INTERVIEW2019.10.28

マンガ・アニメ映像

20歳の僕だったら、この作品をどう感じるか。―幾原邦彦氏・特別インタビュー

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  • 二宮 慈
  • 神谷拓範

(文:こども芸術学科 4年生 二宮 慈)

10月2日、京都造形芸術大学で幾原邦彦さんによる特別授業が開講された。京都芸術短期大学(現・京都造形芸術大学)の卒業生である幾原さんは、1986年に東映動画(現・東映アニメーション)に入社後、アニメ『美少女戦士セーラームーン』シリーズの演出・ディレクターなどを歴任された。退社後も『少女革命ウテナ』や『ユリ熊嵐』などの数々の人気アニメを手掛け、今年4月からは『さらざんまい』の放送が開始されるなど、日本を代表するクリエイターで、幅広い世代から支持されている。10月16日から10月21日まで、大丸京都店で展覧会「幾原邦彦展〜僕たちをつなげる欲望と革命の生存戦略〜」が開催され、会期中には多くの来場者が貴重な資料に見入る様子が見られた。

今回、瓜生通信Webマガジンでは、同授業前に幾原さんにインタビューを敢行。私たちと同年代の学生時代のお話や、卒業後から現在に至るまでに手掛けられた作品のお話などを伺った。

自由と模索の学生時代

――今回、久しぶりに来学されたと伺いました。大学の様子はいかがですか?

ここを卒業してからなので、33年ぶりに大学に来ました。昔とは全然違いますね。当時は今みたいにこんなにたくさん建物はなかったし、全く別の場所のよう……でも、学内の急な坂道は覚えています(笑)。それに、大学が持つ自由な雰囲気も変わらないですね。この何でも許されてしまう感じが魅力的だったなぁ。大学にある設備や機材で時代の最先端に触れられるしね。

――幾原さんにとって学生時代はどういったものだったのでしょうか?

学生の頃が人生で1番楽しかったですね。フリーダム、自由です!(笑) 24時間ずっとものをつくったり、表現したりするのが許されているのが良かったなぁ。高校までの勉強ってちょっと辛いものじゃなかった?自分の将来にどんな風に役に立つのかはっきりしないというか…でも、大学では専門的なことを学ぶから「そうなんだ!」って知識を吸収していると実感できていたんですよね。そういう意味でも、とても有意義な時間でしたね。

――主に、どのようなことを学ばれていたのでしょうか?

僕が学生の頃はグラフィックアートがブームで、現代アートや商業デザインを勉強したくてこの大学のビジュアルデザインコースに入学しました。だからグラフィックがメインで、造形や映像を勉強していましたね。勉強してみると映画や映像にもっと興味が湧いてきて、2年生の頃には映像のコースを専攻しました。今みたいに映画学科はなかったけど、当時から大学にビデオ機材が揃っていて、それでショートムービーやアニメーションを作っていました。その作品をコンペに出したら入賞したりして。そういったことが今の業界に入るきっかけの一つにもなりましたね。

――当時から映像をつくられていたのですね。アニメーションはどのように学ばれたのでしょうか。

今とは違って、当時は漫画やアニメは大学で学ぶようなアカデミックなものじゃないっていう認識がありました。だからアニメ自体を大学で学んだことは無くて、個人制作をしていました。卒業制作のアニメーション作品を、ヤングジャンプが主催するフィルムフェスティバルというコンペに出して入賞したのですが、特に大学には報告しなかった。もし報告していても大学側もあまり反応しなかったんじゃないかな?……これも時代ですね(笑)

――時代でこんなにも認識がかわるものなんですね……そんな状況でもコンペなど積極的に応募されていたのですね。

うーん、僕はどちらかというと「積極的じゃない子」でしたね。やらなきゃって思うけど、周りに比べて行動できていなくてね。でも、芸術大学に入ったからには在学中に何らかの形でデビューしなきゃと思っていて、どうやってメディアにアプローチすればいいんだろうってずっと模索していました。今ほどインターネットも発達していないので、自分を売り込む手段は限られていたけど、ローカル雑誌とかに勇気を出してもっと応募すればよかったなって思いますね。心残りに思う部分だよね。

