歴史と伝統の中心地。古き良き文化をとどめる街。京都という地について、多くの人がそのような漠然とした「イメージ」を抱く一方で、なぜ京都にそうした「イメージ」を抱き、惹かれるのか、その理由や根拠を問われると言葉に詰まってしまうところがあるのではないでしょうか。
京都の老舗50店が「かるた」札に
そんな言葉では表現しづらい魅力に溢れた京都の街で、100年以上続く老舗店を目で楽しみ手に取ることのできる具体的な「かたち」に落とし込んだ「かるた」札が、今年3月に誕生しました。その名は「京都100年かるた」。
この「かるた」の特徴は、京都は歴史と伝統文化の街であるという通説を実証していることです。これまでに誰もが疑うことのなかった京都に対する「イメージ」と戯れるのではなく、あえてそれを留保し、生活と地続きにある街を歩いて実直にリサーチを重ねることで、この「かるた」は作られています。
実際に目と手と足を動かすことで京都の街や文化を深く知るという理念のもとに、2018年に京都芸術大学で始動した「京都伝統文化イノベーション研究センター(KYOTO T5)」で、4年もの歳月をかけて制作が進められました。
KYOTO T5 は、京都における伝統文化の継承と発展に寄与すべくリサーチとアーカイブを行うと同時に、そこで出会った伝統文化の技術や哲学を、製品という「かたち」にして国内外を問わず発信する活動=イノベーションを行なう研究機関です。
その活動の一環らしく、「京都100年かるた」は京都の街についての丁寧なリサーチと四条界隈で創業100年を超える老舗50店へのインタビューを重ねて制作されています。
本記事では「京都100年かるた」制作の過程や込められた想いについて、制作に携わった空間演出デザイン学科の溝部千花さん、浅野夏音さん、そして酒井洋輔先生(KYOTO T5 / CHIMASKI / Whole Love Kyoto)にお話を伺いました。
「かるた」札を並べると現れる、京都の街
製品として完成された「京都100年かるた」札を見てみましょう。
「かるた」札を納めた箱の中には、取り札とそれに対応する読み札がそれぞれ50枚ずつ入っています。同封されているのは、お店についての解説が載ったリーフレット「京都100年MAP」です。
黒い縁取りに鮮やかな色の背景、品格のある取り札の表面には、取材を行なった老舗50店を象徴する品物のイラストとお店の名前の頭文字がほどこされています。こちらは「いろはかるた」における「絵札」に相当しますが、頭文字が屋号であるところがユニークなところです。
その裏面も無地ではなく、頭文字の他にお店のイラストと創業年が描かれた「店札」という独自の札になっており、使う人が自らルールを創出して遊べるようになっています。
対して読み札には、創業のきっかけや店主の方の信条など、老舗であることを特徴づける様々な物語が、字数も形式も限られた歌のなかに驚くほど簡潔に書き込まれています。その形式にも独自のこだわりがあり、たとえば屋号が登場するのは最後になっています。「まずはお店にまつわる歴史や特色を学んでほしい」という想いが、そこには込められているのです。
遊びの中に学びが組み込まれているこの「京都100年かるた」は、工夫しながら使い続けることで京都の街のつくりや、そこに息づくお店を覚えることができます。遊び慣れてくると、「持ち札」「推し札」としてお店に愛着や親近感を抱くようになり、いつの間にか伝統文化やそれを守り続けてきたお店に対する「近づきがたい、敷居が高い」というイメージの障壁を乗り越えられていることに気づきます。
「ほこりある 箒ぶら下げ 二百四年 看板いらず 内藤商店」。「京都100年かるた」を企画した溝部千花さんのお気に入りのお店を詠った歌(=「推し札」)です。内藤商店は1818年創業、三条大橋を西に渡ったところに位置する掃除用具店。創業当時から看板はありません。店先にぶら下げられた美しく丈夫な箒が人々に長く愛され続けてきたことを誇る老舗ゆえの特色を、歌は表現しています。
なかには、KYOTO T5のメンバーでもある副学長の小山薫堂先生がお店へ訪れたときにその場で歌を詠んだ「レア」読み札もあります。「かるた」の編集作業に携わった浅野夏音さんの「推し札」には、「八代目 人をつないで 酒つくり 錦を飾る 津乃喜酒舗」という歌。200年を越える老舗で、錦市場にお店を構える津之喜酒舗さんへ詠まれたものです。お客さんがお酒を飲むまでに必要な、お米作りから酒造、そして販売という流れと、そこにある人と人とのつながりを大切にしたいというお店の信条が込められています。
