「自分たちの手で製作した車で、大学構内の坂を駆け抜けたい」という思いつきから始まった「轟プロジェクト」。話の主人公はプロダクトデザイン学科4年生の5人組だ。何度も頓挫しかけながらも、力を合わせてとうとう目指す車を作り上げた京都造形芸術大学 プロダクトデザイン学科の5人の学生。「轟」の字のごとく、3輪で走るその車の動力は、山の斜面に建つキャンパスを逆手にとった自らの重力だ。こだわりの滑走映像をネットに公開したことからマスコミにも注目された彼らが、このプロジェクトを通じて得たものは何だったのか。5人に話を聞いた。
始まりは思いつきから
最初にこの企画があがったのは大学1年の冬。この大学に入って木工・溶接、いろんな技術を学んだけど、学科内の工房を授業や課題以外で活かさないのはもったいない。なにかを製作したい、そして製作するなら楽しくしたいと思っていました。大学にちょうど坂もあるし、最初は軽いノリで始まった企画でした。
つくり始めるときに、プロダクトデザイン学科専任講師の大江先生から、蒼山会から支援金がもらえるのではないかという話を聞いて申請したけど、「危険なのでは」という指摘から、残念ながら不採用。自分たちのお金で全てをまかなうことになり、経費にも神経を使いながらの製作となりました。
企画、デザイン、設計を経て、製作作業が本格的に始まったのは3年の夏休み。期間を決めないとどうしてもだらけてしまうので、他の課題がどれだけ忙しくても、3年の前期の間は毎週水曜日の5限の時間にみんなで集まること、夏の2週間しか製作作業をしないことなど、規則を最初に決めて取り組みました。
時間と自分との戦い
始まってから一番問題だったのは、計画通りに製作が進まないことでした。充分なお金と時間が無いなか、試作の工程を割愛し、ぶっつけ本番でつくり始めました。いくら設計やデザインを書き込んでいても、現場でしかわからないこともたくさんあって、その度に試行錯誤を繰り返す、そんな作業の連続でした。
当初予定していたハンドルも付かなくなってしまい、途中から違うハンドルに変更したり。こっちのつじつまを合わせると、今度はあっちが合わなくなって、全体の寸法が狂いはじめてしまって。つくっている自分たち自身が、まだ実物を見たことのない未知の乗り物だから、これで合っているのかもわからないし、そもそも正解というものがない。次々に発覚する問題に、その場その場で対処しないといけなかったのです。
やっとフレームができあがり、なんとか乗ることができるようになったときは、みんなテンションが上がりました。目指しているものが未知のもので、これがほんまに動くか、完成するかもわからないのに作業を進めて、だんだん不安になってきたときだったので、できあがったフレームを見て、しかもちゃんと乗り物として機能したとき、ようやく「これはいけるんちゃうか?」と思いました。ここが折り返し地点でした。あとは、自分たちの中の乗り物がどんどんできあがっていく過程が楽しくて。
車体をつくりあげる上で、一番重視したところは、デザインとスピード感。予算に限りがあることから、少ない木材で、且つ走っているところもカッコよく見えるデザイン。しかも、乗っている本人がスピード感を楽しむことができないとなりません。そこで、車高を低くし、座席も成人男性がギリギリ入れるくらいのスペースにしたりと工夫を重ね、ようやく自分たちでも満足のいく車体ができてきて、ゴールが見えはじめました。
思いもよらぬ縁
大学のキャンパスの中で、いよいよ試験滑走することになりました。せっかくここまで頑張ったのだから、颯爽と走り抜ける様子を撮影し、かっこいい動画にもまとめて発表したいものです。そこで、「この時間帯にこのコースで車を走らせますので、気をつけてください」と、いろんな人に頭を下げてまわり、また、コースに人が立ち入って危険なことにならないように、友達にも見張り役を手伝ってもらいました。
そうやって多くの人を巻き込みながら行った試験滑走は、大成功。しかも、思いもよらないご縁につながっていきました。というのは、できあがった動画をネットにアップしたところ、色々な人がこの轟プロジェクトに興味を持ってくれて、作品展示のお誘いや、新聞やテレビからの取材の話まで舞い込むようになったのです。
最初の企画段階では、「危険では」と周りの人たちに反対もされました。でも、その時点でこのプロジェクトを諦めていたら、なにも変わらなかったと思うし成果も出せなかった。ちゃんと自分たちで計画して成し遂げて、しかも、ただ製作して走行するだけではなく、きっちり成果を発表するところまでやりきったからこそもらえた評価だし、広がったご縁だったと思います。
この大学で学び習得したことを、活かすも殺すも自分次第。在学中、どんなことをして過ごしたいかというビジョンを持ちながら、授業に真面目に取り組み、一方でこの大学の施設や技術を自分たちのためにどんどん使い、こうやって馬鹿なことをして遊ぶ。今回、自分たちにとって楽しい「遊び」だったからこそ、新しいデザインが生まれてきたと思っています。卒業後も、この遊び心をもったまま、自分が楽しいと思えることに、いつまでも挑戦していきたいと思います。
※1:蒼山会…京都造形芸術大学の保護者会。創作・研究補助制度を設けており、展覧会や製作をする際に申請、プレゼンを通し、採用されれば補助金が授与される。
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地田 圭織Kaori Chida
1995年静岡県生まれ。京都造形芸術大学 美術工芸学科日本画コース2014年度入学。日本画専攻だけど西洋美術史を勉強するのが好き。
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大田 優佳Yuka Ota
1996年兵庫県生まれ。京都造形芸術大学 情報デザイン学科2014年度入学。
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濱﨑 耀子Ayako Hamasaki
1995年兵庫県生まれ。京都造形芸術大学 情報デザイン学科2014年度入学。グラフィックデザインを学ぶ。好きなデザイナーは佐藤オオキ。