――私自身も、将来のためにやってみたいことがあるのに足踏みしてしまっていることがあるな……と。

今ではインターネットやSNSでメディアにアプローチする方法がたくさんありますよね。作品を自ら発信してもいいし、YouTuberになって自分自身がインフルエンサーになってもいい(笑)。何でもできるし、そういった意味では挑戦しやすい環境があるし、ちょっとうらやましいよね。きっと今の若い人の方が当時の僕よりもっと行動しているんじゃないかな。

「情熱」がもたらす出会い運

――幾原さんは、卒業後どのようにアニメーション業界でのキャリアをスタートされたのでしょうか。

短大卒業後、この大学の研究科に進学しています。在学してた3年間、毎日のように一乗寺にある銭湯に通って、帰りに本屋さんで立ち読みするっていう習慣があったんです(笑)。ある日、同じように本屋で雑誌を立ち読みしていたら、東映動画(現・東映アニメーション)の採用試験のお知らせが目に留まって。なんでも5年ぶりの採用試験だと言うから、こんなチャンスは二度とない、受けるっきゃない!って挑戦してみました。そうしたらラッキーにも採用されたので、研究科を中退して上京し、東映動画に入社しました。この大学に来ていなかったらあの銭湯にも通ってなかったし、この業界に入っていなかったかもしれないよね(笑)。

――本屋さんで!すごく偶然ですね(笑)。

運がいいよね(笑)。でも、入社後は大変でしたよ。当時のアニメーション業界はけっこう過酷な労働環境で、毎日夜遅くまで働いたり、怒鳴られたり……今の時代だとあんまり言えないよね(笑)。制作現場も今とはずいぶん違って、当時はセル画(※)を1枚1枚写真撮影してつなぎ合わせることで動画にするという方法でした。ワンシーンにつき3000~4000枚ほどのセル画が制作されて、それを撮影場所に運ぶだけでも一苦労。すっごく重いんだよね。力仕事も多いから、この業界は男社会でした。女性は体力的にも続けていくのが難しかったんだよね。アナログからデジタルに変わった今では、業界の雰囲気はずいぶん変わりました。僕のスタジオでも約半分が女性かな?たくさんの女性が活躍していますよ。

(※)セル画:セルと呼ばれる透明なシート上にキャラクターなどを絵具で描いたもの。

――過酷な環境の中でのモチベーションの維持は難しそうに感じます。

入社前に業界のことを詳しく知っていたら選んでないかもしれないですね(笑)。知らなかったから続けられた……という側面もあるかも。その頃は「負けてたまるもんか!」っていう気持ちだけで戦っていました。一生やる仕事じゃないなって思うことがあったけど、周りのいろんな人に助けられて、結局は辞めずに続けてこられた。当時の自分にもし何か特別なものがあったとするなら、それはもう「情熱」でしかないかな。きっと、助けてくれた職場の人や上司は「幾原の情熱にかけてみよう」って思ってくれたんだと思います。結果論ですけどね(笑)。

――「情熱」って言葉いいですね。

なんか手垢ついてる言葉だよね(笑)。自分で言いながら、普通言わないよなって思ってた(笑)。でも結論として、さまざまな奇跡が起こって今の自分がある。この理由を考えると「情熱」っていう言葉しか当てはまらないかなと思いますね。じゃないと皆がこれほど自分に目をかけてくれた理由が見つからない。僕の人生の7割ぐらいは運が良かった。たまたま手に取った雑誌もそうですけど、出会いの運が良かったですね、いろんなところで。

――情熱が運を引き寄せたのですね。思い出深い「出会い」はありますか?

いろいろとありますが……大学時代、その後の自分のキャリアを左右するような良い出会いがありました。グラフィック界の重鎮だった粟津潔さんが、大学で教鞭を執られていて、月に1度、特別講義をしてくださっていたんです。

当時の僕は映画や舞台が好きで、中でも寺山修司監督の作品が好きでした。その時の僕は、映画は映画監督がつくるものだと思っていたんだけど、寺山さんの監督作品で粟津さんが美術監督をされた映画『田園に死す』を観ていたら、劇中でたくさんの粟津さんの絵が出てきたんですよね。この時、「映像は、チーム全員で作っているんだ!」って気づいた。そこからチームでの制作を意識をするようになりました。粟津さんとの出会いで、大切なことに気づくことができました。その約10年後、寺山さんと一緒に働いていたスタッフと一緒に『少女革命ウテナ』を手掛けることになるので、ご縁って不思議ですよね。

新しい扉を開ける勇気

――今まで多くの作品を手掛けてこられた幾原さんですが、制作の際に気を付けていらっしゃることはありますか?

