REPORT2022.03.03

マンガ・アニメ教育

伝説のような巨匠も同じ道を歩いている先輩であることを忘れないで。 ― 「国際アニメーションデー 2021 in 京都」

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  • 京都芸術大学 広報課

1892年10月28日に世界で初めてアニメーションが公開上映されました。ASIFA(国際アニメーションフィルム協会)※1 は、この10月28日を国際アニメーションデーと定め、世界中でお祝いのイベントを実施しています。本学でも2005年から毎年、ASIFA-JAPAN(国際アニメーションフィルム協会日本支部※2 との共催で特別授業という形で、「国際アニメーションデー in 京都」を実施し、世界中のめずらしいアニメーション作品を紹介してきました。

※1) ASIFA(国際アニメーションフィルム協会): https://asifa.net/
※2) ASIFA-JAPAN(国際アニメーションフィルム協会日本支部): https://www.asifa.jp/

 

惜しまれつつ幕を閉じた広島国際アニメーションフェスティバル

アジアで最初のアニメーションに特化した国際映画祭である広島国際アニメーションフェスティバルの誕生は1985年。広島市の被爆40周年記念事業として開催されました。1972年に短編アニメーション『MADE IN JAPAN』でニューヨーク国際映画祭グランプリを受賞した木下蓮三氏とその妻である木下小夜子氏の10数年に及ぶ尽力で開催に至りました。以来、2年に1度の隔年開催で映画祭を継続。やがて、こうした活動が世界から認められて広島大会は世界4大アニメーション映画祭の1つとして知られるようになり、米国アカデミー賞やアニー賞の公認も得ました。しかし残念なことに、広島国際アニメーションフェスティバルは2020年の第18回大会を最後に36年間の歴史に幕をおろすことになりました。

 

他ではみられない貴重な資料が展覧会でお目見え

今年度の「国際アニメーションデー2021 in 京都」※3 では連携企画として、「広島国際アニメーションフェスティバル写真展」をギャルリ・オーブ入口にて開催。アーカイブ化された広島国際アニメーションフェスティバルの資料を展示しました。この展覧会は、広島国際アニメーションフェスティバルが遺した貴重な資料をアーカイブ化して後世に伝え、日本と世界のアニメーション文化に与えた影響を検証するプロジェクトの一環として行われました。

第1回大会から第18回大会までのグランプリ作品やそれぞれの会の特筆すべきことが写真と共に紹介され、歴代公式ポスターの展示では、本学に関わりのある田名網敬一先生や故・相原信洋先生の他、第1回大会でグランプリを受賞した手塚治虫さんやロッテのキャンディー「小梅ちゃん」のイラストでもおなじみの林静一さんのポスターも見ることができました。

※3) 国際アニメーションデー2021 in 京都: https://asifa.jp/animationday/


 


 

伝説のような巨匠も同じ道を歩いている先輩

「国際アニメーションデー 2021 in京都」は大学院「特殊演習3AB」という授業の一環として行われました。授業の第一部では、情報デザイン学科 大西宏志教授による国際アニメーションデーについてのイントロダクションレクチャーと、ASIFA-JAPAN会員による13作品『ASIFA-JAPAN Vol.1』の上映が行われました。

イントロダクションレクチャーでは、エミール・レイノーが発明し、1892年10月28日に自らが初演したテアトル・オプティック(視覚劇場)のイラストレーションと再現映像を視聴しました。これが世界で最初のアニメーションです。リュミエール兄弟によって映画が一般公開されたのが1895年。絵を動かすシステム(アニメーション)が、映画が生まれるよりも前に誕生していたというから驚きです。

 

エミール・レイノーが発明したテアトル・オプティック(視覚劇場)


アニメーションの成立過程を紹介する映像教材があります。興味のある方はご覧ください。

 

 

国際アニメーションデーのポスターは毎年、世界のアニメーションアーティストの中から一人が選ばれて、共通のビジュアルイメージを制作しています。それを各国がローカライズをして使っています。今年の公式ポスターはイランのMaryam Mohajerさんのデザインです。そして京都版は、本学大学院芸術研究科教授の佐藤博一先生がデザインされました。

 

