「ニッポン画」と出会って- 山本太郎准教授インタビュー

SPECIAL TOPIC2018.12.21

京都歴史舞台

「ニッポン画」と出会って- 山本太郎准教授インタビュー

edited by
  • 京都造形芸術大学 広報室

京都造形芸術大学の広報誌『瓜生通信72号』(2018年10月発行)では、「変容を受容する」と題した特集で、本学美術工芸学科の山本太郎准教授を紹介しています。

山本先生が確立した日本画の新たなジャンル「ニッポン画」。時代とともに変わりゆく日本の風景「ニッポン」を描こうと筆を執ったのは、大学三年生の頃だそう。熊本出身の山本先生は、どのような経緯でニッポンの風景を知ったのでしょうか。今後の展望とともにお聞きしました。瓜生通信Webマガジンでは、本誌で掲載している山本先生のインタビューの一部を紹介します。(本誌は本学人間館1階のインフォメーション横に設置。)

山本太郎准教授の制作風景

 

「ニッポン画」が生まれるまで

-山本先生は進学と同時に京都にいらっしゃったそうですね。

もともと、京都の大学に来る予定はありませんでした。ですが、「自分が住んで楽しい街で学ぼう」という思いが徐々に強くなったんです。ちょうどその時、日本の文化に関心があったんですが、京都は日本の中心地だった時代が長い都市ですよね。そこで興味を持ったのがきっかけです。

在学中は、楽心荘*1で長い時間を過ごしました。能楽部に所属していたので、稽古場としていつも通っていたんです。また、能楽の授業も履修していたので、楽心荘にいる時間が自然と増えていきましたね。

能楽の観世栄夫先生*2や河村信重先生*3には、生前に本当にお世話になりました。河村先生に関しては自分の立場がわからなくなるくらい親しくさせていただきましたね。先生のかばんを持って、一緒に稽古場に行くこともありました。夜中に食事に呼び出されることもままありましたよ(笑)。今の時代はやりづらいことですが、そうした経験を通して濃密なお付き合いをさせていただきました。

 

-「ニッポン画」を初めて描いたのは学生の頃だと伺いました。

日本文化に興味があったので、寺社仏閣をよく見に行っていました。ある日、その合間のお昼ご飯にハンバーガーを食べに行ったときに、ふと思ったんです。「数時間前までは伝統的で荘厳な風景の中にいたのに、今はファーストフードかよ」って(笑)。自分自身にツッコミを入れたところでピンと来ました。もしかすると、これが絵になるかもしれない。そう思ったことが始まりでしたね。

その場ですぐにスケッチを描き始めました。その時に「あ、行けるかも」と思っちゃったんです。当時描いていたのは今よりもコンセプチュアルなもので、日の丸の中に海外企業のロゴが入っているような作品でした。

それまでは何を描けばいいのか分からず悶々とする学生生活が続いていたんです。だから、「ニッポン画」に出会った時は「これだ!」と思いました。モヤモヤとしていた気分が晴れるような思いでしたね。

学生時代に制作した、初期の「ニッポン画」

 

ニッポンの「ちがい」に目を向けたい

-学生を指導する立場になった現在、教員として意識していることはありますか。

僕自身には、教えている感覚があまりないんですよ。秋田公立美術大学で教員をしていた頃からそうなんです。教えるというより、学生の後押しをしてあげる立場に近いと思っています。

だって、僕よりも学生の方が面白いはずだから。40歳半ばのおじさんよりも、20代の学生の方が本来は面白いはずなんですよ。面白くなかったらダメでしょ(笑)。環境のせいで学生がきゅうくつな思いをするようなことがないように、僕はもっと面白いことができる雰囲気を作ることしかやらないし、それしかできないですね。

 

―狂言の装束に絵をつけるという「山本太郎×狂言プロジェクト*4」には、学生はどのように関わっているのでしょうか。

狂言プロジェクトで制作している装束は、あくまで僕の作品なんです。今は、僕が書いた下絵を元に学生に色をつけてもらっているところです。ただ、どこに何を書いていくかについては相談しながら決めていますね。「これ一緒に考えたいんだけど」って声をかけて一緒に考えました。

衣装の下絵。これをもとに学生に着彩などの指示を出す

 

