COLUMN2024.01.16

「対話型鑑賞のこれまでとこれから」をめぐる3冊 第二回

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  • 京都芸術大学 広報課

この記事は、「対話型鑑賞のこれまでとこれから」をめぐる3冊 第一回 の続きになります。

『エグゼクティブは美術館に集う』(2015年)と、ビジネスパーソンへの展開

フォーラム書籍5章で筆者自身が取り上げているように、対話型鑑賞がビジネスの領域に広く展開するきっかけとなったのは、独立研究者の山口周による2017年の書籍『世界のエリートはなぜ美意識を鍛えるのか』(光文社新書)である。同書には、美意識を高めるための方法としてVTS: Visual Thinking Strategiesが紹介されている。

その2年前の2015年には奥村高明による『エグゼクティブは美術館に集う――「脳力」を覚醒する美術鑑賞』が光村書店から発刊されている。ビジネスと美術鑑賞のかかわりを論じた書籍としては、実はこちらが最初だろう。

奥村高明は、宮崎県の教員・学芸員を経て文部科学省の教科調査官を務めた後、聖徳大学教授、日本体育大学教授として、学校・行政・研究の立場を往還する形で美術教育に携わってきた。奥村自身は必ずしも対話型鑑賞だけが専門ではなく、鑑賞教育を通じて獲得される資質・能力について論じている著作も多数ある。

奥村は、対話型鑑賞に類似するさまざまなワークも考案してきた。たとえば、同書で述べられている鑑賞の役割分担〈推進役:対話を積極的に前に進める人〉〈補足役:推進役から出た意見をサポートする人〉〈傍観役:発言を聞きながら考える人〉〈反対役:人の意見に反対する人〉をもとに、この役割を順番に回していくことによって、鑑賞中の議論を活性化させる「ラウンド・トーク(役割交代鑑賞)」と呼ばれるワークがある。対話型鑑賞において鑑賞者間で自然と起こっている役割分担・立ち位置をあえて意図的に与えてしまうことで、視点を転換させるワークと言える。

こうした奥村の立ち位置の背景には「状況的学習論」の考え方がある。状況的学習論とは、人の学習とは何か知識を記憶したり技術を身につけたりするものではなく、ある「状況」の中での立ち位置の変化として捉えるという考え方である。たとえば、仕立屋の弟子の仕事はボタン付けからはじまり、習熟するにつれて徐々に服づくりの中心的な仕事へと移り変わっていく。

鑑賞において「状況」を重視する考え方を示している奥村の発言を『エグゼクティブは美術館に集う』から引用する。宮崎県立美術館が所蔵するマグリットの作品《現実の感覚》について語っている部分である。

あの絵で美術鑑賞をするのと、私の描いた絵でやるのとは雲泥の差です。だからって素人の絵がダメだっていう話ではないんですよ。美術館という装置と、作品と、人がいて、その場でお客さんが鑑賞するという行為によって作品は成立します。どんな作品だってそれは可能です。だけど悔しいかな、来るたびにお客さんが雄弁になる作品ってあるんですね。結局、それが名品なんです。観衆が作品を名品にするといった方がいいかもしれません。(奥村2015, p.150)

ちなみに、奥村が別のWeb連載で述懐しているように、『エグゼクティブは美術館に集う』はあくまで教育書であり、必ずしもビジネスパーソン向けの書籍ではない(タイトルは、ニューヨークの美術館への視察で、企業のエグゼクティブ向けの鑑賞教育プログラムに参加したエピソードによっている)。それでも、ビジネスパーソン向けの対話型鑑賞の研修が広く行われるようになった現在からみると、図らずも奥村が「言い出しっぺ」の一人のようになってしまったのだという。

偶然とはいえ、奥村が注目されることになった理由の一つに、美術鑑賞を通じて育まれる力の一例を示したことが挙げられるだろう。奥村によれば、美術鑑賞によって鍛えられる力は、よく言われるような感性や創造性とともに、重要なのは「メタ認知」であるという。メタ認知とは、「もう一人の自分が、自分の思考や行動を把握したり、認識したりする」(p.155)という意味である。

一方で、先のWeb連載で奥村は、美術鑑賞を短絡的に何らかの能力向上などの因果律としてみるべきではないと指摘する。「美術鑑賞がビジネス、教育、医療等、何かの役立つとしても、そのために美術鑑賞があるわけではない。美術鑑賞は、それ自体に意味がある」「美術鑑賞は、縁の紡ぎ合い」とする考え方は、「状況的学習論」を踏まえていると言える。

多くの子どもは、美術作品と同じポーズを取ってみたり、横に並んでみたり、美術作品と一体化したような見方をする。美術作品の世界に入り込むことを通じて自身を拡張し、それを「もう一人の自分」が言語化して話す、といったことが鑑賞の中で起きているというのである。メタ認知による自身の拡張とその意識化・言語化は、子どもだけでなく大人に、まさにビジネスパーソンが新たな価値を生み出すときに必要とされることだろう。

最後に、平野智紀『鑑賞のファシリテーション』を取り上げる。

※「対話型鑑賞のこれまでとこれから」をめぐる3冊 第三回に続く

 

参考文献

奥村高明 (2015) エグゼクティブは美術館に集う:「脳力」を覚醒する美術鑑賞. 光村図書出版.
奥村高明 (2022)美術鑑賞の現在地 後編(2010~)第2回「ビジネスと美術鑑賞(1)」. 日本文教出版「学び!と美術」<Vol.114>. (2023.10.25最終閲覧)https://www.nichibun-g.co.jp/data/web-magazine/manabito/art/art114/
山口周 (2017) 世界のエリートはなぜ 「美意識」を鍛えるのか? 光文社新書.

 

(文:平野智紀(内田洋行教育総合研究所 主任研究員))

 

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