INTERVIEW2021.11.03

教育

教えて、中山博喜先生!写真集『水を招く』医師・中村哲さんとその仲間から受け取ったもの

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  • 京都芸術大学 広報課

2021年6月に出版された写真集『水を招く』。2019年にアフガニスタンで殺害された中村哲医師の活動を伝える写真として注目され、同タイトルの写真展が東京につづき、大阪の「リコーイメージングスクエア大阪」でも開催されています。

撮影したのは現地で5年間、中村氏と活動をともにした写真家・中山博喜氏。本学の学生にはおなじみの、あの気さくで楽しい中山先生です。先生はなぜ、大学を卒業してすぐアフガニスタンに渡ったのか。そこでどんなことを感じ、どんな気持ちでカメラを向けていたのか。そして今回の写真集や、日頃の教室で、伝えたいと思っていることは何なのか。いつもの先生らしい語り口で、いろいろな問いに答えていただきました。

中山博喜

大学を卒業後、2001年4月より5年間、PMS・ペシャワール会の現地ワーカーとして中村哲医師の活動に参加。現地では経理を担当し、各事業に携わる。2006年の帰国後は、京都芸術大学(旧・京都造形芸術大学)写真暗室技官を経て、現在は本学准教授。現地での体験を学生たちに語り続けている。 2021年、現地で撮影した写真とエッセイ「水を招く」赤々舎を出版。同タイトルで写真展を開催。

とりあえず1年が5年に

― 中村哲医師に会ったときの印象は?

うーん、印象というか…僕を見た第一声が、「あなたですか!“ドレイ” になってくれるのは」でしたからねぇ。後から聞いた話によると、日本人の現地ワーカーとして “なんでもやってくれそうな人” を探していたらしいんです。もちろん僕は、そんなこと初耳でしたけど(笑)。

浪人生時代に街で見かけた、植田正治氏の作品がきっかけで、大学でどっぷり写真にハマって。卒業したらプロカメラマンの元で修行しようかと思っていた矢先、写真つながりの知人から、「アフガニスタンで井戸を掘らんか?」と唐突に電話があったんです。とっさに頭に浮かんだのは、映画『ランボー 怒りのアフガン』。それがすべてでした。いまみたいにネットですぐ情報を得られる時代じゃないし、「どうせわからないなら、考えるよりも行ってみるか」という気になっちゃったんです。で、着いてみたらドレイだったと(笑)。

もちろんそれは冗談で、現地では3人の日本人ワーカーたちと分担して、井戸を掘る作業を管理。いかついヒゲ面の現地人スタッフが、「焼け野原から復活した頑張り屋の日本人が、ここで俺たちといっしょに頑張ってくれる」と張り切るのが嬉しくて、1年のつもりが気づけば5年も過ごしていました。

中村哲医師
中山博喜先生と中村哲医師。

 

― 現地では、どんな感じで撮影を?

じつは、これも向こうに着いてから知ったことですが、イスラム圏は宗教上、写真を嫌う人が多いそうです。中村さんたちが何十年もかけて築いた信頼を傷つけないよう、最初はカメラを取り出すのも控えめに。少しずつ現地の人と会話できるようになってから、「撮っていい?」「いいよ」という風にやっていきました。いったん許されたら、あとはもう「ナカヤマ〜、お前また撮ってんのかよ」てな感じです。

今回の作品集には、モノクロとカラーの両方を収めています。ただ、最初から作品にする予定だったモノクロ写真には、中村さんが一枚も写っていません。中村さんが写っていたのは、余りもののカラーフィルムで撮った、家族のスナップ写真のようなものだったんです。ところが発表してみると、「モノクロよりもカラーの方が親密さを感じる」と口々に言われて、「そういうものか」と思いました。

「水を招く」赤々舎

 

あなたの道は、もっと広い

― 帰国しようと決断したきっかけは?

ちょうど30歳を前に、そろそろ自分の道をつくる頃だと考えたんです。なにも契約関係はないけれど、帰国の意志を伝えるときは、中村さんがどう応じるか気になりましたね。するとあの人、ずーっと下を向いていた後にポツリと「普通は1年半ぐらいで逃げるんですけどね」って。ずっこけるでしょ? でも、ふっと心が軽くなりました。しっかり後任に引き継ぐ、という約束を果たしてから、5年ぶりに日本へと帰ってきました。

帰国後は、「リハビリが必要だろう」と恩師に声をかけられ、母校の本学で暗室の技術スタッフとして働くことに。その3年後、思いがけず教員として学生たちの前に立つことになり、「自分が教えられることって何だろう」と考えました。以来ずっと、写真のことだけでなく、アフガニスタンでの経験なども、いろんなかたちで伝えるように心がけています。


 

― とくに、学生たちに伝えたいことは?

