INTERVIEW2025.04.25

教育

名誉教授が語る「あの頃の瓜生山」ー学園のいまとむかし

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  • 京都芸術大学 広報課

2025年4月1日、春秋座にて教職員総会が開かれ、松井利夫先生、後藤繁雄先生、松生歩先生、田名網敬一先生の4名に名誉教授の称号が授与されました。

 

徳山理事長から賞状を受け取る松井利夫先生
名誉教授授与のスピーチを行う後藤繁雄先生

 

本記事では、長きにわたり本学を支えてこられた松井利夫先生と後藤繁雄先生に、「あの頃の瓜生山」をテーマに対談形式でお話を伺いました。

いまは懐かしい当時のキャンパスの空気、学生たちの姿、学園の変化、そして変わらない精神。お二人の言葉から、京都芸術大学の“これまで”と“これから”を見つめます。

あわせて、松生歩先生にも個別インタビューを実施し、短大時代や通信教育部での指導経験を中心に、学生とのエピソードを語っていただきました。

それぞれの着任のきっかけ

左から 松井利夫先生(1986年京都芸術短期大学着任)、後藤繁雄先生(2003年京都造形芸術大学着任)

 

ーー松井先生が本学に着任された当時のことを教えてください

松井:僕は京都芸術大学(当時は京都芸術短期大学)に勤めるまでイタリアで作家として活動していました。日本に戻ったタイミングで、恩師から芸大が非常勤の美術史の教員を募集してるから応募してくれないかと言われたんです。

 

 

大学外では、僕のことを”陶芸の先生”と思っている方も多いかもしれませんが、着任当時は、美学美術史コースで造形演習と言う科目を担当していました。3年目から「服飾の授業も担当してほしい」とお願いされたんですよね。当時は、服飾の中に造形分野の知識が必要になってきた時代でしてね。それと服飾の先生って女性の方が多くて、でね、当時はやんちゃな学生が多かった。そういう背景もあって、僕が呼ばれたのかなという気がします。ただ、いま振り返っても陶芸を専門的に教えた経験は実はあまりないんです。

 

ーーそこから専任になられたんですか?

松井:いや。実は一回断ったんですよ。恩師から「大学の専任教員になると辞められなくなるぞ」と言われてね。当時は、「アーティストというのは四面楚歌で生きるもんだと」思っていたから、組織に属するのが怖くって、一度は断りました。

でもちょうどその時に大きな作品制作に取り組んでいてね。その作品を移動させるのに車が必要だったんですよ。けど僕はというと、お金がない、免許もない、車もない。家も借家やしと全然仕事がまわらなかった。そんな時に大学の専任教員の給料を聞いたら、「1か月で免許が取れて、翌月に中古車が買える」って話だったんです。

それで「とりあえず1年くらいやってみて、また辞めたらええか」と思って、専任教員になることにしたんです。

でもね、専任になった途端借家が火事になったのよ。もうボヤ騒ぎどころじゃなくて、住んでた家が全部焼けちゃって。

それで徳山詳直前理事長に呼ばれて、「きっと慰めてくださるんやろな」と思って部屋に入ったんですよ。そしたら、まさかの一喝をくらって。

「バカ者!人様に迷惑かけるとはなにごとだ」と怒鳴られて。

こっちはしゅん…ってなりましたよ。

でもその時、なんだか覚悟が決まったというか、「まあでもどうせ1年で辞めるつもりだから」って思いながら専任教員の1年目が始まったんです。でも気づけば、39年間も勤めて、名誉教授になるまで続いちゃったわけです。

 

ーー後藤先生はどういう経緯で入られたんですか?

後藤:僕は松井さんと全然違っていて、編集者やアートプロデューサーをやってたんです。20代から東京で事務所を構えて運営していました。当時の僕は、アートのこともわかるし、編集もできるってことで、色んな仕事をしていたんです。

 

そんな中で、大野木啓人先生と知り合って、そのご縁で京都芸術大学(当時は京都造形芸術大学)の芸術文化学科を変えたいので、学科長に誘われたんです。僕が芸大に入ったのは2003年かな。ちょうど短期大学から4年制大学になって間もない頃ですね。そのタイミングって、カリキュラムも人材もまだ整っていない、ある意味短大から大学への過渡期で。大学側も色んな課題を抱えていて、「とにかくなんとかしないと」って空気がありました。大野木先生からの紹介で徳山前理事長にも会って、「お前の言うことはようわからんが、お前が必要だということだけわかった(笑)」と言われて着任することになったんです。

 

ーー昔の大学で印象深いことはありますか?