佐藤博一先生によるデザインの京都版ポスター
ベースとなるアートワークはMaryam Mohajerさんが作成


国際アニメーションデーの催しが世界で始まったのは2002年、日本では2005年からでした。なんと、日本で最初の国際アニメーションデーは本学春秋座で開催されました。それが可能となったキーパーソンは故・相原信洋先生であると大西先生は言います。相原先生は京都芸術短期大学よりアニメーション教育を牽引していた先生です。ASIFA(国際アニメーションフィルム協会)の日本支部ASIFA-JAPANの元理事であり、広島国際アニメーションフェスティバルのプロジェクトメンバーでもありました。

大西先生は、ASIFA-JAPAN 設立会議で撮られたスナップ写真に写る相原先生や木下小夜子氏、手塚治虫氏などを学生たちに紹介し、「アニメーションを作っている人たちにとって、今や伝説のような先生方を雲の上のような人でなく、同じ道を歩いている先輩であって、あなた方に繋がっていることを忘れないでほしい」と話しました。

 

会場全体が大感動に包まれて

マイケルさんの作品『父と娘』は、第9回広島国際アニメーションフェスティバルでグランプリと観客賞をダブル受賞したほか、第73回アカデミー賞にて短編アニメーション賞を受賞するなど、各賞を受賞しています。また、マイケルさんはスタジオジブリ等製作の長編アニメーション映画『レッドタートル ある島の物語』の監督でもあります。大西先生から、「世界的に知られる著名な方なので知っている人も多いと思います。今日は、先生としてレクチャーしてくださるわけですが、こういったことが叶ったのも、木下小夜子氏との信頼関係やASIFA-JAPANのこれまでの活動、広島国際アニメーションフェスティバルで深めた友情があるからこそ来ていただけるんですよ」とその繋がりを教えてもらい、会場の皆さんはアニメーション界の巨匠が今回のイベントに特別講師で登壇される理由に頷いていました。

 

 

マイケルさんの作品『父と娘』を観るその前に、ユーリー・ノルシュテイン監督の作品『アオサギとツル』が上映されました。マイケルさんは学生時代この作品に非常に感銘を受け、アニメーション監督を目指すきっかけとなったのだそうです。この授業を受けている学生のみなさんに、今や巨匠となったマイケルさんが学生だった頃にどんなものに感動してどういったことを考えていたかを感じて欲しい、またこの作品の上映はマイケルさんのリクエストでもあることが、大西先生より伝えられました。そして、そのあと上映されたのが、第9回広島国際アニメーションフェスティバルでグランプリと観客賞をダブル受賞し、第73回アカデミー賞を受賞した作品『父と娘』です。

 

©2000 – Cloudrunner Ltd and CinéTé Filmproduktie bv
脚本、アニメーション、美術: マイケル・デュドク・ドゥ・ヴィット
撮影:Alistair Beckett/Nic Gill
プロダクション: CinéTé Filmproductie bv and Cloudrunner Ltd
プロデューサー: Claire Jennings/Willem Thijssen
配給会社:スタジオジブリ

 

大西先生もプロジェクトメンバーとして広島国際アニメーションフェスティバルに参加されていました。『父と娘』を初めて観た時のことを、以下のように想いを込めて述懐されています。

 

「広島国際アニメーションフェスティバルのコンペティションプログラムでは、1日に多い時は20本近くの映画が上映されますが、この作品が上映された時は会場の空気が変わったんです。『父と娘』が流れた時は、場内がひとつとなって、みんながスクリーンにくぎ付けになるような雰囲気になったのを、今でも覚えています。8分程の短い作品ですけども、その間、時間が止まったような、あるいは永遠に時間が流れているような不思議な体験をしました。

上映が終わった後がまたすごくて、広島の映画祭では滅多にないことですが、会場全体が大きな拍手に包まれ、スタンディングオベーションが見られました。それはこの作品がグランプリを取るなと確信した瞬間でした。それぐらい強力な印象の作品でした。思ったとおりグランプリを取りましたが、驚いたのはそれだけでなく観客賞も受賞したことです。

大きな賞を受賞した作品は最終日の表彰式の夜にもう一度上映されます。普通、2度目に観ると最初に観た時ほどの感激や感動はないことが多いのですが、この作品は何度観てもいいんですよね。観るごとに細部が分かってくる、ディテールが感じ取れるという作品です。表彰式の際の再上映でも会場全体が大感激、大感動に包まれて終わりました」。