ちいさな「かるた」札の一枚一枚には、京都の街並を作るお店一つずつの真髄が、きゅっと結晶しているよう。付録のマップを眺めながらそれらを並べていくと、まるでその場に京都の街やそこでの暮らしが立ち現れてくるような気さえします。
たとえばある哲学者は、「都市の中の不思議な旅があるだけではなく、その場でできる数々の旅がある」と言いました。京都の「イメージ」を目当てに探しに行くのではなく、生活と地続きにある街を歩いて実直にリサーチを重ねることで、この「かるた」は作られています。それゆえに、どこにいても、たとえば部屋の中でも京都の街とその街を作るお店の歴史を知ることができるような誠実なガイドとして用いることもできそうです。
「かるた」制作のきっかけは、講義の課題
その「京都100年かるた」制作のきっかけとなる出来事があったのは、KYOTO T5 設立の1年前のこと。「京都の新しい地図を作る」という空間演出デザイン学科の講義課題の中で、当時1年生だった溝部千花さんが思いついたアイデアが企画の原案となっています。
「かるた」の完成と同時に本学を卒業し、現在は KYOTO T5 の酒井洋輔先生が代表を務めるブランド Whole Love Kyoto に所属する溝部さん。フィールドワークを取り入れた講義で、はじめは何から手をつければ良いか分からずに京都の地図を見つめていたところから「かるた」のアイデアが生まれたと語ります。地図を眺めていると、碁盤の目状に作られている街の一角ずつが、整然と並んだ札のように見えてきたのだそうです。
京都の街を「かるた」に見立てるところから生まれた企画を、製品という「かたち」にしようと提案したのが酒井先生です。京都市の「ふるさと納税返礼品」として世の中に発信することで、より多くの人に実際の京都の街の持つ特色や魅力を知ってもらえるのではないかと、溝部さんの背中を押しました。
忙しい大学生活を送る中で、当初は4人という少人数だった企画チームのメンバー構成は大きく変化していったそうです。特に「ふるさと納税返礼品」として製品化を目指すことが決定すると、溝部さんを含む企画の2名と編集を担当した空間演出デザイン学科3年生の浅野夏音さんを筆頭に、学科内外の学生やイラストレーターとして活躍されている方、それにゲームプロダクション会社など、最終的に多彩なメンバーが制作に携わることになりました。
完成に至るまでの長い道のりと試行錯誤
製品化を目指して本格的に始動した「京都100年かるた」の制作。大学生活4年をかけたプロジェクトの完遂に至るまでには、様々な困難とその先にある喜びを伴ったそうです。取材に制作、そして印刷。全ての行程において、それぞれの苦労やそれを乗り越えるための工夫があったと、溝部さんと浅野さんは振り返ります。
まずは取材。商品を売り買いする商いの場に若い大学生たちが入ってくることに戸惑いを抱くお店もあり、始めは取材メンバーたちもやや奥まった店先に入っていくことにためらいや恐さも感じたそうです。
それでも、「京都100年かるた」を作ることへの真摯な思いを伝えることで、店主の方は恥ずかしがりながらも嬉しそうにお店の歴史や特色を話してくださったと言います。
「それに、一つの老舗店を取材すると、そのお店と繋がりのある別のお店も紹介してくださいました。ここは行った?あのお店は老舗だよ、という感じで。そこからどんどん他のお店も知ることになりました」。
ウェブサイトで検索をしても見つからない京都の街独自の繋がりに導かれるようにして、取材は進行していきました。
たくさんのお店を知っていくと、今度はどのようにして一つのまとまりある地図にするべきかという問題に直面します。魅力あるお店への取材を割愛することへの苦しさを抱えつつも、まとまりある「かたち」にすることを考えて、京都の中でも特に老舗の集中する四条を中心に100年を超えるお店を取材先の条件としたそうです。
そうして集めたお店の物語を、読み札に記す歌にすることにも時間がかかったと言います。取材先で得られた店主さんの熱い想いや、連綿と続いてきたお店の歴史を札に収まる長さの歌にすることが難しく、「札からはみ出るほどの長い文章のような歌になっていた時期もありました」とのこと。札にきれいに収まるよう、制作チームで担当するお店を分担し、推敲をなんども重ねることで洗練された歌に仕上げていったそうです。
