
京都芸術大学 文芸表現学科 社会実装科目「文芸と社会II」は、学生が視て経験した活動や作品をWebマガジン「瓜生通信」に大学広報記事として執筆するエディター・ライターの授業です。
本授業を受講した学生による記事を「文芸表現学科の学生が届ける瓜生通信」と題し、みなさまにお届けします。
(構成・執筆:文芸表現学科2年生 坂東蒼太)
帰りの電車で隣に立つサラリーマンが、疲れた顔でつり革を掴みながら、もう片方の手で読んでいるあの本。
気になるあの子が、教室の隅で読んでいるあの本。
芸大生がコーヒーをすすりながら、鋭い目つきで読んでいるあの本
なにを読んでいるのか気になる。
表紙をのぞき見たい。
知っている本なら語りあいたい。
読んでいる最中に表情がゆるんだのなら、どんな文章が書かれているのか気になってしかたがない。
京都芸術大学の文芸表現学科にいる私は、教室のイスから立ち上がった。
「芸大生はなにを読んでいるのだろうか?」
周りを見渡しても、本を読んでいる人が誰もいない。
探し出してインタビューしなければ!
そういうわけで、今回私たちは京都芸術大学内で本を読んでいる学生たちに「いま、なに読んでますか?」と声をかけてきた。
芸大生たちはどんな本を、いま、なぜ読んでいるのだろうか?
芸大ってなにやってるんだろう?
どんな人たちがいるんだろう?
芸大に対してそんなふうに思っている人は多いと思います。
私が京都芸術大学に進学すると決断したとき、私と同じように芸大に進学しようとしている人は、周りにはいませんでした。そのため、友人や親戚に芸大に進学することを伝えると珍しがられることがよくありました。それだけではなく「若いのに自分の進路をしっかり決めていてすごいね」と感心されたこともありました。
しかし芸大に進学すると決めたときの私は、将来はこうなりたいという進路設計を決めていたわけではありません。
この言葉を聞くたびに私は、芸大に進学する人は将来設計がしっかりしていなければならないのか?と思い不安になったことを覚えています。

そんな過去の自分と同じ不安をもった人たちの手助けとなるために、この記事を書こうと思いました。
しかしどうすれば京都芸術大学にいる学生さんたちの雰囲気を、この記事を読んでいる人たちに伝えられるのでしょうか?
私たちは文芸表現学科に所属しています。
なので、日頃から本を読み、文章を書くことが日常化されていされている私たちは、他の人がどんな本を読んでいるのかが気になって仕方ありません。
他人の本棚を見るのって、その人の頭の中をこっそり覗き見ているようでワクワクしませんか?
私はテレビやYouTubeで誰かの部屋にある本棚が映ったとき、ついそこで一時停止して本棚にある本から、その人の内面を妄想して楽しんでいます。
そこで京都芸術大学の学生さんたちに「今なに読んでますか?」とインタビューすることで、そこにいる人たちの様子を、本をつうじて伝えられるのではないかと思いつきました。

そう息巻いて取材に出かけたものの、大学内の人が多く集まる場所は、本を読むには集中できないのでしょう。
なかなか本を読んでいる人を見つけることができません。
とりあえず場所を変えようと、馴染みのある文芸表現学科の研究室に戻りました。
そのついでに、文芸表現学科の隣にある美術工芸学科・アートプアートプロデュースコースの研究室を覗いてみることにしました。
するとそこにはなんと、机に本を並べてパソコンと向き合っている学生がゴロゴロいるではありませんか。

