春の河原のつくし摘みと有平糖 —つくし、早蕨(さわらび)と野の花の有平糖(ありへいとう)(紫野源水) [京の暮らしと和菓子 #10]
- 栗本 徳子
- 高橋 保世
バスを待ち大路の春をうたがはず 石田波郷
まだ肌寒い日の続く3月初めは、コートを着て出かけても街路の光がまばゆさを増していて、早々と春の兆しを感じる日も増えてきます。しかし一方、京都の町家に暮らす人たちにとってこの3月初旬というのは、縁先から入る日差しが少しずつ短くなり、部屋の中から遠ざかってゆくことで、かえって家中(かちゅう)の寒さを実感する時期でもあります。
こうした暮らしぶりの家で、「雛祭りは旧暦に近いひと月遅れの4月に」という昔ながらの慣わしが続いているのは、むしろ自然なことにも思えます。世の常に反して私の生家も、3月は雛の月ではありませんでした。学校の春休みも半ばに入った3月末に、まだ冷え冷えとする蔵の中から、雛を運び出して座敷に飾り、4月3日に甘酒とお膳を供えてお祝いするのが毎年の雛祭りでした。
そのような京都の3月、まだ桜の咲く前に強く春を感じるのは、やはり暮らし近くにある自然に触れる時です。北山、東山、西山などの山懐に入れば、蕗の薹などにも出会えます。しかしもっと身近には、街のそばを流れる鴨川、高野川、桂川、宇治川の土手や河原に日々の変化を見つけることができるのです。木々の芽が膨らみ、茶色に枯れていた草の下から緑の新芽が生い出し、そしてまもなく緑に覆い尽くされていく様子をつぶさに見るのが、3月の楽しみです。
緑が広がる河原
河原の春の遠い思い出があります。小学校2年生か3年生頃の春休み、父が言い出してピクニックに出かけることになりました。おそらく幼稚園児の幼い妹も揃って、そろそろ5人家族で徒歩での遠出ができるようになった時期と考えたのでしょう。しかしあまりアウトドア派ではなかった私たちにとっては、残念ながら最初で最後の家族での春の野がけとなりました。母の手作り弁当を持って、父の先導で出かけたのは宇治川の堤防でした。
宇治から伏見の南を流れる宇治川は、鴨川や高野川などの京都市北部の川とは比べ物にならないほど豊かな水量を湛える河川で、小学校では宇治川のそばに子どもたちだけで遊びに行くことは禁じられていました。幼稚園の頃は、お迎えバスに乗って宇治川にかかる観月橋という大きな橋を渡ることは毎日のルートで、もちろんそこに大きな川があることはよく知っていましたが、家から歩いて10分もかからないその堤防に、まだ近づいたことはありませんでした。
当時はそこへ出かけるというだけで少しワクワクしましたが、ちょうど観月橋のあたりから堤防に出ると、広々とした見晴らしの中、滔々と流れる川の迫力に、高い橋の乗物の中から眺めていた印象とは違う、深い流れに引き込まれるような恐ろしさと美しさを同時に感じたのを覚えています。
そして、母がほらっと指差したあたりを見ると、足元の土手に、つくしが生え出ていたのでした。生まれて初めて目にするつくしは、その形が面白く、慣れてくると草の中にあそこにも、ここにもと見つかりだして、子どもたち3人は夢中になったのでした。
最初からそれを目指していたわけではなかったのですが、すっかりつくし摘みの野あそびとなりました。
家族のように寄り添うつくし
幼稚園児の妹には、かなり強行軍だったかと思いますが、父は結局、宇治川に沿って淀近くまで私たちを連れて歩き、めいめいの摘み取ったつくしはけっこうな量となりました。
その日の夜は、早速つくしづくしの料理の数々となりました。初めて食べたつくしご飯とつくしのお浸し、つくしの佃煮は、子どもには少しほろ苦いものでしたが、自分で摘んだ春の山菜をいただく初体験でもありました。
土筆(つくし)煮て飯くふ夜の台所 子規
正岡子規は「つくしほど食ふてうまきはなく、つくしとりほどして面白きはなし。」というほどのつくし好きだったようで、つくしの句を多数残しています。病床にあって自らは出かけることができなくとも、妹らが東京赤羽でつくし摘みをしてきたときにも、故郷でのつくし摘みを懐かしみつつ、歌や句を詠んでいるのです。故郷の春の野の思い出が彷彿とします。
女ばかり土筆摘み居る野は浅し
杉菜多き堤に出たり土筆狩
ふむまいとよけた方にもつくつくし
蒲公英(たんぽぽ)に描き添へたる土筆哉
つくしとたんぽぽ
さて、大人になって誰にとがめられることもなく河原に行けるようになってからも、なかなか春のつくし摘みに足を延ばすことはなかったのですが、今年、久方ぶりにつくしを求めて、写真を担当している高橋さんとともに、伏見の土手を歩きました。そこには、昔に変わらず、すぎなとともに生える大量のつくしを見つけることができました。
