学生たちの詩の発表の場『インカレポエトリ』とは?
大学を超えたインターカレッジによる横断的な詩集『インカレポエトリ』(七月堂)。大学で詩の授業を担当する詩人が選考委員となり、受講する学生の作品が選考の上、掲載される。選考委員は朝吹亮二、新井高子、伊藤比呂美、笠井裕之、川口晴美、北川朱実、城戸朱理、小池昌代、小沼純一、管啓次郎、瀬尾育生、永方佑樹、中村純、野村喜和夫、蜂飼耳、樋口良澄(敬称略)。
2019年秋に創刊号『鹿』が刊行され、2020年1月に第2号『蟹』が、そして2020年10月1日に第3号『犀-sai-』が刊行された。第3号『犀』では慶應義塾大学、立正大学、國學院大學、早稲田大学、立教大学、フェリス女学院大学、関東学院大学、埼玉大学、文教大学、愛知淑徳大学、名古屋芸術大学、京都芸術大学の12大学から、152名による152篇の詩が掲載されている。
第3号より本学文芸表現学科教員の詩人、中村純先生が選考委員として参加することとなり、今回が京都芸術大学の初参加となった。本学からは6名の作品が選考を通過。掲載された文芸表現学科の学生は、以下のとおりである。
出射優希(一年生) 「サムバディー」
小倉尚子(一年生) 「夢酔い」
上村裕香(一年生) 「遠浅の」
隈部さつき(四年生) 「砂に埋(うず)めて」
笹川瀬一(一年生) 「自粛行進曲」
静寂碧海(一年生) 「人形」
うまくさみしさと付き合えない。―「サムバディー」出射優希さんインタビュー
『インカレポエトリ 3号 犀』刊行に伴い、初のインカレポエトリ展示会が東京・西荻窪のギャラリー・数奇和にて開催された。展示期間中、会場では学生の作品展示だけでなく、作品への思いなどを自由に書いた140字メッセージ、朗読などのパフォーマンス、リアルタイムオンライン連詩イベントなどが行われた。
第3号『犀』に掲載され、展示会にも参加した一年生の出射優希さんに、イベントや作品について話を聞いた。
__ 今回、インカレポエトリに参加した理由は?
一回生で大学に入ったばかりなのに、コロナでなにもできない状態。とにかくなにかしたいと思ったし、外との関わりも作りたかった。目の前にきたものには挑戦しようという意識があった。
__ 作品に込めた思いは?
今回展示した「サムバディー」という作品は、さみしいとか辛いとか、きらびやかではない感情を誰かと共有したかったけれどできなかった、シェアしたいけれどできなかった……という感覚を表現した。インスタのストーリーで真っ暗なところに愚痴を書くとか、SNSにされる闇投稿ってあるけれど、そういうものにも載りきらない「さみしさ」に焦点をあてた。
基本は「さみしい」という感情で、だから誰かと繋がりたいとか思っていたりする。けれど、シェアしきってもこぼれてしまうものがあって。「ベッドの上で丸まったら君は安心になる」の「君」は、(詩の)最後の方で誰かが手を差し伸べてくれるものの、うまく掴めなかったり。うまくさみしさと付き合えない様子を書いた。
__「さみしい」を他者とシェアする?
するときはする。誰とも共有できないものってあると思うし、誰にも触れられない部分はあると思う。さみしいことは常にずっとあって、人にわかってほしいと思っていた。けれど今は、絶対に誰にも共有できないものはあるし、それはそれとして持っていてもいいかな……と。
「さみしい」は、カッコつけてるっぽいけど、影みたいだなと思っている。絶対どこへでもついてまわるし、光のあるところにも影がついてまわるし、暗いところにいても影に包まれたり飲まれたりしてしまう。切っても切り離せないから、うまく付き合いたいと思っている感情。