後藤:やっぱり、当時学長だった芳賀先生のことですね。
アルバムにも書いてるけど、「伝統から前衛へ」っていうアカデミックなんだけど革新的だったのが芳賀先生なんですよ。

 

芳賀先生の言葉がかかれた冊子

 

僕が芸大で教え始めたのが2003年で、担当していたのが芸術文化学科。
その翌年、2004年には今のASP(アートプロデュース学科)に改組したんですよ。その過程で、新しいカリキュラムをつくったり、同じような分野を教えている海外の学校を見に行ったりもしました。どうせやるなら、「今までない学科にしたい」と思ってたんですよ。
でも、その構想を芳賀先生に話したら大反対されて。「研究もしなきゃダメだ」って言われてね。そこから電話で1時間以上も議論したこともありました。
結局、紆余曲折あって生まれたのが今のASPなんです。

 

ーーASPの設立にはそういう経緯があったんですね。

後藤:そうなんです。ASPができたばかりの頃は本当に小さな学科でなかなか高校生にも学科の存在が知られていなくて。だから学科長として、全国の高校や研究所を回って、模擬授業をしたり、説明会を開いたり、とにかく足を使って広報してました。

 

 

松井:当時僕が担当していた空間演出デザインコースの学生にも「ASP行きたい」って言ってる子、結構いましたね。

 

後藤:そうそう。高校生にも「先生面白いわ」っていう子がいたり、高校の先生にも「後藤先生のところなら安心して送り出せる」って言ってもらえて。そういう関係が広がっていったのは嬉しかったですね。

そういう活動を通して少しずつ学科が認知されて、学生も増えてきました。入学してくれた学生は、展覧会のプロデュースなど実践的なスキルを身に付けてくれました。ただね、もともとASPは芸術文化学科の流れをくんでいて、そこには研究を重視する下地もあった。

例えば、博物館で学芸員として活動していた先生がいたんですが、その方からある時、こう言われたんです。「後藤先生は、学生に考える力や批評する方法を教えようとしているようですが、研究には、そういうの必要ないんですよ。事実の積み重ねだけでいいんです」と言うんですよ。

 

松井:勇気あるねその人。そんなことよく言ったね(笑)

 

後藤:ね、ある意味偉いと思ったよ。ただ、考え方が合わなかったからお互いのためにも辞めてもらいましたけどね(笑)。でもその一件も含めて、僕自身にとってはすごく学びの多い時期でしたね。大学の教員としても、芸術・美術を教える者としても、自分のスタンスを見つめ直すきっかけになったんです。

 

 

ーーお二人が共通して印象に残っていることはありますか?

後藤:やっぱり、2004年に始めた『ARTZONE』ですね。
京都芸術大学の学生作品をASPでプロデュースし、展示もできるアートスペースで、河原町三条にありました。当初のロゴはアーティストの束芋につくってもらった。

 

松井:ああ、ありましたね。あの時、僕は空間演出デザインコースで教えていたから、一緒に取り組んでましたよ。

 

後藤:今でこそ、街中にギャラリーを構える大学って珍しくないけど、当時は全国のどこの美大・芸大もそういう発想はなかったんです。
あの当時、うちの大学がやったことは結構、画期的だったと思います。

 

松井:『ARTZONE』ができた時は、僕も衝撃を受けました。
「大学がここまでやるんか」と驚いたことを覚えています。

 

ーー徳山前理事長について印象深いことはありますか?

松井:いやあ、ありすぎて(笑)やっぱり僕は、火事にあったときに、徳山前理事長に呼び出されて、「慰めてくれるんかな」と思って行ったら、まさかの「バカ者!」ですよ(笑)。

 

後藤:さすが、徳山前理事長ですね(笑)。僕が一番最初に驚いたのは入学式かな。初めて出た入学式で「アメリカ帝国主義に反対する」って言い切る理事長なんて他にいませんから(笑)ああいう強烈な思想や信念を持った人がトップにいたから、面白い人たちが集まってたんだと思います。徳山前理事長が掲げていた「藝術立国」という言葉、あれは本気だった。芸術の力で世の中をひっくり返すんや、っていう覚悟を持っていた人でしたね。

 

 

松井:そうそう。教員が「こういうことやりたいんです」って言ったら、「やってみろ」って返してくれる人だった。

 

後藤:徳山前理事長もだけど、当時の学長の芳賀先生もパリの学生運動を経験したフランス帰りの革新的な人でしたね。徳山前理事長と芳賀先生のコンビは、まさにうちの大学らしさの象徴だったと思います。

 

松井:あの時代は凄かった。そうそう、あと芳賀先生はね、いつも話が長い。ワイシャツの袖まくり始めたら「あ、これは長くなるぞ」っていう合図だったもんね。

 