 

巨匠 マイケル・デュドク・ドゥ・ヴィットさんによるスペシャルレクチャー

いよいよマイケルさんによるオンラインレクチャーが始まりました。「国際アニメーションデー 2021 in京都」の参加者に向けて、マイケルさんからユーリー・ノルシュテイン監督作品『アオサギとツル』や自身の作品『父と娘』のこと、また「作品のアイディアはどのようにして生まれるのか」のレクチャーがありました。


 

マイケル・デュドク・ドゥ・ヴィットさんがオンラインレクチャーに


以下は、レクチャーの内容を翻訳したものです。

詩情性溢れる作品『アオサギとツル』

私が『アオサギとツル』を初めて観たのは、1975年フランスにあるアヌシー国際アニメーション映画祭の時でした。アヌシーはアニメーション映画の世界では最も古くて最も大きな国際映画祭です。私は全ての作品をみたのですが、他の作品よりもはるかにこの1本が心に残りました。70年代の最も見慣れたアニメーションはアメリカ製の派手な色合いで動きの早いものが主流でしたが、もの静かで詩情溢れる雰囲気のこの作品が登場してきたのです。

私がこの作品で気に入ったのはセリフと音楽です。音楽は作品の醸し出す雰囲気に貢献しており、セリフはユーモア溢れるものでした。この作品は詩歌だと思います。非常に強烈な詩的な印象を観る側に与えます。私はここまでみごとな詩情性を持った作品をこれまで観たことがなかったのです。

ストーリーは軽くて単純なものです。2羽の鳥が登場して、その2羽の恋が成就するかどうかです。もっと強いストーリーが必要だと思う人もいるかもしれませんが、これで十分機能しており、これ以上に強いストーリーは必要ないのです。この作品のセリフや音楽、デザインなどの構成要素はお互いに響き合って、全てがふさわしい形をとり総体を成しています。そういった特徴は他の優れた作品の多くにも言えることですね。

 

自分は何をしたいのかを自問すること

このことは、私自身がアニメーションを作っていることにも関係しています。私はそのすべての要素を少しぐらいはわかっているつもりで、その複数の要素をどのようにあわせるかということをアニメーションでやってきたつもりです。みなさんの中でアニメーションの制作を目指す人が、どうすれば様々な要素を一つの総体として機能させられるかということを考えるなら、絶え間なく試行錯誤をしてください。失敗から多くを学んで前に進んでいくという経験が必要です。

また、同じアニメーションを作っている仲間や周りの人と議論することもできますね。視聴者の反応に敏感にならなければならないところや、一緒に制作している仲間の意見に耳を傾けなければならないところもありますが、同時に自分自身の感性や芸術表現など大事なところは守らなければなりません。

私にとって一番大切なことは、自分自身にとって最も深い重要な原動力は何なのか、何が深い願いなのか、何が最も深く理解したいことなのか、そういった事柄です。私にとって創造性を持つことと、自分自身は何者なのか理解すること、この二つは関係しています。自分が何者なのかと問うことは、自分が何をしたいのかを自問することにもなります。例えば、アニメーターであり続けたいのかどうか、本当に表現したいものは何なのかなど。答えを導き出せなくても自問することが大事です。これが私の辿った道のりを振り返っての結論です。

 

 

数分のうちにひらめいたアイディア

『父と娘』の発想を得た際のことをお話ししましょう。当初は別の物語を考えていました。それが上手くいかなくて行き詰っていたある時、ラジオも付けず一人で高速道を運転していました。その状態が私にとって物事を考えるのに完璧な状況だったのですね。運転しながら、映画を通じて何を一番伝えたいのか、どんなことだったら自分にとって納得のいくものなのか、これだ!と言えるものは何だろうと、ずっと考えていました。そう考えていると、伝えたいモチーフは“longing(思慕)”、つまり人生をかけて探し求めるもの、そういう感情を描きたい、というところに行き着きました。

その憧れの対象は何なのかというのは、その時には明確に出てこなかったのですが、生きるうえで深く求める気持ちの美しさ、それが強く意識されたのです。最終的に、“longing(思慕)”に近い感情として、こどもが親へ抱く眼差しや感情を考えました。それは息子と父親なのか息子と母親なのか、色々と組み合わせを考えましたが、ついに娘が抱く父親に対する憧れが一番いいと考えました。

