INTERVIEW2016.08.27

京都建築デザイン

瓦の裏に生きた証を忍ばせて #1 ―浅田晶久(浅田製瓦工場 三代目)[伝統のその先へ #1]

edited by
  • 河野 彩子
  • 顧 剣亨
  • 小山田 晃
  • 瓜生通信編集部

京瓦について知る

 

浅田製瓦工場について教えてください

私で3代目ですね。京都では一番新しい瓦屋、ということになっています。一番古い瓦屋は、寺本甚兵衛さんのところじゃないかなと思います。ここは太閤さんの時代、伏見城築城のときからだそうですから。京都でいえば、この2軒だけが現在も窯がある窯元になります。

 

明治44年創業とお聞きしました

製薬者免許之證 明治44年12月26日とある

井桁に田んぼが、私どもの商標ですが、この商標の焼印が入った古い型はあるのだけど、それには年号が入っていなくて、年号が入っているもので一番古いのが大正3年です。それでは、明治44年ってどこからきているのかということになるのですけど、製薬者免許の証が残っていて、これが明治44年にはもう創業していたという証。製薬ってなにかというと、「芒硝 *1」という友禅で使う白い薬、そういうものを作っていたようです。一番最初は、製薬部と製瓦部に分かれて兼業していました。

 

 

瓦にはどういうものがあるか教えてください

JIS規格では大きく3つに分けられていて、ひとつは「いぶし瓦」。それからもうひとつは「釉薬瓦」。これはお茶碗などと一緒で、釉薬をかけて焼くわけで、青とか色がついた瓦です。それからもう一つは「無釉瓦」といって、型で形を作ったものを、そのまま焼き締めるだけ。うちはその中の「いぶし瓦」を作っているということですね。

 

京瓦の特徴について教えてください

「京瓦」というものは、現在あってないようなものです。昔なら京都の土地で、京都の粘土を使って京都で取れる燃料で、そして京都の伝承されてきた技術でつくる瓦、というのが「京瓦」の定義になりますが、現在は、燃料はブタンガスですし、京都に粘土はあるのだけど、開発の方が早くて、みんな家の下に埋もれていて取れない状態にある。だから今は愛知県の粘土が90%とベトナムの粘土10%を配合したものを使っています。

というわけで、京瓦の特徴というのは、京都の土地で伝承されてきた技術を使ってつくった瓦としか言いようがないわけです。それでは、京都で伝承されてきた技術ってなにかということになるのですが、それは「磨き」ですかね。すべての瓦を、一枚ずつヘラで磨いているのは、ここ京都だけですね。

 

京都の屋根が銀色に輝いているのは、その磨きがあるからなのですね

京都の瓦は、ある程度温度を上げて素地を焼き締めたあと、酸素を一切遮断して燃料をそのまま製品にふりかけて「燻化」という不完全燃焼を起こし、炭素を瓦の表面に付着させます。そのときに瓦が磨いてあると、炭素がきれいに並んだ膜になって、光沢と水を弾く力と強度が増して、屋根に葺いたときにきれいに輝くわけです。もし磨いてなかったら、表面がざらついているから、炭素を付着させても綺麗には見えないということです。

 

瓦づくりの工程を教えていただけますか?

まず、土をこねて粘土の板にする。この作業は機械がするのだけど、この段階では粘土がものすごく柔らかいから、一旦それを干して、自分の思う硬さにします。そこで、木型を使うのだけど、瓦の型というのは片面しか形をつくらない。つまり、木型が形づくる瓦の裏面は形を変えることができないけれども、表の部分は職人さんが自由につくるわけです。

私たちの場合は、瓦一枚だけが製品ではないというのが難しいところ。屋根におさまるということは、鬼瓦の下にも瓦があるし、後にもあるし、上にも載ってくるわけで、それらがうまいことおさまるようにどうするかということを考えながら造るわけです。しかも、屋根自体がみな平らじゃない。だから単一の瓦じゃ葺けなくて、色々な瓦が必要になるし、綺麗にきちんと葺けるように、隣の瓦にあたるような分厚いところや隙間になるような薄いところを、この表の部分を叩いて調整するわけです。

この整形の作業の後に、窯で焼く作業になります。

 

ひとつの瓦をつくるのにどれくらい時間がかかるのでしょうか?