「かるた」のデザインがようやく出来上がり、印刷する段階でもなお、迷いは生じました。
「印刷物の現状として『かるた』は売れ筋のものではないため、『冊子』として残すことを助言されました。挫折は本当にたくさんありましたね」。
京都の街の真髄を多くの人に伝えたくて制作してきた「京都100年かるた」。人の手に取ってもらい、楽しんでもらうことを考えると、どのような形式で製品化するべきか最後まで悩んだと言います。しかし熟考の結果、企画の原点である「かるた」の形式は変えず、こだわりのある製品として完成させました。
京都の街やそこで暮らす人々の声にじっくりと耳を傾け、さらにアイデアや技術を持つ人々の視野を取り入れることで、「京都100年かるた」は誕生したのです。
制作を通して見えてきた京都と、生活の変化
溝部さんと浅野さんが制作を通して気づいたのは、京都の街を守り続けてきた人々は、尋ねてみると本当に嬉しそうに話をしてくれるということ。自分たちの歩んできた歴史や大切にしたいことを、とても親切に教えてくれるということでした。
そして、お店の方は、もっとお店やそこで扱っているものについて聞いて欲しいと思っているということです。「取材で訪れた津乃喜酒舗には、20歳のお祝いにもお酒を買いに行きました。店主の方が『自分で(お酒を)選ばないで!もう聞いて!』と言ってくれるんですよ」と浅野さん。店主の方から掛けられた温かい言葉と、酒瓶に貼るラベルに名前を書いてもらえたことがとても印象に残っているとのこと。取材を終えた今も、実家のお土産にどのお酒を選べば良いかを尋ねにいくそうです。
溝部さんも、取材で訪れた内藤商店には通っていると言います。
「お店で売っている箒を買いに行くためだけではなく、そこで出会った女将さんとお話することが楽しみで、今もお店を訪ねています」。
また、制作を通じて「(自分が)良いと思うものが増えた」と、日常生活においても変化を実感していることも話してくれました。これまでに買ったことのなかった箒を買い、実際に使うようになったこと。生活の中で使う道具を作っている人の顔や、その道具の背景にある歴史を知っていること。この品物なら絶対にここが良い、という行きつけのお店を持つこと。そして、なぜそれが良いものなのかを、作って売っている人の話を踏まえて自分で理解して使っていること。伝統文化と生活は、切り離された別物ではなく地続きにあるものとして考えるようになったそうです。
「伝統文化」と地続きにある生活の豊かさ
手仕事で作られ、手で使われるために作られた品物は、時代や経済状況の変化の影響で、いまや便利な機械にその役割を取って代わられることが多くなりました。安価な大量生産品に伸びる人々の手からは、こだわりを持って作られたものを受け取るための筋力が失われつつあります。モノよりコトが求められる今日の経済市場では、顔も知らない人が作り上げたイメージや情報が日々消費され、飽きられ、目新しいものが次々に求められます。
そんな現代の生活において、品物の持つ背景や作り手の分かるもの、長い時間を経て人から人へ受け継がれてきた「かたち」ある伝統文化を実際に手に取り、使い続けることは、生活の中に「歴史」という「物語(=histoire)」を取り入れることになるのではないでしょうか。
便利な今の世の中では、それらは必ずしも急ぎ要されるものではないのかもしれません。けれども、私たちの生活における所作や行為の一つひとつに「物語」を取り入れることは、たとえば「大きな物語」(J.F.リオタール)という近代的な共通理念や文脈を持たない現代人の不安定なアイデンティティを、所作レベルで繋ぎとめ支えるという意味で、私たちの生そのものを豊かにすることであると言えるのではないかと思います。たとえば箒を作って売ってくれた人の考え方や箒の美しさを思いながら床を掃除することは、箒を通して誰かと「良いもの」の定義を分かち合い、同時にそれを自分自身の考えに取り入れ、自分を形作る基礎の一つにすることであると捉えることもできます。
同時にそれは、「昔の出来事」として一括りにされ博物館の倉庫にしまい込まれてしまうかもしれない生活の所作 ――あるいはもしもこう言ってよければ「私たちの生活の延長にある文化」としての伝統文化 ―― を、本当の意味で残し、伝えるための実践的アーカイブ作業としても意義を持つ行為であると言えるでしょう。
