REPORT2017.06.24

京都映像

新たなアート表現としての「ゲーム」 ―「A 5th of BitSummit」

edited by
  • 藤田 祥平

「ゲーム」といえば、任天堂やソニーを思い起こすひとは多いだろう。大きな企業が子供のために夢の世界をつくる、そんなイメージを抱いている方も多いかもしれない。しかしながら、「ゲーム」はそれだけではない。あたらしいアートとして、ひとりの作家が「ゲーム」を表現の手段に選ぶことが増えてきているのだ。コンピュータ技術が発達した現代において、企画、開発、販売までをひとりで行うことが可能になった。そうして生まれ、世にあらわれたゲームは「インディーズゲーム」と呼ばれ、アートシーンに新たな風を送り込んでいる。

5月20日、21日に京都市勧業館みやこめっせで行われたイヴェント「A 5th of BitSummit」は、100以上にものぼるインディーズゲームが展示され、6000人以上もの人が来場した。会場の雰囲気は、アート作品の展覧会と、企業の商品展示会のあいだという感じ。日本人、外国人の分け隔てなく、活発な意見が交わされ、来場者と制作者の距離はとても近い。
実際に参加して驚いたのは、絵画や文章などの才能を持つ作家たちが、ゲームという芸術表現を利用しはじめていることだ。Little Cat Feetの「OneShot」は、演劇でいう「第四の壁」を打ち砕いていくようなストーリーテリングが採用されているし、Heart Machineの「ハイパーライトドリフター」は、胸を打つ美しい絵画的表現がちりばめられた、言葉をいっさい使わない物語が話題を呼んでいる。

コントローラーを握ってプレイするゲームはもちろんのこと、その枠にとどまらない「ゲーム」の出展も数多くあった。株式会社ココノヱの「ピーポーパニック」は、釣り竿の先にぶらさげたUFOのおもちゃを、地面にプロジェクションされた映像に重ね合わせ、映像のなかの人間を吸い込んでいくという作品。Robin Baumgarten氏の「Line Wobbler」は、チューブのなかに配された光の色を操作して遊ぶ、いわば「1次元」アクションゲーム。Loveshack Studioの「FRAMED 2」は、漫画のコマの配置を入れ替えてストーリーを進めていくアドヴェンチャーだ。
これからコンピュータ技術がますます発展していくにつれて、「ゲーム」がひとつの芸術表現の手段としてひろく認められる時代も、より近く迫ってくるだろう――会場に参加し、いくつもの「ゲーム」をプレイして、そんな思いが強くなった。文章に小説や批評、エッセイやジャーナリズムがあるように、ゲームにもいろんな種類がある。大きな企業がみんなを楽しませるために作るゲームだけでなく、ひとりの人間が自分の作家性をいかんなく発揮する手段としてのゲームもあるのだ。その多様さには、人間の心を動かすアートを内包しうる懐の広さが、まちがいなく秘められている。

  • FRAMED 2
  • Line Wobbler
  • OneShot
  • ハイパーライトドリフター
  • ピーポーパニック

【公式Twitter】https://twitter.com/BitSummitJP
【ウェブサイト】 http://bitsummit.org/2017/

 

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  • 藤田 祥平Shohei Fujita

    1991年大阪府生まれ。京都造形芸術大学文芸表現学科卒。http://shoheifujita.smvi.co/

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