品物によります。鬼瓦かどうかや、大きさにもよるし。

強いていうならば、瓦の整形の作業で、ひとりの職人が1日につくることができるのが90枚ほど。窯の作業は、6日はかかります。窯積み1日、炊き2日、冷却2日、窯開けで1日。ちょっとややこしい鬼瓦だと、積む作業だけで2日がかりになってきますから、物によっては1週間かかりますね。

 

そもそもどうして瓦職人になろうと思われたのでしょうか?

私たちの若い頃は、長男である以上家業を継ぐのが当たり前でしたし、私自身家業を継ぐのは嫌ではありませんでした。それと、私の父は職人の中では若い方で、周りは年寄りばかりだったので、もうあと数年もすればみんないなくなってしまう。自分が継がなくては京瓦の伝統が失われてしまうという思いがありました。

それと、自分が気に入った鬼瓦などには、年号や名前を刻み込めるので、その瓦が割れない限り自分が生きていた証を残しておけることも魅力でした。まぁそれが何年持つかはわかりませんが。

 

瓦職人として一人前になるには、どれくらいかかるのでしょうか?

伝統産業はどこでもそうだと思いますけど、通常10年とか15年と言われます。自分は「10年かかっていたらおもしろくない。それならば5年でマスターしよう」と思って、他の人が8時間働くところをその倍の16時間くらい・・ひどいときは20時間くらい働きました。

でも、無理でした。世間が認めてくれません。自分自身では、5年くらいでもう一人前と思っていたけれど、「おう、やっと一人前やね」と言ってもらえたのは、10年経ってからでした。

 

仕事をしている中で印象に残ったエピソードはありますか?

私が瓦職人を始めたばかりの頃、南禅寺の屋根葺きの職人から地瓦の注文を受けてつくったのだけど、できあがった瓦を5枚ずつ一束に紐で結束しようとしたら、片方を押さえると反対側がパカッと開くし、反対側を押さえると今度は逆側がパカッと開いてしまいます。

「こんな瓦、絶対に使えないだろうな。きっとクレームが来る」と思って心配していたら、逆に「あんな葺きやすい瓦なかった」と褒められた。瓦は、片方があがっているのを「ムコ」、さがっているのを「シリ」というのだけど、どうやらその両方が均等に入っていたようです。そのときは、なんのことかわからなかったから、褒められてびっくりした思い出があります。

 

今、次の世代を担う方はいらっしゃるのでしょうか?

はい。京都工芸繊維大学の大学院まで出た弟子がいます。

 

浅田さんにとって瓦は、どんな存在ですか?

生まれて間もないときからの付き合いですからね。話に聞くと、小さい頃から粘土の泥の中で遊んでいたそうです。だから、今さらどうということもないけど、「いい仲間」ですかね。

 

 

 

 

<次回は、浅田さんが瓦を未来に継ぐ姿を追います>

 

*1 芒硝:染料の吸収促進などに使われる

 

<文:河野 彩子、写真・動画:顧 剣亨、動画編集:小山田 晃>

浅田晶久 Masahisa Asada

伝統の引っ掛け桟瓦で通産大臣賞を受賞した父・良治氏を継いで京瓦窯元の三代目となる。 大阪工業大学で建築を学んだあと、23歳で家業を継ぎ瓦造りを本格的に始めた。適度に自由な創作が可能な鬼瓦造りを専門とする。

 

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  • 河野 彩子Ayako Kawano

    1996年宮崎県出身。京都造形芸術大学 アートプロデュース学科2015年度入学。人と人を繋げる力を体験を通して学び中。散歩するのが趣味。

  • 顧 剣亨Kenryou GU

    1994年京都生まれ、上海育ち。京都造形芸術大学現代美術・写真コース卒業。大学在学中フランスアルルの国立高等写真学校へ留学。都市空間における自身の身体感覚を基軸にしながら、そこで蓄積された情報を圧縮・変換する装置として写真を拡張的に用いている。

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    1996年大阪府生まれ。京都造形芸術大学 情報デザイン学科2015年度入学。映像を中心にグラフィックデザイン全般を学ぶ。好きなことはゲーム。

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    京都造形芸術大学 広報誌『瓜生通信』編集部。学生編集部員24名、京都造形芸術大学教職員からなる。

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