています」とし、この場が締めくくられた。

(文:藤生新)

 

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