芸大で、好きなことを深く掘りさげて学び、仕事にする道をさがす。それ自体はとてもいいことだと思うんです。ただ、「専攻したからには、この道しかない」というのは、ちょっと違うかなと。だって、もしそう考えていたら、僕は井戸掘りなんて行ってないし、いまの僕もありません。我ながら変わった経歴ですが、「その数奇な運命を楽しめよ」という誰かの言葉が頭に残っています。ふとしたことで、生き方は変わるんです。いろんな選択肢があるから、人生が豊かになる。どうか、広々と生きてほしいな、と思います。
これは学生によくする話ですが…「わからないもの」って、怖いんです。それは自然なこと。だからって、立ちすくんでいては何も進まない。たとえ無駄でも、非効率でも、とりあえずやってみて、何かが動いて、わかることがある。「怖くても勇気を出して、まず一歩踏み出そう」と言い聞かせています。学生にも、自分自身にも。

 

生きるひとを見つめたい

― 東京での写真展はいかがでしたか?

もともとは写真集だけのつもりだったんです。というか、写真集さえ、僕ではなく写真そのものの意志でつくられたような気がして。僕はただ流れに身をまかせている感じです。それでも、この写真集や写真展を通して、僕の感じたことが、たくさんの方に伝わっていたら本当に嬉しい。アフガニスタンは、戦争の国なんかじゃない。笑って、遊んで、家族や仲間を愛するひとたちが、ごく普通に生きている国なんだと。

 

― 最後に、これからのご活動は?

ひとことでいえば、「お尻に火がついた」感じですね。こうして大きく世に発表したからには、「中山はつぎ、なにを撮るんだ」と思われるでしょう。それに対して、しっかりカタチにしていく覚悟を、自分なりに固めているつもりです。

いま気になるテーマのひとつは「南大東島」。100年ほど前からひとが住みはじめ、他の離島が過疎化するなか、ずっと人口1000人以上をキープしている島です。目立った産業も、高校すらないのに、島を出て進学した子たちの帰島率が高い。不思議でしょう? 撮りつづけたら、何かが見えてくるかもしれない、と考えています。

 

作品とは、そのつくり手が「世の中をどう見ているか」をあらわすものです。中山がいま、世の中をどう見ているか、作品づくりを通して伝えたい。そのなかで得た経験をさらに、次世代のつくり手となる学生たちに伝えていきたい。僕ひとりにできることは限られているけれど、そんな風に「つくる」と「教える」をつづけられたらと願っています。

 

リコーイメージングスクエア大阪での展示の様子。

 

「リコーイメージングスクエア大阪」に展示された先生の作品は、まさにスナップ写真をちょっと大きくしたぐらいのサイズ。まるで、だれかのアルバムを広げてあるように、さりげなくギャラリーの壁に並んでいました。白々とした画面が、埃立つ乾ききった大地の空気を、そこに水を渇望する人々の心を映し出す。そんな白い風景のなかで、働き、休み、また働く仲間たちは、できあがった水路を実際に使いつづける地元の人々です。中村哲医師の志から生まれたペシャワール会は、現在も活動を継続し、いまこの瞬間も多くのスタッフが、命の水を招くために岩だらけの大地と格闘しています。「俺たちは頑張ってるよ、お前はどうだ?」。中山先生の写真に映る彼らが、そう語りかけてくるような気がしました。

写真展「水を招く」

2001年より5年間にわたって撮影されたNGO団体・ペシャワール会の現地活動を、カラー、白黒写真を合わせた26点で構成。

会期 2021年10月28日(木)~11月8日(月)
時間 当面の間、10:30~17:30までの短縮営業(最終日16:00終了)
定休日 火曜日・水曜日
会場 リコーイメージングスクエア大阪 ギャラリー

https://www.ricoh-imaging.co.jp/japan/community/squareosaka/2021/10/20211028.html

 

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