そしてどのように展開すれば良いのかと考えた時に、オランダで過ごしたこども時代の風景が思い浮かびました。自転車で通った景色、単純な地平線と開かれた広い空の美しさを連想しました。それは運転しながら数分のうちにひらめいた要素たちです。幸運なことに、すぐさまどんな音楽がいいかも思いつきました。それは3拍子のワルツでした。3拍子のリズムというのは円形をイメージさせます。そこに喜びもあれば郷愁もあって哀しさもある、そういうものを含むようなリズムです。

つまり映画が誕生したのは、車を運転していた数分という短いひとときでした。まさに最高の喜びを覚えた時でした。これならいい作品を作れると思いましたが、そこで私は自分にブレーキをかけました。もう少し寝かせて考えた方がいいと思いました。色々なアイデアが浮かんできても、時にそれが翌日にはもう死んでいることがあるからです。しかし、考え直すたびにこの物語に対する情熱がますます高まっていったので、これは、間違いないと思いました。もちろん作品によっては何年も構想に時間がかかることもあります。

 

好奇心なくして創造性はない

もう一つ取り上げたい事柄は、どうすればより創造性をもってやっていけるかということです。それは好奇心です。好奇心と創造性は繋がっています。好奇心なくして創造性はありえません。自分自身の好奇心をぜひ楽しんでください。

好奇心から色々と本を読んで調べるなどの行為が生まれてきます。その道具となっているものの一つにインターネットがあります。驚くべき量の情報を得ることができるわけですが、しかし自分の体をもって体験することとは本質的に違うと思います。音楽をネット上で聴くこととコンサート会場で聴くことはまるで違う体験です。身体そのものからの知覚をフルに使うことが大事です。

創造性をもって制作活動をする全ての人と同じように、枯れて何も出てこないという時期があります。そういった時にはぜひ聞きたいと思っていた素晴らしいコンサートに行ったり、ぜひ観たかったという展示を観に行きます。そうしてその作品を眺めていると、その体験が自分自身の中で響き合い、表現の素晴らしさはこういうものだと思い出させてくれます。美しさを痛感することが再出発のきっかけとなります。

 

 

「大切なことは何か」ということを自分に投げかけること

私たちが創造性をもって映画を作ろうとしている時は、意識的であれ無意識であれ誰かに向けて作っています。その誰かに幸せになって欲しいという気持ちを抱いてやっています。誰に向けているのかということを考えるのも意味のある事です。それは創造性を追求する原動力になるわけです。

最後に、今日の話の中で一番大事だと思っていることは、最初にお話しした自分自身について誠実に自問する、大切なことは何かということを自分に投げかけることです。48年のアニメーションに携わる人生の中で、最も大切なことでした。

 

“残念ながら私にも答えることはできません”

マイケルさんのレクチャーが終わると質疑応答の時間が設けられました。まずは大学院生のマハズーン・マリヤムさんからの質問です。

マリヤムさん
私は『父と娘』について登場人物のやりとりに注意が注がれました。父親が娘と別れる際に強く抱きしめる描写や、娘が大きくなって他の人々と自転車がすれ違う時にベルを鳴らしたり、年老いた女性が湖に入ろうとしたときに止めた自転車が何度も倒れては起こすといった、細かい動作や仕草を描いておられます。そういった表現をされている時にマイケルさんの頭の中ではどういったことがおこっているのでしょうか?

マイケルさん
ディテールの話として3種類あると思います。まず大きなディテールですが、これは物語が必要とするようなディテール。これは議論の余地はなく作品が必要としているものなので取り入れたらいいのです。

次は小さなディテール。これは映画を作る人たちの多くが知っていることですが、たくさんの情報をもつ要素よりも単純なもので多くを語らせます。例えば宮崎駿監督の『千と千尋の神隠し』。作品の冒頭で謎のトンネルの前に千尋と両親が立った時、一瞬かすかな風が起きます。その小さな風が非常に多くを語ってくれます。

