伝統工芸の本当の姿に光を当て、「かわいい伝統」「かっこいい伝統」「おしゃれな伝統」を世界に持っていく京都伝統文化イノベーション研究センター(T5)が発信するコラムを瓜生通信にてお届けします。
今回は、「職人interview #88 目録|伝統を描く、奥村佳子さん」をぜひご覧ください。
前回、花街を支える立役者として紹介させていただいた乙野さんの所属する美容室、ディティールさんではもう一つ「目録」という花街のお祝い事になくてはならないあるものを制作されています。一体どんなものなのか、15年以上制作に携わる奥村佳子さんに目録のあれこれを教えていただきました。
#花街 #目録

流行を追う日々から伝統の世界へ
まず、目録とは一般的に舞妓さんや芸妓さんの店出しと言われるお披露目の日などにお茶屋の玄関先に貼られる大きなお祝いのポスターのようなもので、ご贔屓のお客様や歌舞伎役者、先輩の芸舞妓さんからお祝いの気持ちを込めて当人に贈られるものです。お披露目の3日間をより一層華やかに、賑やかに助ける重要な役割でもあります。

最近では花街だけでなく、飲食店などの開店祝いでも見かけるようになりましたが、実は目録制作をされているのは京都で三人ほど。目録制作だけを仕事にしている、という人はおらず、ほとんどが本職の傍で作りながらその技術が連綿と受け継がれてきたそうです。
元々はインテリアのスタイリストをしていたという奥村さん。流行を追い続ける毎日に辟易としていたある日、形を変えずに受け継がれる伝統の世界に興味を持ちます。
「流行の先を作るのって永遠に捕まえられない感じがして、それよりも動かないもの、伝統のものがいいなと思って、和専門のスタイリストを目指しました。それで着物の学校に行って学んでいたら、和の世界がすごく広がって。じゃあ日本髪もできて着物もできて、和のお化粧もできるのってなんだろうと思ったら舞妓変身だ!という感じで」
芸舞妓さんの着付けの専門職、男衆さんが運営する本格的な舞妓変身のお店で働きながら、舞妓さんの着付けからお化粧、日本髪のことまで全てを習得するべく、勉強のために読んでいた花街の本で「目録」を知ることになったそうです。今でも大切にされているその本を見せていただくと、和傘の老舗でありながら目録を描かれていた辻倉さんの紹介ページが。ページの角にくっきりと残る折皺が当時の奥村さんの衝撃を十分に伝えてくれていました。

「本当はお化粧の参考に買った本なんですけど、これを見てすごい何これ!って。すぐにここへ行きたかったけど、まだお店に入ったばっかりだったのでとりあえず舞妓さんのことを全部覚えてからここに行こう、と。それから一年後に行くことになります」
すでに辻倉さんのご主人が亡くなられており、お手伝いをされていた奥様に少しずつ教えてもらいながら描き始めたそうですが、残された書き損じや目録の写真を見ながら馴染みのない道具で制作をすることは簡単なことではなく、一度は挫折することもあったそうです。しかし、数年後ディティールさんで働くようになった頃に目録の作り手が減っている、という情報を目にすることになります。
「祇園甲部の歌舞練場で花街展をしていた時に、目録のコーナーがあったんです。そこの説明のところに、目録を描く人がないから困ってるって書いてあって『困ってるの?私描けますけど!』って(笑)それで、ディティールのお客さんだったお茶屋さんの女将さんに、相談したんです。そしたらいっぺん描いたの見せて、といわれて、そこからはすごく熱心にいろいろ教えてくださって。『もうちょっと赤濃くしてくれへん?』とか『もうちょっと墨の色濃くしてくれへん?』とか『紙分厚うして』とか。それがすごくありがたかったです。自分では描けてる、と思っていたし分からなかったので」
そんなふうにして本格的に目録の依頼を受けるようになったのが今から七年ほど前。奥村さんはそれまで長い間使われていなかった絵柄を昔の写真を見ながら復刻し、元は6種類ほどだったものを現在では19種類にまで増やされました。