「京都100年かるた」を発信する拠点にもなっている Whole Love Kyoto のコンセプトは、“Old Is New”。唐紙を作り続けている老舗店の方から聞いた、「良いものはずっと新しい」という印象的な言葉を連想すると、溝部さんは言います。
「(伝統文化や工芸品は)ただ古ければ良いということではなく、良いものだからこそ時代を超えてなお残りつづけてきた。だからこそ廃れず、常に更新され続ける『最新・今』の生活にも十分通用するものがある。この言葉は、そういう意味なんだよ、と教えていただきました」。
古いということは、それだけの長い時を経て愛され続けてきた良いものであることの証(あかし)、つまり価値の証である。そう捉えることができそうです。
ここで問われるべきは、むしろ私たちがその価値を真に理解しているのか、あるいは日常において良いものとは何であるかを思考しながら生活しているのか、ということではないでしょうか。それは、必ずしも貨幣や速度や量のような「数値」で測れるような価値ではありません。その価値は、そうした「わかりやすさ」から最も遠いところにあるでしょう。しかし、私たちの生活からはそこまで遠いものでもなさそうです。むしろ、それはとても近くにあるがゆえに見過ごされ、見えにくくなっているのかもしれません。
多くの人に使って欲しい、「教育」としてのデザイン製品
「京都100年かるた」の企画を後押しした酒井先生は、「京都のことはみんな好きだけれど、実はみんなよく知らない」ということに問題意識を抱いているといいます。特に、京都の人こそ自分たちの街のことを知らないのだそうです。
まずは京都の人が、この「かるた」で遊んで自分たちの住む街の真価を知ることで、誰かにそのことを話したくなったり、誇りに思って生きていけるようになって欲しい。お店のことに詳しくなるのはもちろん、その周辺に存在してきたにも関わらずこれまでに見過ごされてきた京都の本質を学ぶことで、遊ぶ人の街を歩く行為や意識を変えていくことを目指していると言います。
酒井先生によれば、この「かるた」制作をはじめとする KYOTO T5 での活動目的は、「教育」なのだそうです。ここでいう「教育」とは、大学という教育機関に所属する学生たちのためのものだけではありません。人々の生活の中に馴染んでいるデザインやファッションの販売を通じて行う、顧客の方の思考や意識の変革をも意味する言葉です。
伝統文化について語るとき、人々はどうしてもそれを自分の生活から切り離して考えてしまいがちです。けれども、本当は今の生活の中にこそ取り入れるべき考えや、良いものとは何かを議論するヒントが、伝統文化の中にはたくさん詰まっています。KYOTO T5 で制作した製品を通して新たな経験や学びを提供し、生活やそれを支える良質な物の条件について考える機会を増やせたら。購入し、使ってもらうことを通して、どんどん顧客の方を「教育」して成長させることを重視していると語られました。
そのため、今回誕生した「京都100年かるた」も、より多くの人の手に取られ、遊んでもらうことに意味があるのだそうです。
完成後、初回限定300セットが発売された「京都100年かるた」。販売先の Whole Love Kyoto の店頭とオンラインショップをはじめ、京都市内の書店、セレクトショップには販売開始直後から問い合わせが殺到し、すでに完売してしまいました※。「教育」としての製品が広く普及することで、京都の街や伝統をより身近なものとして捉えられる人を増やす活動は、大成功しています。その反響の大きさを受けて、現在は増版が計画されているそうです。
そのほか、「京都100年かるた」の取材で巡り合った老舗店とは、引き続きコラボレーションしていく企画が進行中とのこと。どのようなものが生み出されることになるのか、とても楽しみです。
伝統文化との関わり方を研究、展開し続けていく KYOTO T5 および Whole Love Kyoto の活動に、今後もぜひご注目ください。
※2021年5月7日現在、京都市ふるさと納税返礼品サイトでは在庫あり。
https://www.furusato-tax.jp/product/detail/26100/5098112
(文:川名佑実)
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