COLUMN2025.02.19

工場(こうば)

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  • 京都芸術大学 広報課

同じ県内ということもあって時折、実家に帰省する。実家には、隣り合わせる形でかつて工場だった場所がある。父が一人で働いていた小さな工場だ。子供の頃には、ここで色々なものを作ってもらった僕の遊び場でもあった。鉄を加工する工場だったので、以前は大きな機械が並んでいたが、今はもうない。今では、廃棄されずに残った小さな工具たちが無造作に棚に積まれていたり、目の前に広がる畑から採ってきたばかりの野菜が床に並んでいたりする。雑木林のように雑多で、整理整頓されているとは言いがたい倉庫のような空間だ。ここには断熱材なんてものは見当たらない。炎天下の暑さや凍てつく寒さがそのまま直接的に、むしろ逃げない空気によって増幅されてまとわりつく。この場所は、まるで快適とはいえないにもかかわらず、なぜだか家族が自然に集まる場所になっている。父が仕事をしなくなった今でも、日中には家の中ではなく、ここがリビングであるかのように、皆でここでお茶の時間を過ごしている。

あるとき帰省すると、壁に沿って大量に薪がならんで積まれていた。この工場内にストーブが登場したのだった。大量の薪はどうしているのか聞いてみると、どうやら購入しているわけではないようだった。父が、庭にあった枯木を切って薪にしていたところ、通りすがりの近所の人がその光景を目にして、薪として使ってくれと不要な木を持ってきてくれたようである。ここは山林が近い場所でもないので、木をもらえるなんていうのは偶然で、ほんの一度きりのことだと思うのだが、その予想に反してもう何年も近所の人たちから木をもらえることがずっと続いているようだ。時には、空き家を潰した時の廃材などももらえることもあるらしい。父は仕事をしなくなったが、日中、暇があればそれらの木を切り、薪割りをするようになった。そして薪のおかげで、僕らのお茶の時間は快適になった。畑で採れた芋をおいしく食べる喜びを知った。ビールケースに座って焼き芋を食べながら火を眺める。
暖をとりつつ手すさびとして、ある時、薪を削って木のスプーンを作ってみた。僕にとっては遊び場だったかつての思い出がよみがえり、楽しくなってそれを続けた。薪のために近所から持ちこまれる木は、柿の木なこともあれば種類もわからないものだったりもするので毎回種類が異なる。手に伝わってくる感触がそれぞれ違った。
スプーンを薪から削り出すのは僕にとっての遊びだったが、数を作るうちに友人や、いつしか生まれた自分の子どもにも使ってもらえるようになった。あるとき、元の柿の木の持ち主にお返しとして使ってもらえたことがあった。誇れる出来栄えではないが嬉しかった。燃やされて消え去るはずだった木を使うことで、それぞれの木が持つ消えかけた物語を留めることができている…という美談ではない。ただ、工場も、木も、そして人の過ごし方も、その時々の必要に応じて形を変えながらゆるやかに繋がっているのだなと思うと、かけがえのない今を美しく感じた。

 

デザイン科 岡本正人
出典:『雲母』芸術時間 2025年春号

 

 

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