後藤:そうそう。それで会議ではしょっちゅう喧嘩してたね。「それは保守的や」とか、「それは芸術じゃない!」って。でもそうやって、芸術教育のあり方について常に本気でぶつかっていました。

 

松井:短大の頃も徳山前理事長が「平和と愛についてどう考えてる?」って言い出す会議があってね。それに対して先生たちが本気で「理事長、その意見はおかしいと思います」というと、徳山前理事長は「何がおかしいねん。君らは平和についてどう考えてんねん」とか言うんですよ。

そこから「他に何か意見ないんか」って徳山前理事長が言って、僕の方を向いて意見求めたりするのよね。でも当時の僕はペーペーの新人だから、何も言うことなくてね。でもなにか言わなくっちゃと思って「すいません。来月結婚するんです」っていうたらめっちゃウケました。

あの頃は、ほんまに何を言っても許される自由な場がありましたね。大学も若かったんですね。

 

学生の変化と印象に残る教え子

 

ーー時代とともに、学生も変わってきたと思いますが、印象的な変化はありますか?

 

 

後藤:ありますよ。

たとえば、このアルバムに写ってる大庭くん。いまはうちの大学院で准教授をやっているけど、彼はうちの卒業生です。

でもやっぱり彼を見てると、改めて思うんだよね。

「未来をつくるのは、若い才能」だと。

将来のことを不安がって動けなくなるのはだいたい年取った人で、若くて才能のある人間って怖いものがないからどんどん前に進んでいける。

 

松井:大庭くん、東京藝大の大学院に行った後こっちに戻ってきて、今はうちで教えてるもんね。

 

ーー先生たちが発掘した才能が、今度は次の才能を育てているんですね。

後藤:そう、まさに循環ですね。
そういえば、僕がロンドンのアートフェアに彼の作品を持っていって、それが売れる瞬間を見たことがあるんですよ。あれは、彼が自分のすべきことをつかんだ瞬間だったと思う。そのあと、教える側になって、次の世代の才能を育てている。それはもう、本当に嬉しいですよ。

 

松井:僕が昔の学生に持っている印象は、「とにかくやんちゃな子が多かった」ですよ。僕が最初に教えた短大生なんか、授業中に机の上に足のせててね。出席取るときに気のない「はーい」って返事するから、そのまま足をパーンとはたいたんですよ。そしたら「先生やるなぁ」って。そこからその学生と仲良くなって、就活の相談にも乗ったりして。今じゃそんなことできないけど、当時はそういう関係性が普通だったな。

 

後藤:それいい話(笑)

 

松井:その子の親御さんからもお礼を言われて、「あの時、足はたいて良かったなぁ」って思いましたよ。

 

後藤:一方で、ここ15年くらいで学生のレベルは確実にあがっていると思います。
今の学生たちはネットで検索したらすぐ情報が得られる環境でしょ。だから知識の量は圧倒的に豊富。ただ批評の力がまだ育ち切ってない。何をどう判断していいかわからなくて、「先生、これってどう思いますか?」ってよく聞いてくる。

 

松井:僕らの頃は、美術史や芸術史が必須だったから、それを覚えて制作をしていた。
今の学生は、歴史的な知識があまりないけど、その分忖度しないで自由に発言する。
むしろそこに新しさを感じるし、ちょっとうらやましいとも思いますよ。

 

後藤:ただその分、各自の興味がバラバラすぎて「これってどの文脈で見るべきですか?」って質問が増えた気はしますね。「勝ち目ありますか?」とか「どう思いますか?」って聞いてくるんだけど、そうやって考えるようになっていること事態が、成長だとも思います。

 

ーー最後に、大学で過ごして、「特別だと」感じるような瞬間はありましたか?

後藤:あの頃、大学には“熱”がありましたよね。
アーティストたちが、まだ見ぬ未来を自分たちの手で切り拓こうとしていた。
作品が売れるかどうかなんて関係なくて、表現しなきゃ生きていけない——そんな人たちが集まってた。


松井:で、それを徳山前理事長がちゃんと汲み取って、「藝術立国」って言葉にしたんやと思うんです。


後藤:普通なら「京都は伝統の町だから」っていうところを、徳山前理事長や芳賀先生は「伝統を壊してでも、新しいものを生み出せ」と言い切った。
それって、芸術に対するすごく深い信頼でもあると思うんです。


松井:ほんまにそう。で、そういう“信じて任せてくれる”空気が、先生たちにも、学生にも伝わってたんですよね。


後藤:だからこそ、あの時代の芸大から生まれたものは、単なる“当時の思い出”じゃなくて、今にもずっとつながってる。
今の学生たちも、やり方は違っても同じ熱を持ってるし、それを受け継いでくれていると思います。