部屋の入り口から一番近い机に、本を読んでいる学生の背中が見えたのでまずはその人に声をかけてみることにしました。
丁寧に声をかけたつもりなのですが、声をかけられた女性はビクッと肩を5センチほどすくませて、椅子からはじかれたように驚かれました。
こちらに振り向いた女性の鼻には、銀ぶちの細いフレームの丸眼鏡がのっています。
勢いよくこちらに振り向いたため、女性の髪にふんわりと束ねられたツインテールが空中を鋭く滑空しました。
相手を警戒させてはいけないと、あわてて自己紹介と企画意図を伝えました。
その説明を聞いていた女性は、私の発言をひとつひとつら、慎重に確認しなおしました。
その厳格なやりとりは、なんだか法廷で裁判官と相対しているようで、話していてだんだんと緊張してきました。心なしか、女性の着ているごわっとした黒いコートも、裁判官の着ている制服のように見えてきます。
黒いコートの襟元から覗かせている白いセーターという、黒と白のシンプルな着こなしが、銀ぶちの眼鏡と合わさって凛々しさを感じさせます。
女性はしばらくこちらの目をじっと観察したのちに、「森本千琴です。どうぞ、お座りください」と近くにあった席に私を案内してくださいました。
千琴と書いてチコトと呼ぶそうで、このようにして私は美術工芸学科・アートプロデュースコースの森本千琴さんに取材することとなりました。
アートプロデュースコースということは、アートをプロデュースする方法を学ぶということなのでしょうか? という世間知らずな私の質問に、森本さんは
「そうですね、そういうざっくりとした感じであってると思います。でもどちらかというとその作品をどう解釈するのがよりよいかといった、そこにある思想を追求するというほうが大きいと思います。
そうなんですか。私がコース名からイメージしていたものとはだいぶ違っていました。アートプロデュースコースでは具体的にどんなことをしてるんですか?
「このコースであつかうジャンルは幅広くて、ファッションなんかもそうだし、あとは漫才なども取り扱っている人もいます。それらを地域、コミュニティ・コミュニケーション、キュレーションの三つの柱から考えていく、というふうに先生は言います。でも正直その三つに収まるかといわれるととてもそうじゃなくて、みんなそれぞれの問いを好きなように考えてるという感じです」
と、とても丁寧に答えてくれました。
森本さんはもともとアートにはそれほど興味がなく、高校生のころは哲学の本をよく読んでいたといいます。
しかしふと、哲学の実践は美術なんじゃないかと感じはじめ、この京都芸術大学の美術工芸学科アートプロデュースコースに入学したそうです。
次に、「印象に残った本」という質問に対して森本さんは
「印象に残った本ですか⁉ 印象に残った本… 印象… 印象… うーん……。」
と『印象』という言葉についてじっくりと考え込んでいる姿が印象的でした。
しばらくその質問について考え込んでいた森本さんは、近くにいた先輩に
「印象ってなんでしょうねぇ?」
と質問し、質問された先輩も
「えぇっ! 印象⁉ 印象ねぇ… 印象… 印象… 印象……。」
と森本さんと同じように『印象』の言葉のループにおちいっていました。
この学科の人たちってみんなこんな感じなのかな? とその光景を眺めながら、ぼんやりとそんなことを考えました。
そんな森本さんがいま読んでいる本がなにかというと、写真家である石内都さんの写真集
『Mother’s 』です。

この写真集には、母親と不仲であった石内さんが、母の死後、その遺品をひとつひとつ丁寧に撮影した作品が収められています。
唇の形に擦り切れた口紅や、ゴムが伸び、よれよれになった下着、髪の毛の付着しているクシといった、写真というプロセスを経ておこなわれる遺品をとおした生々しい対話の痕跡からは、見る人の価値観を大きく変えると森本さんは感じています。
「それを説明したいんですけど、まだまだ難しくて」そのように言う森本さんのカバンからは、これから卒論に使うであろう本がゴロゴロ出てきました。

左:『ちぐはぐな身体』鷲田清一 著 ちくま文庫
中央:『汚穢のリズム』酒井朋子・奥田太郎 編著 中村沙絵・福永真弓 著/編集
右:『平成写真小史「写真の終焉」から多様なる表現の地平へ』島原 学 著
すべて掲載許可済み
そうとうな難問に挑戦されてるのだと、そのカバンから出てきた本たちを見て、これから森本さんが挑戦しようとしていることの険しさを目の当たりにしました。
それでも『Mother’s』の写真を見ていると、森本さんが言っていた「見る人の価値観を大きく変える」という言葉の意味がわかるような気がします。
『Mother’s』には著者の母親が生前よく愛用していたであろう遺品遺品のひとつひとつが、カラーやモノクロで写されています。そこには、珍しい遺品が集めているわけでも、見ている人を驚かすための構図の工夫が凝らされているわけでもありません。
しかしその写真を眺めていると、なにやら人のプライバシーをのぞき見ているような、そういう小っ恥ずかしい気分になってくるのです。
ツタのように絡みついた髪の毛がそのままになっているクシや、使用者の唇の形を連想させるように擦り切れたリップには、モノがどうしてもそのモノの先にある使用者の身体をこちらに意識させました。
そのように感じたとき、モノは持ち主の言葉以上にその人自身を雄弁にかたり、持ち主の望まないところまでも、暴いていってしまう危うさをその写真から感じました。
森本さんとお話ししていて印象に残った言葉があります。それは「これをやりたい! って思っている人はここ(アートプロデュースコース)には来ない」という言葉です。
確かに芸大という場所に来る人は、これをしたい! 将来はこういう職業に就く! という目標がしっかりと定まっている人が多いように思います。
しかし、じゃあ目標が定まっている人しか芸大に来ちゃダメなのかと言われるとそうではないということです。自分の中の問いや思いを探り、追求していくための受け皿としての場所も、芸大にはあるのだというところが、私の印象に残りました。
この記事で京都芸術大学の学生さんたちの様子をみなさんに伝え、芸大という場所を知る手助けになれればと思っています。
これをしたい!という目標はないけれど芸大という場所に興味があるという人は、ぜひ一度この京都芸術大学に足を運んでみるのもいいのではないでしょうか。
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