けっきょく、年甲斐もなく、あそこにも、ここにも、あっ踏んでしまったと、若い高橋さんより、子どものようにはしゃいでいたのでした。山口県出身の高橋さんは、京都で、街のこんなに近くに土筆がこれほど生えているなんてと、少し驚きながら、それでもやはり、懐かしい故郷でのつくし料理の話をしてくれました。
こうした春への慕情と重なる早春の草ぐさは、また和菓子の中にも確かに根を下ろしています。
有平糖 早蕨とつくし
雛の菓子蕨土筆と減りにけり 後藤夜半
今回ご紹介する紫野源水さんの、早蕨とつくし、蒲公英(たんぽぽ)と菫(すみれ)と蓮花の花などの有平糖(ありへいとうまたは、あるへいとう)は、そのあまりにも美しい透明感で曇りない春の光を取り込んだようなお菓子です。お店で伺うと、上記の後藤夜半の俳句そのままに、やはり雛祭りの頃に主に調整されるといいますが、私にとっては、3月の春の野の趣にこそ重ねたいお菓子です。
蒲公英・菫・蓮花
有平糖とは、室町末期に渡来した南蛮菓子で、ポルトガル語のアルフェロア(砂糖の意)やアルフェニン(白い砂糖菓子)を語源とするといいます。純度の高いざらめ糖と水飴を煮詰めて練り、熱いうちに様々な色や形に細工するのですが、特に江戸中期から茶席で用いる繊細な飴菓子として発展しました。紫野源水さんでは、ご主人お一人で手作りなさっていると伺いました。
有平糖は少し白濁したものも多いのですが、紫野源水さんのものは、透明に輝いているものを信条とします。口に入れると、砂糖の持つ舌にグッとくる「きつさ」がなく、まるで磨き上げたようにどこまでもまろやかな甘さが、じつに上品に広がります。
その上、とくに私のお気に入りが「つくし」なのです。
形の愛らしさは言うまでもありませんが、軸の部分は中が薄いピンク色で表面だけが白いため、まさに透けるようなつくしの軸の色合いを持っています。その上つくしの頭は、薄いグリーンの飴に芥子の実がまぶされていて、その色と質感が絶妙に計算され、さらに芥子の香ばしさが相まって、有平糖の甘さにアクセントが加えられています。
私は、和菓子の造形には、形を写しすぎないものを好みとしているのですが、この「つくし」こそ、飴としての菓子の姿とつくしの姿との絶妙のバランスを保って出来上がっていると感心してしまうのです。
今年は桜の開花前線も、記録的に早く全国を北上しているようで、京都でももうはや満開を迎えようとしていますが、桜にばかり目を奪われるのではなく、足元の小さな春にも目を留めて、日々を過ごせればと思います。
我が家のささやかな庭にも、今朝、菫が咲き始めました。
紫野源水
住所 | 京都府京都市北区小山西大野町78−1 |
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電話番号 | 075-451-8857 |
営業時間 | 10:00~18:00 |
販売期間 | 要問合せ |
定休日 | 日曜・祝日 |
価格 | つくし・早蕨各240円 蒲公英・菫・蓮花各360円(税込) |
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栗本 徳子Noriko Kurimoto
1979年、同志社大学文学部文化学科卒業。1980年より3年間、社団法人 日本図案化協会 日図デザイン博物館学芸員として勤務。『フランス染織文化展 ―ミュルーズ染織美術館コレクション―』(1981年)などを担当。1985年、同志社大学文学研究科博士課程前期修了。1988年、同博士課程後期単位修得退学。1998年より京都芸術大学教員。著書に『文化史学の挑戦』(思文閣出版、2005年)(共著)、『日本思想史辞典』(山川出版、2009年)(共著)、『日本の芸術史 造形篇1 信仰、自然との関わりの中で』(藝術学舎、2013年)(栗本徳子編)、『日本の芸術史 造形篇2 飾りと遊びの豊かなかたち』(藝術学舎、2013年)(栗本徳子編)など。
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高橋 保世Yasuyo Takahashi
1996年山口県生まれ。2018年京都造形芸術大学美術工芸学科 現代美術・写真コース卒業後、京都芸術大学臨時職員として勤務。その傍らフリーカメラマンとして活動中。