松井:うん。変わったこともあるけど、変わらずに流れているものも、たしかにある。
その“芯”みたいなものが、きっと芸大の魅力なんやと思います。

 

 

激動の時代の中で、大学とともに駆け抜けてきた松井先生と後藤先生。
その語りからは、京都芸術大学の“熱”や“芯”がひしひしと伝わってきました。


そしてもう一人、本学の歩みを語ってくださったのが、同じく名誉教授に就任された松生歩先生です。

短大時代から学生を見守り、通信教育課程の指導にも長く関わってきた松生先生には、また別の角度から「瓜生山のあの頃」を語っていただきました。

松生歩先生 1991年京都造形芸術大学着任

 

ーー先生が本学に着任された当時のことを教えてください

いつか大学で教えたいと考えていたときに、卒業した母校でお世話になった先生から、「京都造形芸術大学(当時)の日本画の教員にならないか」と勧められる形で着任することになりました。
大学の教員として採用されましたが、最初に教鞭をとったのは短期大学。学生たちの素直さ、活気を感じながら教えていました。一番印象的だったのは、学内で、学生がすれ違いざまに元気よく挨拶してくれること。まだ着任間もないわたしにもしっかり挨拶をしてくれる学生を見て、感動したことを今でも鮮明に覚えています。

 

ーー当時はどんな学生が多かった印象ですか

大学の近くにバス停があるでしょ。そこに短大・大学・専門学校の学生が集まっていると、どの子がどの学校に所属しているのかがわかるほど雰囲気が違いました。
短大は“素直で可愛い”。大学生は“大人びてしっかりしている”。専門は“若くて自由奔放”な印象を受けました。三者三様で面白かったです。

 

ーーいまの学生にはどのような印象を持たれていますか

最近の学生は全体的に素直な子が多い印象があります。また、いまは通信教育課程で教えていて、通信の学生は人生を生き抜いてきた大人たちで、私たちが教えられることも多いと感じています。

 

ーー印象に残っているプロジェクトを教えてください

2009年に立ち上げて取り組んだ「葵プロジェクト」です。
このプロジェクトは上賀茂神社・下鴨神社にかつて広がっていた“葵の森”を再生し、自然と人とのつながりを見直す目的で始まり、私は日本画コースの学生とともに地域の小学校と連携した授業を行いました。

学生が制作した小さなパネルをもとに、小学生たちは「自分が葵の葉っぱだったら」と想像しながら詩を作り、岩絵具で絵を描きました。4人の小学生と1人の学生が1ユニットとなり、四季をテーマにした作品を制作。完成した絵は円形に展示され、四季が巡るように配置されました。

その後、上賀茂神社でも展示と発表を行い、音楽家を招いたパフォーマンスも開催されました。芸術、教育、地域が交差する、忘れられないプロジェクトです。

 

プロジェクトで制作された作品

 

ーー徳山前理事長について印象深いことはありますか?
「子ども芸術大学」に描かせていただいた『青い鳥』の作品は、徳山前理事長の思いが強く込められたもので、とても印象に残っています。
芸術を通じて子どもたちに寄り添いたいという徳山前理事長の夢をかたちにするために、子どもたちの目線に立ちながら、温かく、想像力を育てるような絵を描きました。作品には、現実と夢の世界の交差から生まれる“クリエイティブな力”というテーマを込めています。
理事長は、目に見えない価値や想像の力を何より大切にされていた方でした。そのまなざしに応えるような絵になっていたら嬉しいですね。

 

松生先生が描いた『青い鳥』子ども芸術大学内に飾られています

 

ーー最後に、卒業生や在校生へメッセージをお願いします。
社会に出れば、時に落ち込むことや、心ない言葉に出会うこともあるかもしれません。でも、私たちは皆さんの“いいところ”をたくさん知っていますし、いつも本気で、心からの言葉で、皆さんを励まし送り出してきたつもりです。
決してお世辞ではなく、その人の本質にあるものを信じて、声をかけてきました。 だからこそ、自分自身を信じて、堂々と進んでいってほしいと思います。
どんな場所でも、皆さんらしく輝けると信じています。

京都芸術大学の歩みをともに築いてこられた名誉教授の先生方。それぞれの言葉からは、時代とともに変化してきた教育や学生像と同時に、“芸術を信じる”という揺るぎない精神が脈々と受け継がれていることが感じられました。

この記事が、卒業生の皆さんにとっては懐かしく、在学生の皆さんにとっては励ましとなり、瓜生山に流れる時間とともに“これから”を思い描くきっかけになれば幸いです。

 

(文=文芸表現学科4年生 轟木天大)

 

 

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