3つ目のディテールはディテールのなさです。省略できる情報や要素があります。例えば『父と娘』で私がやったことは、登場人物をアップで描かないことです。その必要がないということだけではなくて、近寄ったら余計な情報、つまり観る側が混乱するような要素が出てくると思ったので、ロングで描きました。同じ理由でセリフがありません。声を入れると、どの国、どの地域の出身なのか、その人の教養など色々な要素が声に含まれてしまうからです。情報として多すぎるのであえて使っていません。

アニメーションを作っている人たちはふさわしいところでふさわしいディテールを上手く配置できた時に喜びを覚えます。ご指摘のあったとおりすれ違う時の自転車のベルがそうです。思い着いた時は「これだ!」と確信を持ちました。

 

次はエガネバクチアリ・ノーバルさんの質問です。

ノーバルさん
マイケルさんはアイデアやキャラクターなどの要素をうまく組み合わせることが大事とおっしゃっていましたが、思い浮かんだアイデアをどのように組み合わせて設定してよいのかわかりません。また、そのような時は自分自身に問いかけることが大事ともおっしゃいましたが、自分自身が何を伝えたいかはわかっても、観客にどう伝えたらいいのかがわかりません。

マイケルさん
これも非常に素晴らしい質問ですね。ただ残念ながら私にも答えることはできません。この質問は未だに私自身も答えを探し続けているものです。一つの固定したような答えはないのです。名案を思い付いてある作品のなかで上手く機能しても、別の作品では全く使えなかったりします。

一つ言えることはアニメーションを作る場合は一人で作ることはなく周りに仲間がいます。その人たちのコメントや反応から得られるものが必ずあります。映画を一緒に作る人たちだけでなく家族でもいいですね。たとえばこどもたちに映画を見せて、見ている時の彼らの反応から学んだことがあります。

まずは、自分がやりたいことを明確に意識して確認すること。次は、一歩引いて自分が選んだ人に意見を求めます。自分とは違う視点で新鮮な反応を得られます。ぜひ他者からの意見を活用してください。

 

エガネバクチアリ・ノーバルさん

 

最後にASIFA-JAPAN会員の山岸宏一さんからの質問です。

山岸さん
私はアニメーションを作る際、画面に対してキャラクターが右を向いているか左を向いているかに非情に悩むのですが、『父と娘』では多くのカットで画面の右から左に移動しているものが非常に多かったです。これについて何か意味や暗喩みたいなものはありますか?これを左右逆にした場合、ストーリーは成立しますか?あるいは印象の変わったものになりますか?

マイケルさん
これは大変意識的にやっております。“右と左”とも言えますし、“東と西”と言ってもいいと思います。どこにキャラクターを配置するかという事は非常に意識をもって作りました。アニメーションを作る時は大体2通りのアプローチがあるかと思います。一つは理性的な考え方、もう一つは直感的なアプローチです。理性的に考えた時に父親が西の方に行ってしまったので、娘が父を求める気持ちもそちらの方向を向いていなければならないという理屈上の必要性がありました。というのは非常に短い作品なので、途中で彼女が成長してどんどん姿が変わって行く中で、一つの方位磁石的な方向として彼女が常に同じ方向を向くことで同じ人物であるという事が確認できるわけです。

もう一つ直感的で本能的なことを言えば、私にとってはそのほうがよりすっきり気持ちよく見えるということです。私にとってそれは疑いようのないことなのです。なぜ気持ちよく見えるのかについては私の出身国オランダがあると思います。オランダは西側に海があり、そこから世界に旅立ったり、未知の世界に一歩踏み出すということがあります。つまり私にとって西側は可能性に満ちた魅力的な方向であり、それが私の作品全体に影響しています。

二つ目の質問について、『父と娘』の作品を左右反転させて作ることはできたし、おそらく物語として機能したと思います。ただ、そうすると私にとっては気持ちのいい作品にはならなかったでしょう。

 

 

世界的に知られているアニメーション作家マイケル・デュドク・ドゥ・ヴィットさんを迎えての「国際アニメーションデー 2021 in京都」。マイケルさんは手の届かない伝説のような巨匠のお一人ですが、学生と同じクリエイターとしての目線で終始、真摯にお話ししてくださいました。今回参加した学生たちは、まさに“自分たちを同じ道を歩いている先輩”と感じることができたのではないでしょうか。

 

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