三代目市川猿之助(二代目猿翁)さんから京都芸術大学に寄贈いただいた貴重な歌舞伎関係資料〈猿翁アーカイブ〉をもとに、三代目猿之助の軌跡をたどるフォーラム。第8回となる今回は〈離見の見〉をテーマに、7回に及ぶ海外公演・歌舞伎ゼミナールの経験が、その後の活動へどのように影響を及ぼしたのかを語っていただきました。
「追悼のイベントとするつもりはありません」。田口章子教授(フォーラム企画担当)は、開会の言葉の中でそう語りました。三代目市川猿之助(二代目市川猿翁)はイベントの10日前、2023年9月13日に惜しまれつつも逝去しました。本フォーラムは、三代目猿之助さんを偲ぶ雰囲気の中での開催となりました。
第一部「一番いい時代~海外公演の十七年」石川耕士
石川さんの講演は、資料の末尾に付された海外公演についての説明からはじまりました。
「海外公演のツアーを実際にご覧になった方はいらっしゃいますか?」
石川さんがそう呼びかけると、客席でちらほらと手が挙がりました。
史上最年少の座頭としてイギリス・アメリカ・カナダを巡った昭和52年(1977年)をはじめとする計7回の海外公演ツアー・歌舞伎ゼミナールを率い、中でも80年代は2年おきという短いスパンで国外を巡演していました。その時期の三代目市川猿之助は、復活通し狂言やスーパー歌舞伎第1作『ヤマトタケル』を次々と制作していたという意味で、「一番いい時代」だったのだそうです。
それでは、「一番いい時代」の三代目市川猿之助はどのような舞台を創っていたのでしょう。石川さんが選んでくださった〈猿翁アーカイブ〉の映像を鑑賞して、その一端を伺い知ることができました。
『義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)』「鳥居前」「吉野山」(昭和63年7月 歌舞伎座)
三代目市川猿之助は祖父が座頭の昭和36年の海外公演に同行した際、オリエンタリズムを強調するものよりもストーリーやテーマがはっきりしている演目のほうが反応がいいということを学びました。『義経千本桜』は、昭和60年(1985年)と昭和62年(1987年)の海外公演の演目として三代目市川猿之助が選んだ作品です。「こんなに出演者の多い演目を旅公演へ持っていくことがすごい」と石川さんは説明します。ストーリーをはっきりと理解してもらうのに適した作品だということで、選んだのだそうです。
三代目市川猿之助は海外公演をする際、どの公演ではどの台詞がウケてどの台詞がそうでなかったか、というのを全て記憶してメモを残していました。冷静さと、演技に没入している感じが混在しているのが三代目市川猿之助の〈離見の見〉の凄さなのです。
『双面道成寺(ふたおもてどうじょうじ)』平成6年10月 歌舞伎座『金幣猿島郡』
平成5年(1993年)の海外公演でドイツでの演目に選ばれた『双面道成寺』は、出演者ばかりでなく三方掛合(3つのジャンルの音楽)で地方(演奏者)も大量に必要となる大がかりな舞踊劇です。『京鹿子娘道成寺』が海外ではあまり好評でなかったことや、あまりに費用が掛かるリスクはあったのですが、ドイツ側のプロモーターから「こんなにゴージャスな歌舞伎はなかなかない、是非やってほしい」と熱心にオファーをうけたことで、ベルリンでの『双面道成寺』公演が実現したそうです。
三代目市川猿之助が幸せだったのは、モーリス・ベジャールやピーター・ブルックといった演劇界の大家との交流の機会を持つことができたことでした。そういう経験により芽生えた「世界の中の歌舞伎を創る」という意識が〈スーパー歌舞伎〉へと繋がっていったのでしょう、と石川さんは講演を締めくくりました。
第二部「歌舞伎のエネルギーに生きる ~猿翁さんの魅力」岡崎哲也
松竹に入社していきなり三代目市川猿之助の担当になったという岡崎さん。存命ならば来年で一緒に仕事をはじめてから40年になったはず、ということでした。