―衣装ならではの制作の難しさはありますか。

毎年浴衣のデザインをしているんですが、その時の感覚に近いですね。反物は、決まった版を繰り返し刷って作るんです。でも最終的には平面じゃなくて、着物という立体物になりますよね。誰かの体にフィットする立体物になる前提で、デザインをする。平面ではないけれど、純粋な立体物でもない―これが浴衣や着物、狂言の装束の面白いところだと思っています。
また、狂言の装束は、舞台上での印象も考える必要があります。舞台に立った時に、客席から目立つところと目立たないところが生まれるんです。狂言の構えに照らし合わせて考えてみてもそうです。今回の演目「花子」は後半で片袖を折り曲げて絡げて背負うので、前半でよく見えていた柄が後半では見えなくなってしまいます。こうした舞台衣装ならではのいろいろな条件があったので、それを考慮しながら制作を続けています。


―これから描いてみたい「ニッポン」の風景はありますか。

「ニッポン画」の制作を続けてきて、「ニッポン」という言葉が持つ幅の広さが、より実感をもってわかってきました。

僕は、熊本で生まれて、京都で学生時代を過ごし、秋田で教員を務めた経験があります。その中で九州・関西・東北という3つの異なるエリアを住む拠点にしてきましたが、その3都市だけでも全然違うんですよ。一言でニッポンといっても捉えきれない部分が多いんです。若い頃はイメージの中の記号としての「日本らしいもの」を扱ってきましたが、今は「日本各地の具体的なもの」に触れることの方に興味があります。

地域という横軸と、時間の縦軸が組み合わさっていくイメージですね。例えば、京都で「これが伝統文化だ」と思っているものがあっても、秋田の伝統文化は少し雰囲気が違う。それでも、その土地では長い歴史を持って続けられているものだったりしますよね。同じ日本でも、言葉や食べ物、飲むお酒やお祭りなど、いろいろなものが違うんです。そうした部分を、きちんと丁寧に見ていけるようになりたいですね。それが、僕の理想です。

 

*1 瓜生山キャンパス最上部に位置する常設の野外能舞台。
*2  観世流シテ方、2007年まで京都造形芸術大学教授。父は七世観世銕之丞。
*3  観世流シテ方、重要無形文化財保持者。 観世氏とともに、学内能楽部「楽心会」創立当時より指導にあたる。
*4  2018年12月に、狂言師・茂山童司氏が同氏の三世茂山千之丞襲名披露公演で狂言の大曲「花子」を初めて公に演じる際に着る装束を制作するプロジェクト。茂山家には江戸時代末期から「花子」のための装束をその時代の絵師や画家に依頼するという習慣があり、現在使用されている昭和初期、昭和晩期のものに続く「平成の花子」の装束となる。在学生の公募によりメンバーを選出。

 

インタビューで語られた狂言演目「花子」の装束制作は、茂山童司さん(三世茂山千之丞さん)から、親交の深い山本先生に絵付けの依頼があり実現したもの。狂言では演目ごとの装束が決まっていないのが一般的。しかしこの「花子」の演目の装束には決まりがあり、それに沿いながら、描かれる絵によってそれぞれの個性を表現するのだと言います。山本先生が手掛けた装束では、どのように三世茂山千之丞さんが表現されているのでしょうか。

茂山童司さん改め三世茂山千之丞さんの襲名披露公演は、12月23日(祝・日)13時より京都市上京区の金剛能楽堂で京都公演が、2019年 2月10日(日)14時からは東京都品川区の喜多能楽堂にて東京公演が行われます。

三世茂山千之丞 襲名披露公演(東京公演)

二世千之丞さんが生前好んで演じた極重習「花子」。演目の装束は本学の山本太郎准教授が手掛けた。チケット好評発売中。

会場 喜多能楽堂
東京都品川区上大崎4-6-9
日時 2019年 2月10日(日)
14時 開演(13時 開場)*17時15分終演予定
チケット料金 ¥8,000【全席指定席/税込】
お問合せ 童司カンパニー Tel. 075-751-9046 (平日 10:00〜18:00)

http://dojicompany.jp/syumei/index.html

 

  • 京都造形芸術大学 広報室Office of Public Relations, Kyoto University of Art and Design

    所在地: 京都造形芸術大学 瓜生山キャンパス 人間館2階事務室
    連絡先: 075-791-9112 (内線 3030/3033)
    E-mail: kouhou@office.kyoto-art.ac.jp

お気に入り登録しました

既に登録済みです。

お気に入り記事を削除します。
よろしいですか?