「20歳ぐらいの自分が、この作品を見たらどう感じるか」ということを大切にしています。もちろんファンだと言ってくれる人も大切にしているけど、それ以上に純粋にものづくりに向き合っていた若い頃の自分が作品をどう感じるのかを意識しています。

――学生の頃のご自身に向けてということでしょうか……?

そうですね。短大在学時の自分は、物事をまっすぐに見て、正直に感じていたと思うんです。自分のものづくりの起点になっているのもその頃ですね。働き始めると、どうしてもいやらしい部分が芽生えてしまう。たとえば、自分の仕事に直結しないものには「これは関係ない」ってシャッターを下ろしちゃうんですよね。忙しくなるから自分の役に立つものだけを見ようとしてしまう。若い頃は人生がどうなるかわからないし自由な時間もあるからこそ、いろんなことに興味をもって、どんなことにでも驚いて感動して。伸びしろがあるというのかな、そういう時期の自分が良いって思えるものを作りたいと思うんです。

――学生時代って、とても貴重な時間なんですね。

仕事を始めてある程度キャリアを積んでしまうと、それまでの人生をゼロにリセットするのが難しくなってしまうんです。でも、将来の選択に幅がある学生時代は伸びしろがあるから、全く違う何かや誰かに出会って、新しい人生や分野の扉が開くことがあるんですよね!僕が学生時代に粟津先生と出会って人生の道が開けたように。僕の作品が誰かの心の支えになったり、何か新しい扉を開けるきっかけになったりしたら嬉しいなって思いますね。

――自分の人生の扉を開ける何かに出会いたいですね。

ニュースで今の若い人たちは保守的だって報道されていることがあると思いますが、あれってとても表面的な話だと思っています。若い人の方が上の世代より絶対にアグレッシブだし、勇気を持っているんですよね。新しいことに出会う勇気や、先の見えない不安に打ち勝つ勇気。学生時代はそれを存分に使ってほしいな。学生の時からいっぱい自分をアピールすればいいし、心を開いて新しいことをいっぱい吸収してもらえたらいいなと思いますね。

 

特別講義の様子。
メモを取りながら真剣な表情で聞き入る。

このインタビュー後に開催された幾原邦彦さんの特別講座には、約250人の学生が詰めかけ教室は満席に。講座では、テレビの黎明期から現在にかけて、世界での出来事が私たちの映像文化にどのような影響をもたらしていたのか、そしてご自身の作品を手掛けられる際に社会情勢からどのようにアイデアを得られているかなどお話いただいた。会場では、幾原さんのお話に熱心に耳を傾け、メモを取る様子が見られた。講座の終盤には『ユリ熊嵐』や『さらざんまい』の誕生秘話や当時の貴重な資料が特別に紹介され、会場からは大きな歓声があがった。

特別講座の後には、特別にサイン会が実施され、多くの学生がサインを求めて列をなす様子が見られるなど、終始熱気に満ち溢れた会場となった。

人気作品の誕生秘話に湧く会場。
質疑応答の時間ではたくさんの手が上がった。
一つ一つの質問に丁寧にお答えいただく。

 

講義後には特別にサイン会がひらかれ、多くの学生が列をなす。
頂いたサインに涙する学生も。

幾原邦彦展~僕たちをつなげる欲望と革命の生存戦略~

本展は2019年4月より放映開始した新作アニメーション『さらざんまい』の放送を機会に、幾原邦彦監督作品を貴重な資料とともに振り返る企画。(会期終了)

会期 10月16日(水)〜 10月21日(月)
HP https://ikuniten.com

 

(撮影:美術工芸学科2年生 神谷拓範)

  • 二宮 慈Chika Ninomiya

    1997年愛媛県生まれ。京都造形芸術大学 こども芸術学科 2016年度入学。幼児教育のためのアートについて学ぶ。元気の源は、真っ赤なトマト。

  • 神谷拓範Kamiya Takunori

    1999年大阪府生まれ。京都造形芸術大学 美術工芸学科 写真・映像コース 2018年度入学。写真を撮ることが多く、人間観察を趣味としている。

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