昔に忠実に、賑やか、華やかに
制作工程についてお聞きすると、外側の赤い枠と右上の熨斗は型を使って描き、それが乾いてから絵柄の下書き、アウトラインを墨で書いた後に色を塗り、最後に文字を入れて完成になるそうです。今回は取材のために特別に小さいサイズの目録を描かれているところを見せていただきました。印象的なのは大きな字も小さな字も一本の太い筆で書かれていたこと。
「いつでもこの太い筆で描くんです。こだわりというか、細いところを細いので書いてもなんというか味が出ない気がして。寂しくなったら嫌なので、賑やか、華やかにおめでたく描くように、あとは昔に忠実に描くようにしています。できるだけアレンジはせずに、昔のままを残したいので復刻したり昔の本とかを見てこれは。と思ったら描いています」

昔に忠実に、という姿勢は絵柄だけではなく書かれた文字にも表れています。例えばこの一番下の部分「ゟ」は実は「より」という字を横に書いたもの。明治以前に使われていた合略仮名で「より」を一文字で表しています。調べてみると、現在ではお相撲ののぼり旗で見られる以外に、広告など狭いスペースに文字を入れ込みたい時などにも使われることがあるようです。
そして全体的にまあるく内側に向いた文字は「お客さんや福がたくさん入るように」という想いから、江戸文字という縁起のいい文字を意識して書かれています。
忙しい時には70枚ほど注文を受けることもあるという奥村さん。制作中は常に緊張感があり、絵の具を乾かす間家を空けることも気が気でない、とおっしゃっていました。
「舞妓さんのお店出しってそれまでの間の大変な努力がやっと実る時やし、花街の皆さんとかお姉さん方、お祝いしようとしてるいろんな業界のお客様がいらっしゃるのでそこに間に合わへんかったらえらいこと、と思って。だから納品前は家を開けるのも何かあったらと思うと怖くて、当日貼られるまでどきどきです。なので納品もできるだけ早く、お店出しの一つ前の大安の日に届けるようにしています」
私は家を空けるのも気が気じゃないことなんて1年に1回もありません。小さい子どもがいたらそれこそ気が気じゃないかもしれないけど。いや、奥村さんにとって目録は子どもみたいなものなのかもしれません。目録は紙だけど、ただの紙ではないのです。奥村さんの描く目録の向こう側にはたくさんの人たちのあたたかい気持ちが込められていること、そしてそのことに奥村さん自身が全身全霊で応えようとしている姿勢をその言葉から感じることができます。
「全て手書きなので、最後の文字を失敗したら一から書き直しになります。なのでお名前を入れる時は舞妓さんにおめでとう、そして依頼してくれた方にありがとうを言ってから呼吸を整えて書き始めるようにしています」
静かに受け継がれるもの
実は目録、京都で三人ほどしか描ける人がいないそうですが、奥村さんでも誰が描いているという情報はほとんど入ってこないそうで、ネット上にもその情報はほとんど出ていません。こんなふうにして江戸時代から続く花街とは、切ってもきれない「目録」があたりまえのように静かに受け継がれ続けているというのがなんだか不思議でかっこいい。大切なものは大きな声で話されずとも、長い歴史の中を着実に生きていました。そこには奥村さんのような伝統の姿を変えないために絶えず研究し続ける存在が必要不可欠。お話をする中で強く伝わってきた花街へのリスペクトがその原動力なのかもしれません。細やかなこだわりがたくさん詰まった、目にも華やかな「目録」を今でもたくさん目にすることができる京都で、伝統を守ろうとする人たちの面影を見ることができました。
職人interview
#88
DTEEL(ディティール)
奥村佳子
文:
井口友希(文芸表現学科)
写真:
西岡菫(歴史遺産学科)
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