__ 詩に出てくる「青い光」とは?
青い光は、SNSの光の意味。暗い場所にいるとき「唯一の救い」「唯一の外側への出口」みたいに思ってしまうけれど、頑張って明るいところに自力で這い出したら、こんな光はどうでもよくなるし、「選択肢の中から選ぶ」くらいの視野を持っているべきだと思う。
140字メッセージにも通じるけれど、SNSを抜け出したい。することはいいけど、距離感がほしい。自分はSNSをよく見るけれど、例えばインスタを開いたらおしゃれな人がいっぱいいて、そういうのを見ていて自分の汚い部屋をみると「うわっ」ってなる。みんなそんなきれいなところばっかりではないとは思うし、それらってあくまで憧れであって。人の世界は人の世界、自分の世界は自分の世界、と思っていたい。ごちゃごちゃしているのにきれいな、ジブリみたいな部屋が理想かもしれない。どうしても他人目線の「きれい」を考えてしまうけれど、自分自身がきれいだと思えるものにしたい。
互いの詩をぶつけあう「リアルタイムオンライン連詩」
コロナ禍において多用されだした「オンライン」ということばは、もはやスマホを手に取るくらい体に馴染んできた。そんななかだからこそ開催されたのが、この「リアルタイムオンライン連詩」だろう。オンラインで連詩をすることが案として挙がることはあっても、ここまでスムーズに参加者が納得し実施へと向かったことは、今このときならではだと感じる。
連詩とは、複数人が集まって詩を順に連ねていくもの(遊び)である。「連句」ならどこかで耳にしたことがあるかもしれない。そのような手順を踏むものだ。今回は、最初の詩から連想したもの(なるべく前の詩とは違った内容のもの)を速いもの勝ちで連ねていくという方式であった。行数制限なし、順番なし、連投は不可。連の末尾には名前を記入し、記入後の編集は原則禁止。グループLINEや当日来場された方からキーワード(俳句の季語のようなもの)を募集し、それらを使いながらグーグルドキュメントをリアルタイムで更新しあう。「文字を打っている過程さえみられている」というスピード感の連詩は、展示会場の壁に直接投影するという形で展示されていた。
筆者も実際に参加したが、特に「互いの詩をぶつけあう」場面は面白いものだった。前の詩に連ねようとする者が、時には複数出てくる。先に名前を書き終わった者の詩が採用されるというルールであるため、追いかけたり、追いかけられたり、他のカーソルにヒヤヒヤしながらも自分の詩を書くのである。
連詩には、昼の部「マチネ」と夜の部「ソワレ」が存在。展示されていたのは昼の部だけだったが、授業の関係で昼間の参加が難しい人のために夜の部が開催された。それぞれ雰囲気が違っていて楽しい。
昼の部「マチネ」は、授業と授業の合間にふとパソコンを開いて連詩に参加、そしてまた授業に行くという流れの中にあった。筆者自身、開催期間が終わると「あ、今日からもう連詩ないんだ」と感じたほど、日常にごく自然に「詩」が溶け込んでいたことを実感した。
夜の部「ソワレ」もまた、昼の部とは違った味わいがある。自分の部屋で、就寝前の深い無音に包まれ、パソコンと向き合う。画面内で誰かのカーソルが動いている。確かにリアルタイムで存在しているが、相手はほとんど顔も名前も知らない他大学生であり、目の前にあるのは奇想天外なことばたち……。想像できる範囲を遥かに越えた世界が広がり、宇宙人と交信をしているような気分だった。
詩を「外に見せる」ということ
今回インカレポエトリに参加して、詩を「外に見せる」ことにはどのような意味があるのだろうかと考えた。なにかそこに新たな感情が生まれてほしいという漠然とした思いがある。今は、自らを見つめる作業とともに詩がある。それらはどこで外と交わり、どこに向かっていくのか。まだなにもわからない。しかし、これらは発表の場があるからこそ考えさせられたことである。一年生からこのような場をいただけることは、想像もしていなかったことであり、ありがたい経験だと感じる。これからも内外関係なく詩作に取り組んでいきたい。
インカレポエトリ(七月堂)
http://www.shichigatsudo.co.jp/index.php?category=incollepoetry
(写真:京都芸術大学 小倉尚子、早稲田大学 富所亮介)
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小倉 尚子Naoko Ogura
2001年京都府生まれ。京都芸術大学文芸表現学科2020年度入学。邦ロックと楽器と工場夜景が好き。