『牡丹景清(ぼたんかげきよ)』(昭和59年7月 歌舞伎座)
「鱗花芝居」として地方で評判だった、大衆歌舞伎の作家にして興行師であった嵐鱗花の作。長らく台本が失われていた作品だったものを、三代目市川猿之助が発掘し、改訂・演出を施したもの。土俗的な雰囲気がありながら派手でおもしろいこの作品が上演されたとき、岡崎さんはまだ入社して3ヶ月目。猿翁さんらしい一作だそうです。
『菊宴月白浪(きくのえんつきのしらなみ)』(昭和59年10月 歌舞伎座)
『牡丹景清』の3か月後に上演されたこちらの作品は忠臣蔵の後日譚で、『仮名手本中心蔵』のパロディが全編にちりばめられています。
全編を上演すると7~8時間掛かる長編を三代目市川猿之助が5時間に纏めたとは言え、16時半に開演して幕が降りるのは22時すぎ。また稽古期間は京都南座での公演の期間と被っており、近隣の神社の社務所を借りて22時から午前2時まで稽古に励んだとのことでした。
岡崎さんは手早く映像を飛ばしながら、見どころの場面をご紹介くださいました。刀身から火の出る刀、建物全体が焼けるように見せるための演出、電飾で作った花火、大人が宙乗りしたあとに子役を反対側から宙乗りさせて実現した「遠見」、飛び立つ鳩……まだまだ手探りだったスペクタクルを、失敗談を交えながらお話くださいました。屋根の上で大立ち回りをするラストシーンが終わったあとは、ポリウレタンで作った瓦を客席まで拾いに行かなければならなかったそうです。
『西太后(せいたいごう)』(平成7年9月 新橋演舞場)
『牡丹景清』や『菊宴月白浪』の約10年後。スーパー歌舞伎やミュンヘン歌劇場でのオペラ《影のない女》演出等を経て、三代目市川猿之助のスペクタクルは完成していました。背景で燃える炎の表現は試行錯誤の末に完璧になり、また暗闇に浮かび上がる故宮はウィーンの装置デザイナーに作ってもらったという特注品。これこそが、〈離見の見〉の集大成の一つなのでしょう。
沢山の人々を巻き込むことのできる人だった。コンピュータ付きの人間発電機のようだった、素晴らしい俳優だった。そう岡崎さんは締めくくりました。
閉会の前にもう一度田口教授、石川さん、岡崎さんが登壇し、教育者としても熱心だったという三代目市川猿之助の思い出を語りました。それから、『ヤマトタケル』のラストシーンを鑑賞しました。
「さようなら エヒメ さようなら ワカタケル さようなら タケヒコ……」
三代目市川猿之助は海外ツアーの間、忙しい公演の合間を縫って旺盛に現地観光へと出掛け、沢山の写真を残しました。お手製のフォトアルバムが、春秋座のロビーに展示されていました。
名所で粋なポーズを決める猿翁の写真。その周りは、ガイドブックの切り抜きや星の形をしたかわいらしいシール、色画用紙を切り抜いて作った手書きのキャプション等で、きれいにデコレーションが施されています。
猿翁アーカイブは、三代目市川猿之助が京都芸術大学に遺してくださった財産です。本フォーラムはこれからも続きます、と田口教授は締めくくりとして力強く宣言しました。
来年もまた、春秋座でお会いしましょう!
(文=天谷 航)
猿翁アーカイブにみる三代目市川猿之助の世界 第八回フォーラム 三代目猿之助の〈離見の見〉
2023年9月23日(土・祝)14:00開演
京都芸術劇場 春秋座
ゲスト:石川耕士(脚本家、演出家)、 岡崎哲也(松竹株式会社取締役常務執行役員、日本演劇協会理事)
企画:田口章子(京都芸術大学教授)
映像担当:京都芸術大学広報課、倉田修次
協力:松竹株式会社、公益社団法人日本俳優協会、株式会社キノシ・オフィス
主催:京都芸術大学舞台芸術研究センター
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